第23話 負け戦と混乱 1

 レフ達3人がアンジエームに帰り着いたのはレクドラムの戦いの8日後だった。馬を使ったにしては時間が掛かったのは、アンジエーム方面とはかなりずれているアドル領の直ぐ近く――徒歩で半日行程――まで足を伸ばしたからだ。


 結局焼き討ちに遭ったあの村が、帝国兵がレクドラムの戦い以前に侵入した最も南の地だった。まだ戦火の及んでいない町や村は一見平穏だったが、既にレクドラムの戦いの噂が届いており、人々は不安そうな顔で、それでも日常の仕事をしていた。集落で宿を頼むと、レクドラムの戦いから逃れて来たということでいつの間にか集まってきた人々から情勢について質問を受けた。王国軍が負けたのだと話すと誰もが暗い顔になって、これからどうしたらいいのかと訊いてきた。自分たちのような下っ端にはそんなことは分からないと答えるのが常だった。しかし、レクドラムとアンジエーム、あるいはレクドラムとエンセンテの領都であるジェイミールを結ぶ線からかなり外れているこの辺りは、多分主戦場にはならないだろうと答えると多少は顔色を明るくして、村人同士でああだ、こうだと議論を始める。いくつか足を止めたどの村、町でも同じことの繰り返しだった。

 そしてその議論の場には町や村のお偉いさんは居なかった。彼らは魔法使いの通心を利用して、平民より詳しい情報を得ており、彼らだけで議論をしていた。詰まるところは、帝国軍が来たときに戦うのか降伏するのかというのが議論のテーマだった。結局はその地方を治める領主の方針に従って、周囲と足並みを揃えるしかないのだが。

 その議論の中に一般庶民をどうするかという視点が入ってないのはどこも同じだった。


 3人がアンジエームとレクドラムを結ぶ主街道に近づくにつれて、彼らより早く通り過ぎた敗残兵の話を聞くことが多くなった。運良く馬を手に入れた彼らは目を血走らせてアンジエームの方へ駆けていったと言う。途中の町や村で強奪同然に必要な物――食料、その他――を手に入れていたが、わずかでも金を置いていけばましな方だった。だからレフ達が近づくと人々は警戒の色を見せ、冷たい目で見た。レフ達はそれなりの金を置いて食料を手に入れたが、集落の中には入らず、最後の2日は野宿になった。宿は通り過ぎた敗残兵に荒らされて、最早人を泊める事が出来ないほど壊れていることもあったからだ。

 この後に徒歩の――馬を手に入れ損ねた――敗残兵の群れが続くから準備した方がいいという、主にはシエンヌから忠告もしたがそれに従った集落は少なかった。ちなみにレフ達が勧めたことは、女、子供を見つかりにくいところに隠して、あらかじめ用意しておいた食料を渡してさっさと通り過ぎてもらうというものだった。


 レフ達が通り過ぎた後、敗走する兵達に逆らったり、街に入れる事を断ったりして揉めた挙げ句に略奪にあい、味方のはずの王国兵に傷つけられたり、殺されたりした民も少なくなかった。



 レフ達はいきなりアンジエームに入ったわけではない。見る人が見ればいい馬だと分かる馬を引いて、輸送隊の小者という身分だった3人が市の門をくぐるのは、後々面倒を引き起こす可能性が高かったからだ。

 レフ達が立ち寄ったのは、アンジエームの西に位置するモズィートという村だった。輸送隊を編成するときにエガリオに協力して馬を出してくれた――それも一番多くの馬を出してくれた――村で、アンジエームの近郊農村の一つだった。野菜、肉、卵など日持ちのしない食料を大都会であるアンジエームに供給して生計を立てていた。別れ際にダナがこの村の名前を出したのがこの村へ来た理由だった。


 村の入り口で見張りに立っていた若者にエガリオの手の者である(正確には違うがこの説明が一番わかりやすいと思われた)ことを告げると、ちょっと胡散臭そうな顔をしたが、それでも入り口で待っているように言って村の奥に入っていった。すぐに村で一番大きな建物――村庁むらやくばを兼ねた村長むらおさの家だった――から見知った人間が出てきた。ダナと割と良い服を着た太った初老の男――村長――だった。


「あんた達かい。随分と早い……」


 ダナが言いかけて、レフの後ろでシエンヌとアニエスが馬を引いているのに気づいた。


「馬で来たにしてはゆっくりだね」

「ダナがまだここに居る方がびっくりだな。もうアンジエームに入っていると思ってた」

「輸送隊の人間が、一番先に、負傷もせずに馬で逃げ帰ってきたなんて事になったら、当局からどんな因縁を付けられるか分かったもんじゃないからね。徒歩で逃げ帰ってくる兵隊達が門に群がる頃を見計らってそれに紛れて市に入ろうと思ってたのさ」

