第22話 ドミティアの回想 1

 ドミティア皇女は自分にあてがわれている部屋まで戻ると、後ろから付いてきている2人の女兵士、――エリスとリリシア――にその日の護衛任務の終了を告げて部屋に入っていった。魔法士のリリシアがドミティア皇女の部屋に探知結界をかけて隣に用意されている自分たちの部屋に入った。


 ドミティア皇女は腰から剣を外し、ソファに座ると少し顔を上げて目をつぶった。先ほどのディアステネス上将の言葉を反芻した。


――魔法で、頭を吹き飛ばす?――


 以前にイフリキア様に訊いたことがある。


“魔法で攻撃することはできないのですか?”


 ――寄宿学校に行く少し前のことだった。だから12歳になったころだ。もう5~6年も前になる。

 何故そんなことを訊いたのか?イフリキア様が、あの“帝国の魔女”と呼ばれていた、傑出した魔法使いだったイフリキア様が、肉体による戦闘力においては本当に弱かったからだ。他の魔法使いが追随できない優れた法陣描きで、膨大な魔力を持ち、様々な魔法を自在に操ることができるイフリキア様だったが、身体の力に関してはお話にならなかった。接近することができれば、剣を習い始めたばかりの寄宿学校の生徒でも簡単に倒すことができるだろう。イフリキア様が行使する魔力のほんの一部でも攻撃に使うことができればイフリキア様は無敵に近くなるのではないかと考えたのだ――


 イフリキアはその質問にびっくりしたようにドミティアを見て、顎に手を当てて考え込んだ。その顔はこの上なく真剣だった。

 そしてゆっくり口を開いた。とても大事なことを話すように強い光を湛えた目でまっすぐにドミティアを見ていた。


「今の魔法はガイウス大帝様が整理し、体系づけた魔法だって事は知っているでしょう?」


 ドミティア皇女は頷いた。魔法使いの間では常識だった。


「法陣も大帝様が作られたものなの」


 このことも知っていたから、イフリキアに見つめられたままこくこくと頷いた。


「大帝様は、まるで字を書くようにすらすらと法陣紋様を描かれたと伝えられているわ。後世の魔法使い、とくに法陣を描く魔法使いは大帝様の残された膨大な量の法陣を真似して描き、法陣紋様のどの部分がどんな力を持っているか調べるのが仕事みたいなものだったのよ。でも法陣紋様のどこが独立した部分なのか、どこで区切ればいいのか、どの部分が必要不可欠なのか、どことどこが共鳴しているのか、大帝様は何もおっしゃってなかった。だから本当に無数の組み合わせがあって雲をつかむようなものだったの。大帝様の法陣を研究して新たに作られた紋様なんてほんのわずかなものよ。それも全く新しい法陣なんてものではなく、大帝様の法陣紋様にちょっと何か――それも大帝様の他の法陣から持ってきた紋様――を付け加えたり、ほんの一部を描き換えたり、順番を少し入れ替えたりしたものばかり。効果もたいしたことはなくて、元の紋様の方が良かったなんてことも度々だった」



 魔法院の総裁を務めているルファイエ家代々の当主が頭を痛めていたことだった。いつも魔法院からの成果が少ない、少なすぎると歴代の皇帝から責められていた。だからこそ大帝以来の法陣描きと言われたイフリキアが不慮の事故で死んだときのガイウス7世の怒りは強かったのだ。イフリキアの歳を考えるとまだまだたくさんの法陣が作れるはずだった。



「ねっ、これから私が言うことは秘密よ。誰にも言わないと約束できる?あなたのお父様はもちろんね」


 イフリキアは右手の人差し指を立てて、唇に当てながらどこかふざけたような口調でドミティアに言った。ドミティアが見たそのときのイフリキアの顔は、口調と裏腹にひどく真剣なものだった。ドミティアも顔を引き締めて、


「はい、約束します」


 イフリキアは顔をほころばせた。このときの笑ったイフリキアの顔は歳より若かった。幼いと言ってもいいくらいだった。魔法院で仕事をしているイフリキアはいつも難しい顔をしていたから、そして滅多に笑わなかったから、ドミティアにも思いがけないような顔だった。同年配の友人と秘密を共有する、そんな感じの表情だった。相手は12歳のドミティアだったのだけれども。


「私はね、法陣紋様を読むことができるの。もちろん全部ではないけれど」


 ドミティアは吃驚した。ぽかーんと口を開けた。なんてことができるなんて考えたこともなかった。


「文字を覚えたての子供がたどたどしく読んでいくみたいなものだけれどね。でも意味が分かる紋様から分からない部分を推測して少しずつ読める紋様を増やしていったの。何年も掛けて」


 ジンから教えられた知識だった。ジンと一緒だったのは短い期間で、他にもしたいことがたくさんあったから、教えられたことは多くはなかった。それでも読み方の基礎になるところはほぼ含まれていた。

 このことは誰にも言わなかった。魔法院の院長にも、総裁にも、一緒に研究している同僚にも。


 院長や総裁から仕事の進み具合をわざと遅くしているのではないかと問われたことがある。


「まさか」


とはぐらかしたが、このことを院長や総裁が知っていればその疑いをますます濃くしたことだろう。



「そうして読んでいると、法陣の組み立てに不自然なところがあることに気づいたの。そこでは魔力の流れが滞るし、奇妙に跳ぶし。私以外の魔法使いは気がつかなかったけれどね。自分の理解が足りないからだと最初は思ったわ。でもいくら理解が進んでも不自然なところは不自然なままだった。それで、そのうち気づいたの。大帝様がわざと外した紋様があることに」

「大帝様にとって、私たちに残したくない魔法があると言うことですか?」

「ドミティア様は賢いわ。私もそう思ったの」


 イフリキアは相手が子供だということを忘れたように話し続けた。


「これはあくまで私の想像だけれど、大帝様が残したくなかった魔法が、攻撃魔法だと思うの。大帝様がつくられた魔法体系と併せて考えるとそう考えるのが自然だわ」

「何故ですか?攻撃魔法が使えたら魔法使いの重要性がもっと上がるのではないですか?」

 

 当然のドミティアの疑問だった。ガイウス大帝は非常に優れた魔法使いだったからその地位を高めるのは自然なことだと思ったのだ。


「多分……」

「多分?」

「大帝様が為政者で、支配者だったからだと思うわ。魔法使いである、ということの前に」

「……?」


 ドミティアにはイフリキアの言っていることが分からなかった。不審な顔のドミティアにイフリキアが言葉を継いだ。


「魔法を攻撃に使ったらどうなると思う?ドミティア様」


 ドミティア皇女は首を傾げた。想像がつかなかった。


「大帝様の生涯の前半は中原の統一のための戦いの連続だったと言い伝えられているわ」

「はい、そのときに通心や索敵の魔法を使って連戦連勝だったと聞いています」

 

 敵情の把握と連絡速度が比較にならなかった。ガイウス大帝の臨んだどの戦場でも圧勝と言って良かった。


「戦いに勝つためには、通心と索敵だけで大帝様にとっては充分だったの。そこに攻撃魔法を使えば周りに与える影響が大きすぎるのよ」

「それは一体どういうこと……」

「死傷者の数も膨大になるし、街や農地に与える損害も桁違いになるわ。魔法を直接攻撃に使うようになると。――戦に勝った後その地を治めることを考えると、あまりに多い死傷者や荒れ果てた街や農地は統治の邪魔になると思わない?」

「それで大帝様は攻撃魔法を封印されたというのですか?」

「そう、大帝様の作られた体系下で魔法を学んだものは攻撃魔法が使えない。そういう風に仕組まれたのだと思うわ、私は」


 大帝の作った魔法体系から外れた者、例えばレフなら、ジン様の知識を持っているレフなら攻撃魔法を遣うことができるかも知れない、そのとき、イフリキアはそう思ったのだ。








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