第20話 レアード王子
「レアード・キシリス・アンジェラルド殿下?」
ディアステネス上将に問いかけられて、上将の対面に座っている若い男は不機嫌な上目遣いに上将を見て直ぐに視線を外した。返事がなかったことなど気にもせず上将が言葉を継いだ。
「お初にお目に掛かります。小官はマクレイオ・ディアステネス、帝国より上将を拝命しております。お見知りおきを」
相手が上将と聞いてレアード王子が改めて視線をあげた。レアード王子が居る――閉じ込められている――のは、かってレクドラムとその周辺を治めていた領主の館の一室だった。領主という地位にあれば訪ねてくる客は多い。必ずしも友好的でない者も含めて応接しなければならない場合もある。そういうときに使う応接室だった。ドアは鉄板を芯にして木で覆ってある。壁は厚く、窓は小さく背の届かない高所に付いている。内装と家具は豪華だが、そこが場合によっては敵性の人間を閉じ込めるための部屋であることは紛れもなかった。
闇の烏に襲撃されたときに捕虜になってからずっと、王子はこの部屋に閉じ込められていた。捕虜になったときに何カ所か浅手を負ったが、どの傷も丁寧に治療されていた。この部屋で王子は一人だった。傷の手当てに来た衛生兵や食事を運んでくる小者に、戦況や他に捕虜になっている王国の高級士官がいるか尋ねても、彼らは一切口を利かなかった。食事は戦時で、しかも敵に当たる人物に提供するものと言うことを勘案すれば豪華だった。最初の一、二食は王子が荒れて運ばれてきたものを投げつけたりしたが、小者達は黙々と片付けて部屋を出て行った。その後は空腹に負けて、王子はおとなしく食べるようになった。
――体力を維持しておかなければならないからな。敵が提供したものでも食事は食事だ――
王子の前に3人の男が立っていた。白髪の初老の男が真ん中にいて、その男の両脇を護衛の体格のいい男達が固めていた。3人ともピンと背を伸ばして、いかにも軍人らしく直立していた。
「レアード・キシリス・アンジェラルド、アンジェラルド王国第二王子だ」
不機嫌な声の自己紹介にディアステネス上将が左手の手掌に右手の拳を当てて、軽く頭を下げた。2人の護衛兵は王子に視線を固定したまま動かなかった。上将が姿勢を戻して、
「まず3日もこのような部屋にご滞在頂いたことを、当方の多忙の故とは言え、お詫び申し上げます」
白々しい言い分に王子はぎろりとディアステネス上将を睨んだ。
「それで帝国軍司令官が、敗軍の将に何の用だ?勝ち戦の自慢をしたいのか?」
「いいえ、とんでもない。今回は勝たせていただきましたが、戦場の風は気まぐれなもの、この次はどちらへ向かって吹くものか分からぬ故、敗者をおとしめるなど自分の首を絞めるようなものです」
「ではいったい何の用だ?」
「殿下にご提案が」
「提案?」
「左様です。戦場の風は気まぐれとは言え、今回のシュワービス砦の戦い、またレクドラム周辺での戦いでお分かりかと思いますが、風は一方的に帝国のために吹いております。私の見るところ王国は余りに準備不足、風を逆転させるための手段を持ちません。その上今回の戦いで王国軍の背骨とも言える第一軍が大損害を受け、その司令官であるルドメ上将を失っております」
王子はますます不機嫌さを募らせた表情で黙り込んだ。捕虜になった後どんなふうに戦が進行したのか、王子には一切情報が与えられてなかった。今の上将の言葉は帝国軍が一方的に勝利したことを告げていた。その上、総司令官だったルドメ上将を討ち取ったと言っている。
――分かるものか。第一軍は王国軍の精鋭、そんなに簡単に負けたりはしないはずだ。こいつの言うことをそのまま信じられるものか。ルドメ上将が死んだってことだって本当かどうか――
王子の機嫌などに頓着せずディアステネス上将は続けた。
「このまま戦い続けても王国にとってはいいことはございませんでしょう」
「黙れ!たった2回、局地戦に勝っただけで大口を叩くな。王国にはまだまだ戦力が残っている。貴様達を王国からたたき出すに充分な戦力が!」
レアード王子の言葉は威勢がよかったが、幾分かの震えが混ざっていた。
「東にいる第三軍を当てになさる?東をがら空きにされるつもりですかな?今頃はルルギア周辺で帝国軍と貴国の第三軍がぶつかっております。第三軍が西に転進するなら王国の東側も帝国のものになりますな」
王子はまた不機嫌に黙り込んだ。ディアステネス上将がレアード王子の向かいに座った。断りもなく王族の向かいに座るという無礼にレアード王子がぎろりと上将を睨んだ。相変わらず上将は王子の機嫌などに頓着しなかった。
「講和を提案いたしましょう」
「講和?」
「はい、当然これまでの経過を勘案した条件になりますが。
「なに!」
傲慢な上将の言い分に王子は立ち上がろうとした。将軍の両脇に立っている護衛兵が剣の柄に手をやった。王子は中腰のまま、表情も変えずに座ったままのディアステネス上将をしばらく睨んでいたが、すとんと力が抜けたように腰を落とした。そんな王子の行動などなかったようにディアステネス上将は平板な声で続けた。
「講和の条件です。テルジエス平原を帝国に譲り渡すこと、それ以上の領土要求はしませんが、適当な額の貢納を毎年帝国に治めて頂きたい、具体的な額は下僚の交渉で決めると言うことで。それから王国に帝国から総督を派遣することを承知して頂きたい。王国の政治案件は総督の同意を必要とするということですな」
こんな条件を飲めるわけがなかった。王国領の1/4を譲り渡すことになる上、王都のすぐ側まで帝国領になってしまう。さらに、総督を王家の上に置くことで帝国の属国になれと言っているわけだ。こんな条件を出せば王国は死にものぐるいで抵抗するだろう。レアード王子は憤然とした表情で、条件を提示するディアステネス上将を見ていた。将軍は王子の感情の動きなど無視した。
「殿下を解放しましょう」
王子には将軍が何を言っているのかわからなかった。
「解放?」
訳の分からないまま将軍の発した言葉の一つを繰り返しただけだった。
「今の条件をアンジエームに持ち帰って、ゾルディウス国王陛下にお示し頂きたい。当方の誠意の印に殿下は無条件で解放いたします。捕虜の中から何人か護衛に付けましょう」
話の展開の速さに反応できない王子に将軍はさらに、
「殿下の護衛を誰にするか慎重に選ばなければなりませんが、明日には用意が整うと思いますので、ご出発は明朝になるとお考えください」
ほとんど言い捨てに近い形でそれだけを王子に告げると将軍は立ち上がり、背を向けて部屋を出て行こうとした。2人の護衛兵が上将と王子の間に体を入れた。上将がドアのところで想い出したように振り返って、
「そうそう、言い忘れておりました、殿下。帝国軍本隊も明日からテルジエス平原に進出いたします。やっと再編が終わりました。さすがに6万の大軍となると準備だけでも時間が掛かるものですな。遠からず王都で再度お目にかかれるものと期待しております」
王子の反応も見ずにそのまま部屋を後にした。
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