「なるほど良い考えだな、私たちもそうしよう」

「それにしても……」


 ダナは3人が引いている馬を見て、


「いい馬だね、騎兵のだろう?」


 馬や馬具から出来るだけ装飾は外したが見る目のある人間には分かってしまう。


「ああ、帝国騎兵から譲って貰った。もう使わないからってな」


 レフの言いぐさにダナが面白そうな顔をした。


「もう使わないってかい?それはまた気前の良い奴らだね、きっと天国に行けるよ」

「ああ、私もそう思う」

「それにしても帝国騎兵ってのは気前が良いんだね、3日前だったか輸送隊にいた傭兵達も帝国の馬で帰ってきたって噂だったね」


 アンジエームには入らなくてもその様子は通心で聞いている。エガリオにも既に帰ってきていることは伝えてあった。レクドラムの戦いについても一通りのことは伝えてあった。


「で、その馬を国軍に引き渡せとかなんとかで揉めてるってさ」


 カジェッロたちは無事にたどり着いたようだ。レフ達の態度を見てダナは勝手にふんふんと頷いていた。

 カジェッロ達が帝国騎兵から馬を奪えるほど腕が立つとは思えなかったのだ。何かからくりがあるに違いないと思っていた。だから、レフ達も帝国騎兵から譲って貰った――奪った――馬に乗っているのを見て腑に落ちたのだ。


――やっぱりこいつらが馬を分けてやったんだ。全部で10頭と言うことは少なくとも10人の帝国騎兵をこの3人で、まあ、主にはレフだろうけれど、斃したって事だね。良い腕をしているらしいことは分かっていたけど、大したもんだね。それに、3人の雰囲気が変わってるね。アニエスは少し前にレフにくっついたようだったけれど、いまはシエンヌと言ったっけ、こっちの娘もレフにくっついちまったようだ。一緒に行動するってのは男と女をくっつける一番の方法だし、ましていくさなんて極限状態を一緒に体験したんだ、そうなっても仕方がないかね。それにしても2人とも、生娘きむすめなら随分高く売れたんだろうにさ、こんなにきれいなんだから。勿体ないね。まあ今でも結構な値が付くだろうけどね――


「馬を」


 レフがダナと一緒に出てきた村長むらおさに向かって、


「この村で引き取ってくれないかな、今のダナの話だと、アンジエームに連れていってもトラブルの種にしかならないようだから」


 村長は首を振った。


「とてもとても、こんな高い馬を買うなんて事はこの村では出来ません」

「あっ、別に金はいらない。私たちではとても面倒が見きれないからこの村で見てくれれば良いだけだ」

「えっ?でも随分いい馬ですよ。無料ただで頂けるというのですか?」

「ああ、好きに使ってくれて良いよ」


 ダナが横から口を出した。


「いらないって言ってんだから貰っておけば良いよ。この男は後で文句を言うような人間ではないから」


 村長は要領を得ない顔のまま、馬を受け取ることにした。


「ああ、でももし帝国軍がここまで来るようだったら、上手く隠した方が良い。奴らの焼き印が押してあるから。あるいは早めに東の方へ持って行って売っぱらった方が良いかもしれないな」

「へえ、そうします。でも帝国軍が本当にここまで来るのですか?ダナ様にも訊いたのですが……」

「確実なことは分からないが、王国軍は惨敗した。そういうことも覚悟しておいた方がいいかもしれない」


 村長は暗い顔で頷いた。アンジエームへの道々で見た民人達と同じ表情だった。そんなことは信じられない、信じたくない、でも万一のことがあれば……、という表情だ。


 村人達が手分けして、3頭の馬を家畜小屋の方へ引いていった。


 ダナが馬を引いて遠ざかる村長達を見ながら、


「エガリオ様がレフの話も聞きたがっているわよ。でもなんだか今は王宮の中がてんやわんやになっていてその情報集めに忙しいから、終わったことについてはもう少し後でも良いみたいだけれどね」


 まあ、あれだけ派手な負け戦だ、国の上層部が混乱しているのは当然だろう、その時レフはそう思っただけだった。




 結局ダナやレフ達を含めたザラバティー一家からの男達は、さらに3日間村に滞在してから、帰還した敗残兵でごった返す市門をくぐった。







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