第22話 ドミティアの回想 2
ドミティア皇女が初めてイフリキアに会ったのは8歳の頃だった。その前の年から、3日に1度出勤する父について、魔法院へ来るようになっていた。父が好きだったこともあったが、ほとんど人が居ない中庭で思いっきり体を動かすのが目的だった。ドミティアは小さい頃から体を動かすことが好きだった。“気”を入れれば普段よりずっと強い力が出ることと、疲れにくいことにいつの頃からか気づいていた。屋敷では思い切り体を動かせなかった。一人でいられることなどほとんどなかったし、誰かがいると直ぐに止められてしまうのだ。それはそうだろう、5~6歳の女の子が走るのに大人がついて行けないのだから。フェリケリウスの一門で、しかもかなりその中枢に近い家に属する人間だからそんなこともあるだろう、と思われているだけだった。
総裁を務める父について魔法院に来たときに、薬草を育てる中庭が広くてほとんど人が居ないことに気づいた。魔法院そのものが厳重に警備されているので個人的な警護兵も側に居なくて、思いっきり体を動かせたため大いに気に入ってしまった。それから父にせがんで父が魔法院に行くときはできるだけ連れてきてもらうようになった。
その日、ドミティアはいつものように、執務室に向かう父と別れて中庭に来ていた。荷物を置いてうんと伸びをする。足に“気”を入れて走り始める、体が温まったところで手にも“気”を入れて、飛び上がる。2ファルほどの高さの枝にぶら下がると体を振ってその反動で体を枝の上に持ち上げる。同じことを繰り返して次々に上の枝に登り、10ファルはある最も上の枝まで登ってから降りてくる。一番下の枝からは重力緩和を使ってふわっと飛び降りた。地面に降りると、どんなもんだというようなドヤ顔でポーズを決めた。誰も見ていないと思っていたのだ。
パチパチと拍手の音がして、ドミティアは我に帰った。はっとして振り返ると5ファルほど離れた木の下に人の姿を認めた。長い黒い髪の、魔法使いのマントを纏った若い女だった。ドミティアは真っ赤になってしゃがみ込んだ。ドミティアはスカートを履いて木登りと降下をしていた。いくら重力緩和を使っても飛び降りたときにはスカートがめくれあがっていた。それを思い出したのだ。
イフリキアとドミティアの初対面だった。
「あなた、すごいわね」
これがイフリキアの最初の言葉だった。何を言われているのかドミティアは分からず、きょとんとした表情でイフリキアを見つめた。
「こんな小さいのに、あなたの魔纏は私が見た中で一番、だわ」
小さいと言われてドミティアは少しむくれた。同年代の少女の中で体格は小さい方でそれを気にしていたからだ。
「私小さくありません、もう8歳です」
敬語を使ったのは魔法使いのマントを纏って姿勢良く立っている女がただならない相手だと感じたからだ。それは合っていたが同じフェリケリウス一門に属するとまでは思っていなかった。
「あら、ごめんなさい。私、イフリキアと言うの、お嬢ちゃんは何という名前?」
「ドミティア、と申します」
気取った様子でそう答えたが、女にはその名前に心当たりがあったようだ。
「ひょっとしたら、カルロ・フェリケリウス・ルファイエ様のお嬢様?」
「父をご存じなんですか?」
「やはりそうなの。私たち遠い親戚ね、私はイフリキア・フェリケリウス・ジンと言うの」
「イフリキア様?」
敬語を使っていて良かったと思いながら、相手の名前を呼んでみた。
「はい、ドミティア様」
そう呼ばれるとなんだか一人前扱いされているようで心地よかった。
「魔纏って何ですか?」
「えっ?さっきやっていたでしょう?足や手に魔力を纏わせて動いていたじゃない」
“気”を入れているつもりだった。あれが魔纏なのだろうか?
「さっき私がやっていたのが魔纏なんですか?」
「魔纏と知らずにやっていたの?だったらなおのことすごいわ。魔力の流れも魔力層の厚さの均一性も私の見た中では一番だったわ。しかもまだ成長途中!」
イフリキアに褒められるのはくすぐったかった。
「もう一度やってみて」
イフリキアにそう言われて手と足に“気”を入れてみた。
「ちょっと失礼」
イフリキアはそう言って、手掌でドミティアの、魔纏したままの両手と両足をゆっくりとなでていった。ピキピキというような感覚がイフリキアの手掌の動きに合わせて感じられた。
「これでいいわ。ドミティア様、すこし走ってみてください」
イフリキアに言われて軽く走ってみた。明らかに歩幅が大きく、速度が速まっていた。走り出して慌てて止まって、スカートを抑えた。何でこんなに速いんだろう?
不思議そうな顔をするドミティアに、
「魔力の流れを少しだけ調整したの。多分2割ほど効率が良くなっていると思うわ」
えっという顔をしたドミティアに、
「一度で調整を終わらせるのは無理だから、あと何回かおなじようなことをする必要があるし、魔力が成長すればそれに応じた調整も必要になるわ」
――わたしの属するルファイエ家は皇家の中でも魔法に長けた者が多く出る家系で、それゆえ伝統的に魔法院の管理を任されていました。ただわたしはルファイエ家の中では魔法の才能が乏しく、通心も転移も念動も出来ませんでした。だから一層身体を動かすことに熱心だったのかもしれません。
イフリキア様に会って初めて自分も常以上の魔法を使える――既に使っている――事に気づきました。魔纏というのは、イフリキア様が魔纏強化の魔器を作られるようになって注目されましたが、それまでは外れ魔法の扱いでした。肉体的には頑丈と言えない魔法使いが使っても常人並み、あるいはせいぜい常人を少し上回る程度の力を発揮できるに過ぎなかったのです。だからわたしが小さい頃から使っていても誰も注目しませんでした。
そんな魔纏の魔法でしたが、イフリキア様の作った魔器で強化すれば常人をはるかに上回る運動能力を持つことが分かったのです。帝国は国中を浚えて兵役に耐える、魔纏の使える魔法使いを集めました。それに魔器を与えて訓練したのが槍の穂先部隊です。槍の穂先に加わってなくても、魔纏のできる魔法使いで国軍に属している兵には魔器が与えられました。
イフリキア様が魔纏強化の魔器を作られるようになったのはわたしがきっかけでした。わたしの魔纏を見て、それを調整すれば肉体的な力が大きく伸びるのを見て、それで法陣を作り、魔器を作られたのだと言われたことがあります。尤もイフリキア様が作られたのは法陣だけで、魔器そのものの作成は魔法院の魔法使いに任せていました。何百もの魔器をご自分で作るには忙しすぎたのだと聞きました。
わたしは父の出勤日には欠かさず付いていくようになりました。でもイフリキア様は忙しく、わたしが会えるのは3~4回に1回位でした。私は身体も魔力もまさに成長期にありました。会う度にイフリキア様はわたしの魔纏の調整をしてくれました。結果、わたしは魔器がなくても槍の穂先部隊の隊員に遜色ない運動能力を得ました。
父はわたしがイフリキア様と親しくなったことを喜んでいました。イフリキア様は余り他人と馴染まなかったからです。大人と子供という関係だったのに、わたしが魔法院の中でイフリキア様に一番気を許された存在だったのです。
「お前はイフリキアの息子と同い年だからな、それでかもしれん」
父がそう言ったことがあります。
「息子?イフリキア様にお子がいるのですか?」
イフリキア様の周りに子供がいる気配を感じたことはありません。また魔法院全体に拡げても子供の気配を感じたことはありません。
「ああ、ここには居ない、特殊な事情があるからな」
それがどんな事情なのか父は教えてくれませんでした。またそれを深く追求してはならないのだと言うことは父の雰囲気から分かりました。上級の貴族階級に属する者に必ず要求される資質です。雰囲気からするべき事、してはならないことを察する能力というのは。
わたしは12歳になって上流階級の子弟向けの寄宿学校に、さらに15歳になって士官学校に入学しました。寄宿学校に入った頃から魔纏をしての武技の訓練に邁進するようになりました。魔纏以外の魔法については、特に軍で要求される通心や探知はとうとうものになりませんでした。2年もすると父の配下で一番強いと言われた兵――上級十人長でしたが――とも互角に戦えるようになりました。最初は手加減されているのかも知れないと思っていたのですが、そうでもないことは訓練が終わったときに相手が肩で息をしているので分かりました。わたしは割と平気だったのですが。
「ねえ、帝国で一番剣の強い人って誰?」
その上級十人長に訊いてみたことがあります。
「デクティス・セルモア様でしょう」
即答でした。
「デクティス・セルモア?」
「近衛の上級百人長をされています」
後に士官学校で武技の指導教官からも同じ返事をもらいました。その強さは卓越し人間離れしているという話でした。剣でも槍でも、無手の体術でも傑出していると聞きました。一度その武技を見てみたいと思っていましたが、陛下から直々の特殊な任務を賜わっているということで、姿を見ることさえかないませんでした。
士官学校は魔法士ではなく、一般の士官になる課程に入りました。士官学校のカリキュラムは厳しく特段の事情がない限り欠席は許されませんでした。わたしとイフリキア様の関係はどうしても疎遠になりました。卒業して近衛に配属され、さらに皇家に属するという特殊な事情もあり、それ以降イフリキア様に会うこともなく、事故で亡くなったという報告を聞くまでイフリキア様の名を想い返すことも少なかったのです――
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