第21話 皇女と将軍 1
執務室に戻って書類に目を通し始めたディアステネス上将はノックの音で顔を上げた。いつも側に付いている魔法士を見た。魔法士が頷いた。予想通りと言うことだ。上将が自ら返事をした。
「ドアは開いております、殿下。どうぞお入りください」
魔法士があけたドアから入ってきたのはドミティア皇女だった。上将が顎をあげて合図をすると魔法士と2人の護衛兵が部屋を出て行った。それを見て、
「エリス、リリシア、あなた達も出てなさい」
ドミティア皇女は後ろに付いてきていた女兵士に命じた。上将がこれからの話を他人に聞かせたくないと思っていることを感じたからだ。皇女が命じなくても上将がそう命じただろう。エリスと呼ばれた女兵士がドアを閉めると部屋は皇女と上将の2人きりになった。
「どうぞお座りください」
上将に促されて皇女は部屋の応接用の椅子に座った。決して粗末な椅子というわけではないが、屋敷の中にはもっと豪華な椅子がいくらもある。それをあえて使ってないのは上将の意向だった。上将が丈の低い机を挟んで向かい合わせに座った。
「説明してくれますか?」
いきなりそう切り出した皇女に上将は軽く顔をほころばせた。レアード王子を閉じ込めてある部屋には、中の様子を窺うためののぞき窓が家具に擬装して設置してある。そこに皇女がいたのを上将は知っていた。おつきの魔法士が教えたのだ。
「何のことですかな?」
一応とぼけてみた。
「あなたは講和の権限を与えられているの?」
直球だった。ガイウス7世の命令はテルジエス平原の征服だったはずだ。その後のことに関しては、テルジエス平原を平定した時点であらためてガイウス7世からの命令が出ることになっていた。
「いいえ」
しれっとした顔で上将は答えた。
ガイウス7世は部下の独断専行を嫌う。そんなことは軍の最高幹部の一人であるディアステネス上将なら嫌と言うほど知っているはずだ。
「ではなぜあの王子に講和を提案したの?」
「あの条件を今の時点で王国が飲むわけはないから、ですな。ですから講和など成立するわけがない」
つまり、結果的には越権行為になるはずがないと思っているわけだ。ばれても軍司令官に決定権がある作戦の一つだと強弁するつもりだろう。
「私もそう思うわ、手ひどくやられたとはいえ、まだ王国には抵抗する力が残っているもの」
「まあ、
「じゃあなぜ……?」
「あの王子を解放するのが不自然に見えないようにするためですな」
「レアード王子を解放するのが目的なの?」
訳が分からないという顔で皇女が尋ねた。
「せっかく敵国の王族を捕虜にしたのよ」
やはり理解できないかという表情で、
「あの王子は無能です。政治的にも軍事的にも全く才能がありません。かといって人を引きつけるカリスマがあるわけでもないし、人を使うこともできない。無能の自覚がないから差し出口を控えることもない。王家に生まれたプライドだけは高くて、他人にそれを最大限尊重するように要求する。まあ上に立つ者、特に軍に於いて上に立つ者としては最悪です」
「ひどい言い方ね。まるで取り柄がないということ?」
ひょっとしたら上将は皇家の者に対してもこんな風に思うのかもしれない、無能であれば。そう言えば上将は皇家の者一人一人についてどう評価しているのかしら?合格点を付けている者がいるのかしら?
「そうですな。そのことについては捕虜を尋問して確信しました。王国軍司令部の中に深刻な意見対立があったのに、それを全く収拾できてない、声の大きな人間の意見に引きずられるし、自分の耳に快い意見しか採り上げない。形式的にせよレアード王子が最終決定権を持っているため、一貫した方針を採択することができなかった。戦場に到着したときはまだ作戦が中途半端なままだったわけです。だから王国軍はあんなに容易く崩壊してしまった」
上将が言葉を継いだ。
「此度の敗戦で王国では責任が追及されるでしょう。当然最大の責任は、形式だけとはいえ最高司令官だったあの王子にあるわけですが、そんなことを認めるわけがない。実質的な司令官だったルドメ上将か、早期の出兵を執拗に迫ったエンセンテ宗家の当主かになすりつけるでしょう。ルドメ上将は戦死してますから、エンセンテ宗家の当主――なんと言いましたかな――そうそうディアドゥ・エンセンテという名前でしたな、その男との責任のなすりつけあいになるでしょう。王家としても西部の大貴族であるエンセンテ一門の宗家を頭ごなしに叱りつけて処分するわけにも行かない。そんなことをすればエンセンテ一門がこぞって帝国に寝返るかもしれませんからな。かと言って第二王子であるレアードの責任としてしまうわけにも行かない。当然王室の権威は落ちるし、王国の上層部はガタガタです。私としてはこれからもレアード殿下のご活躍を祈りますがね」
ドミティア皇女があきれたという顔で上将を見た。
「それに……」
「まだあるの?」
「捕虜の中で一番身分の高い人間が、一番最初に何の条件も付けずに解放された、これを王国人がどう思うかですな」
「王国に疑心暗鬼をもたらすための陰謀」
「その通りです。でもそこまで冷静に判断できる者がどれくらいいるでしょうか?」
「普通はそうは考えないの?」
「その疑心暗鬼にとらわれます。戦死したり、捕虜になったりした兵や下級将校の身内や知り合いの多くは、王子が何らかの取引を帝国としたのだと考えるでしょう。捕虜達はとりあえず奴隷に売られます。戦争が終われば買い戻される事もあるでしょうが、それだけの金が用意できない場合一生奴隷です。貴族か大商人ででもないと、とてもそんな金はありません。戦争奴隷の扱いなんてひどいものです。鉱山に送られでもしたら何年生きていられるか。そんな中で敗戦の一番の責任者がのうのうと帰ってくる。しかも王子は民達の感情に気づくこともないでしょうし、誰かに忠告されても気にもしないでしょう。高貴な身分である自分が特別扱いされるのは当然と考えているでしょうから。レアード王子には是非もう一度戦場に出てきてほしいものですな。戦場に於いては無能な敵ほど望ましいものはありません。ましてそれが司令部にいれば言うことはありませんな」
ディアステネス上将は饒舌だった。一つの行為が様々な波紋を呼ぶ。皇家に属し、帝国の上層部にある程度の影響力のある身分の皇女には、その力を把握して行動を決めてほしいと思っていた。おそらく今以降もディアステネス上将の軍に関与してくるのだから。レアード王子はいい反面教師だった。
ドミティア皇女があきれた表情で肩をすくめた。
――そんなことまで考えているんだ――
ドミティア皇女は戦慄する思いだった。ディアステネス上将は人間の負の感情をとことん利用するつもりだ。
「ディアステネス上将がこんなに人が悪いなんて考えていなかったわ。するとあの話も本当なのかしらと思えてくるわ」
「あの話?何のことですかな」
「総攻撃の前に、闇の烏大隊のゲミアヌス上級千人長に、ルドメ上将だけは確実に仕留めるようにって命令したという話」
ディアステネス上将は片眉を上げた。
「ほう、それはまた……、殿下の耳はずいぶんと性能のいい耳のようですな。拾う必要のない話まで拾ってこられるようだ」
別に極秘の話ではなかった。出撃前の闇の烏大隊の所までわざわざ行って、ゲミアヌス上級千人長にした話だった。周りに居た闇の烏大隊の幹部隊員とディアステネス上将の副官と護衛兵には聞こえていただろう。しかしそれを言いふらすような者はいなかったはずだ。ドミティア皇女に付いている2人の女兵士のうちリリウスと言ったか、1人は魔法士だ。こんな話を拾ってきたのはその魔法士だろう、かなりの腕のようだ、きちんと考慮に入れておく必要がある。
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