第18話 レクドラムの戦い 7
しばらくして重苦しい沈黙に耐えられなくなったように皇女が口を開いた。
「お前は平気なの?他の帝国軍部隊は華々しく王国軍を打ち破って手柄を立てているのに、皇女の護衛を命じられては目立った活躍をすることも出来ないでしょう?」
「殿下」
レザノフの口調がひどく冷静なものに変わった。
「この戦はディアステネス上将閣下がシナリオを書かれ、王国軍が間抜けだった所為もありますが、ほぼそのシナリオ通りに進んでおります。つまり、勝利が約束された戦だったわけです。その中で多少暴れたところで上将閣下の掌の上で踊っているに過ぎません。それが個人の武勇や名誉に繋がるわけではありません。全ては上将閣下の栄誉です。部下として求められているのは上将閣下に与えられた役割を確実に果たすことです」
「お前にとってはそれが私の護衛だったということ?」
「その通りです。この戦場に於いては私はそれ以上のことを求められておりませんし、するべきでもありません。余計なことをして不測の事態――たとえば王国軍の残党に殿下が襲われるなど――ということがあってはならないのです。私の部隊が数十人、あるいは百人を越える王国兵を討ち取ってもこの戦の勝ちに資する事はありませんが、殿下に万一のことがあれば勝利に傷が付きます。皇宮内でディアステネス上将閣下を誹謗する者も出てくるやもしれません。殿下の属されるフェリケリウスという名はそれほど重いのです」
説教じみた言い方だったがそれを受け入れるほどにはドミティア皇女も理性的だった。
「なぜこの方角の残敵掃討が終わってないの?」
皇女は質問の方向を変えた。レザノフ百人長は急に方向が変わった質問に戸惑った。皇女は百人長の方を見もせずに質問を繰り返した。
「さっきの方角だとずっと先まで敵が残ってないことを確かめているんでしょう?」
百人長は一つため息をつくとその質問に答えた。
「王国軍が逃げるであろう方角をあらかじめ予測していました。第一軍は王都アンジエームの方へ、第二軍とエンセンテ領軍は領都ジェイミールの方へ逃げるだろうと。小領からの兵達はばらばらに逃げるでしょうが。事実予測の通りでした。追撃もアンジエームとジェイミールの方角に厚くしていました。結果、その方面の主な残敵掃討はほぼ終わっています」
「だけど、こっちの方はそうじゃないと?」
「そうです。まだ敵が残っている可能性があります」
「残っていても所詮は敗残兵でしょう?近衛騎兵の中でも指折りの精鋭と賞されるレザノフ中隊なら恐れることなどないのではなくって?」
「戦場では何が起こるか分かりません。今回の我々の任務は殿下の安全確保です。なにも起こらずに安全である方がずっと好ましいことはさっきの話でおわかりかと思いますが」
「だから私が見た王国兵は死体か捕虜か、――本当に安全だったわ」
――まったくこのおてんば姫は――
「殿下にとっては初陣ではありませんか。焦ることなどなにもないと存じますが?」
「王国軍がこんなに脆いと、さっさと決着が付くかも知れないわ。後から見るとこれが唯一の機会だったなんてことになりかねないわ」
「王国は大国です。この1回の敗戦でそう簡単には……」
そこでレザノフ百人長は思わず言葉を飲み込んだ。思いがけないものを見たのだ。
レザノフの視線に気づいてそれを追ったドミティア皇女も息をのんだ。
2人が見たのは戦闘の痕だった。
倒れているのは王国兵だけではない。それに倍する数の
――そうだ、戦で死ぬのは敵だけではない。味方だって死ぬのだ。こんな一方的な戦でさえ。そんな当たり前のことに今頃気づいたのか、って言われそう――
初めて戦場を見てやはり興奮していたのだろう、その興奮に帝国兵の死体が水を掛けた。皇家の一員としての自分の立場では、同国人に“死ね”と命令しなければならないこともあるのだ。目の前の10体を超す帝国兵の死体が雄弁にそれを告げていた。
レザノフ百人長が戦闘跡に近寄っていく。それに釣られるように皇女もその後を追った。
「周りをクリアーにしろ、警戒を怠るな」
そう言ってレザノフ百人長は馬から下りて戦闘跡の方へ歩いて行った。騎兵中隊の隊員達は半数が戦闘跡を取り囲んで警戒線を作り、残りの半数は周囲のパトロールを始めた。2人の女兵士は皇女の周りを固めた。
「私も行く」
馬を下りかけた皇女に護衛の女兵士が制止の声を上げた。それに対して、
「エリス、リリシア。分かっていると思うけれど、私は行かなければならない。行ってきちんと自分の目で見なければならないの」
女兵士達も慌てて馬を下りて皇女を追った。
レザノフ百人長はそこに倒れている死体を一体一体見て回った。最後に少し離れて倒れている帝国軍と王国軍の士官の死体を
「相打ちなのね。でも6人を相手に11人が全滅なんて、王国の領軍にも腕利きがいると言うことね」
レザノフ百人長は難しい顔のまま首を振った。
「いいえ、相打ちではありません。おそらく6人の王国兵を殲滅した後に、腕利きの王国兵の部隊に襲われたのでしょう」
「えっ?」
そう言われてドミティア皇女はもう一度倒れている王国兵と帝国兵を見回した。
「何故……、何故そう言えるの?」
皇女には分からなかった。
「傷の付き方です」
「傷の付き方?」
「はい、王国兵達は大小多くの傷を負っています。どれかが致命傷という訳でもなく、多数の傷に体力を削られ、出血のせいで死んだと思われます。それに対して
「そんな!」
皇女は王都の方角に視線を向けた。
「そんな危険な
「血の固まり具合から見ると1刻程前でしょう、もう4里は離れているでしょう」
「追わないの?」
「追いません」
「何故?危険な奴らでしょう」
「我々の第一の任務は殿下の安全確保です。わざわざそんな危険な敵を探して闘うなど任務から大きく外れます」
「だから放っておくって言うわけ?」
「殿下、この戦いは既に勝負が付いています。殿下の安全に影響するかも知れないようなことをする意味がありません」
納得できない顔の皇女に、
「腕利きが少数いたところで戦の趨勢を変えることなどできません。
「相変わらず石頭ね。融通が利かないったら」
「殿下。皇家に属される殿下に求められるのは一般の士官とは違う役割です。戦場の空気をお吸いになった、それだけで充分ではありませんか。敵と直接交戦するという経験など必要ありません」
レザノフ百人長は自分の馬の所まで戻って皇女を振り返った。
「帰りますよ」
ドミティア皇女はレザノフ百人長の言葉にプイと横を向いたが、レクドラムの方へ帰り始めたレザノフの後に付いていくくらいの分別は残っていた。あわてて馬の所へ戻ると身軽に飛び乗ってレザノフの後に付いた。皇女を取り囲むように中隊が隊列を作って駆け始めた。女兵士二人もほっとした顔でレザノフ中隊の隊列の中に入っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます