第12話 強化-アニエス-
あたしはレフ様と一緒に海辺へ来ていた。この前レフ様がデクティスという男と死闘を繰り広げたところより少し東寄りで、砂浜が岩場に変わり始めるあたりだった。歩いて行ったせいでもう陽が高くなり始めていた。エガリオ様に頼めば馬くらい利用できるのに、
「馬で出入りしたら目立つだろう?」
の一言で徒歩になった。確かに平民で馬に乗って門を出入りする人間は、大商人や傭兵を除いてほとんどいない。
今日は珍しくシエンヌが一緒ではなかった。彼女には彼女のやるべきことがあったからだ。
防風林を海側に抜けたところでレフ様が立ち止まってあたしの方を振り返った。
「よし、アニエス、そこで灯火を出してみろ」
こんな真昼に灯火を出してどうするのかとは思ったがレフ様の言うとおりに目の前に灯火を出してみた。昼の日差しの中で私の目の前に浮かんだ灯火はいかにも頼りなかった。
「できるだけ明るくして」
レフ様に言われて、最大に明るくしてみた。
「それで、明かりの大きさをできるだけ小さくして」
目の前に浮かんでいる光球の大きさは10デファル位だった。それを小さくするなんて今までやったことがなかった。
「えっ?」
あたしの疑問に、
「周りから包み込むような感じで押してみて。光源の大きさをできるだけ小さくするんだ」
心許ないアドヴァイスだったが包み込んで潰すイメージで光球に干渉してみた。光球が少しずつ小さくなる。なれないことは疲れる。それだけでなくすごい勢いで魔力が減っていく。単に灯火を保つだけなら、あたしは2日くらいは続けることができる。こんなことをしていたらあっという間に枯渇しそうだ。それでも光球は徐々に小さくなった。光球の径が半分くらいになったとき魔力の限界になった。光球の形がいきなりゆがんだ。いびつな楕円になったかと思ったら元の大きさの光球に戻った。あたしは思わず膝をついて続いて四つん這いになった。全身に力が入らなかった。四つん這いのまま肩で息をしている私にレフ様が近づいてきた。レフ様が顔を上げたあたしのそばにしゃがみ込んだ。
「魔力の使い方に無駄が多すぎる」
無遠慮な言葉に思わず反論していた。
「だって、こんなことは、初めてで、要領が…」
レフ様の右手が伸びてきて、その指があたしの頬に触れた。隷属紋を刻まれてからレフ様があたしに触れたのは、これが初めてだった。レフ様の指は温かく、触れられた頬から魔力が流れ込んでくるのが分かった。
「レフ様の魔力が…」
「どうだ、少しは元気が回復したか?」
レフ様の声が優しかった。魔力を
「これ」
と言って渡してくれたのは、2デファルほどの大きさのガラスの球だった。見ると表面にびっしりと紋様が描かれている。文様の中心に小さな突起があって、その突起に細く長い金属の鎖が付いている。鎖が輪になっているのは頸からかけるためだろうがこの長さでは服の下に隠れてしまう。人に見せる物ではないのだろう。
不審そうな顔をするあたしに、
「魔器だ」
なじみのない言葉だ。
「魔器?」
こんなものを見るのは初めてだった。
「球の表面に法陣が魔導銀で描いてある。さっきの光球を小さくする作業を補助してくれる」
あたしは掌に球を転がしながら魔器を見た。平たい金属板の上に法陣を描いたものは見たことがある。金属板を均一に平らにするにも、その上に法陣を描くにも恐ろしく手間がかかる。普通は法陣を描くのに魔力を通す特殊な染料を使う。法陣描画に魔導銀を使えば魔力を通す効率は遙かに高くなるが、ますます高価なものになる。でもそれがあれば魔法の効果が増加する。染料を使っても倍くらいの効果が期待できる。魔導銀を使った物なんてどれくらい効果が高まるか想像もできない。平板の上に法陣を描くのも難しくそれができる魔法使いも少ないのに、球面の上に描くなんてどれくらいの手間がかかるのだろう。
レフ様がエガリオ様にガラスの塊と魔導銀を要求して、ここ10日ほど食事の時間を除いて地下の作業室にこもっていたのはこれを作っていたのだと思い当たった。
「きれい…」
レフ様が法陣のある箇所を指して
「魔力を通してみろ。指を2本こことここに当てて」
レフ様が直接あたしの手を取って触れるべきところに指を置いてくれた。
「アニエスの魔力パターンに合うようにしてある」
魔導銀に魔力を通したことならある。それを思い出しながら右手の人差し指と中指を法陣にあててやってみた。掌の上で球の表面の法陣に小さな光がいくつも走った。そして、直ぐに法陣全体が淡く光り始めた。
「もっときれいになった」
魔導銀は見る角度によって様々な色に見えた。赤く見えたり、青く見えたり、白く光ったりしている。
「元に戻したければこことここに指を当てて同じことをすればいい」
あたしは頷いた。スイッチを入れる紋様と切る紋様があるのだ。
「それを握ってさっきのことをもう一度やってみろ」
魔器を左手に握る。体温より少し暖かい。光球を出して、圧縮する。今度はずっと早く楽に、さっきと同じくらいの大きさになった。しかしそこでまた光球ゆがみ、元の大きさに戻った。でも今度は魔力切れは起こさなかった。
「魔力の使い方がずっと効率よくなったな、後は練習だ。出来るだけ小さくしてみろ」
同じことを何回繰り返しただろう。最初は5回繰り返して魔力切れを起こした。レフ様に魔力を補充して貰って次は10回繰り返すことが出来た。だんだん小さくすることが出来るようになったが、ある大きさで光球がゆがみ、元の大きさに戻る。しかし少しずつ要領が分かってきた。魔力消費も少なくなり、光球の圧縮もうまくなっていった。おそらく100回近く、それくらい繰り返した後で、光球は1デファルくらいの大きさになって安定した。まぶしい位に白く光っている。それに熱い。小さくなった光球を見ながらレフ様が、
「さすがだな、魔器なしでも大きさを見かけで半分、体積で8分の1にできるのだから、魔器があればそれくらい簡単にできるか。アニエスは才能があるな」
簡単に、なのだろうか?散々繰り返してやっとできたのに。
あたしは呆然と目の前に浮かぶまぶしい小さな光球を見ていた。レフ様に褒められたのはうれしかったが、目の前で起きたことを整理して理解できていなかった。
「次はこの光球を弾いてみよう」
「弾くのですか?おはじきみたいに」
あたしの例えにレフ様がふっと笑った。
「そうだ、おはじきを弾くようなつもりで、魔力でその光球を弾いてみろ。そうだな…」
レフ様は顔を上げて周りを見渡した。
「あれがいい」
レフ様が指さしたのは20ファルほど離れたところにポツンと立っている木だった。
「あの木の一番下の枝の根元を見ながら弾いてみろ」
訳が分からなかったが言われたとおりに枝の根元を見ながら魔力で光球を弾くイメージをした。途端に目の前から光球が消え、見つめていた枝の根元でボンッと言う音がして枝がはじけ飛んだ。
「えっ?」
思わず間の抜けた声が出た。レフ様が軽く拍手をしている。
「すごい、すごいじゃないか。1回でできるなんてアニエスは才能がある」
「一体なにが?」
訳が分からなかった。一体なにがおこったのか?あたしは間の抜けた顔で手の上の魔器を見つめていた。なんだ、これは一体?あたしのような平凡な力量の魔法使いにこんなことができるようにする。これは魔法による攻撃ではないか?攻撃魔法など聞いたこともない。恐ろしい。魔器が恐ろしいのか、レフ様が恐ろしいのか、おそらくその両方だろう。
それから午後いっぱい、時間まで(何しろアンジエームの市門は日の入りとともに閉められてしまう)光球を作って、縮小して、何かにぶつけるという作業を繰り返した。終わる頃には最初の半分の魔力で同じ威力の熱弾(レフ様の命名)を撃てるようになった。それでも何回か魔力切れを起こし、そのたびにレフ様に補給してもらった。最後の補給の時に(日の傾き具合からそれが最後だと分かった)、頬に当てられたレフ様の手を取って手背に強引にキスしてやった。レフ様はびっくりしたような顔になったが、それでも手を引っ込めたりせずおとなしくあたしのキスを受けてくれた。
それにしても熱弾はすごい威力だった。そして的があたしの視界に入る限り百発百中だった。的になる物をじっと見つめて弾けば外れることはなかった。
「どうして当たるんだろう?」
思わず呟いたあたしに、
「そういう風に法陣を組んだからな」
レフ様がそれが当たり前のことでもあるように答えた。
熱弾が100ファル以内で当たれば直径5デファルほどの木の枝が吹き飛んだ。10ファルの距離で硬い岩に光球の径より少し大きくて深い穴ができたときには開いた口が塞がらなかった。鉄の鎧を着ていてもこれをを防ぐことはできないだろう。たとえ装甲の一番厚いところが抜けなくても継ぎ目を狙えばいい。そして継ぎ目を狙うことなど簡単だ。撃ち出すときにそこを見ていればいいのだから。
「これでアニエスもある程度は自分の身を守ることができるようになったわけだ。ただあまり敵を近づけないように気をつけろ、次々に間を置かず撃てるわけではないからな。それに的に当てるには的をじっと見続けていなければならない。他のことに注意が行かなくなる。その時に攻撃されたら防ぐのは難しい。その辺のことに注意が必要だ」
確かに、光球を生成して、縮小して、撃ち出す、この一連の動作に二呼吸するほどの時間がかかる。一度に一発しか撃てないし、多数の敵に間を置かず次々にかかってこられたら間に合わない。そして的を見つめている間は他のことに目がいかない。レフ様の言葉を心に刻みつけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます