第11話 ガイウス7世

「イフリキアの件、事故だと申すのか?」


 豪華な部屋だった。高い天井から壁に掛けては一面に壁画が描かれ、凝った造りの窓には豪奢なカーテンが掛かっていた。今はカーテンは開けられて、これも凝った模様のレースのカーテンだけになって外光を入れていた。床には毛足の長い、複雑な模様を織り込んだ絨毯が一面にひかれていた。

 大きな机を挟んで2人の男が対面していた。壁を背にこれも豪華な椅子に座っているのは身長が1ファルにも達しようかという偉丈夫だった。机を挟んでその前に立っているのは魔法士のマントを纏った痩せた老人だった。金糸の刺繍を施した赤いマントはこの魔法士が国で最高位の宮廷魔法士であることを示していた。魔法士は痩せた体をさらに縮めるように応えた。


「はい、事故でございました。イフリキア様が転移の魔法を使われ、その転移先の空間に偶然鳥が入り込んだのでございます」


 偉丈夫は眉をひそめた。


「検死員を出すぞ」

「はい、どうかご随意に。イフリキア様の胸から鳥の羽根が突きだしております。あれではいくらイフリキア様が優れた魔法士であられてもどうしようもありません」


 いくらつついてみてもどうやら本当に事故だったらしいと偉丈夫は納得した。


「ふん、起こってしまったことは今更どうしようもないが、命じておいた仕事はどうなのだ?どこまで進んでいる?イフリキアがいなくても完成するのか?」

「陛下、送門の魔器は完成しております。迎門の魔器も完成間近で既に法陣の下書きも出来ております。ここまで来ればイフリキア様がおられなくても何とかなるかと」


偉丈夫――フェリケリア神聖帝国皇帝、ガイウス7世――がそうかというように頷いた。


「それなら予定通りに事を進められるという訳か?」

「いえ、それが…」


 宮廷魔法士の声にガイウス7世の目が鋭さを増した。その声に言い訳じみた響きを感じたのだ。


「『それが…』、なんだ?」

「イフリキア様がおられなくなって、完成までの時間が延びる可能性が高うございます」

「どれくらい伸びるのだ?」

「最短半年は」

「最短で半年だと!」


 怒気を含んだガイウス7世の声に魔法士が縮み上がった。額に冷や汗を浮かべている。それでも魔法士には嘘が言えない。言の葉の民の魔法使いは、虚偽を口にしたときその力を毀損する。精々真実を迂回して触れないようにするのが精一杯だ。だからこのように問い詰められると、のっぴきならないところに追い込まれる。


「個人用の転移魔器も500基ほどしか完成しておりませぬ。これもイフリキア様がおられなくなって数を揃えるのが予定より遅れます」

「半年だ、それ以上伸ばすことは許さぬ!」


 魔法士が平伏した。


「はっ、はい!」


 魔法士が恐る恐る目を上げた。ガイウス7世を直視できず、目が泳いでいる。


「まだ何かあるのか?」

「実は、魔法院にはイフリキア様ほど精緻な法陣を描ける者がおりません。あの細い魔導銀線で均一に魔力を流せるのは、イフリキア様以外には出来る者がおりません。ですので…」


 ガイウス7世は今度は声を出さずにじろりと魔法士を睨んだ。反射的に魔法士が顔を伏せて土下座の形になった。


「言え!」

「迎門の、こっ効率が落ちます」

「具体的には?」

「距離が30里から、20里ほどに落ちると思われます。また1度の魔力充填で運べる人数も1500人から1000人前後に減るかと」


 ガイウス7世は素早く計算した。初期の作戦では20里あれば何とかなる。1000人でも運べればこれも何とかなるだろう。


「その程度なら良いだろう。人数が少なくなる分は法陣をたくさん作れば良いだけだ」


 老いた魔法士の身体がぴくりと動いた。冷や汗が背中を落ちていく。


「そっ、それは難しいかと」

「難しい?なぜだ」

「法陣描画もそうですが、イフリキア様のレベルで真球を作れる者がおりません」

「なに?」

「真球を作る段階からイフリキア様にお願いしておりました。あの大きさであの精度の真球はイフリキア様しか作れません」


 真球の作成も法陣の描画もイフリキアにおんぶにだっこだった。最初に魔法院にイフリキアが来たときはいかにも頼りなさそうな若い女を馬鹿にした。“殿下”が優れた魔法士という箔をつけたがっている、と思った。しかしその能力を見せたときには度肝を抜かれた。真球作成の精度も魔導銀の細線作成の精度も他の追随を許さなかった。あの細さ――髪の毛と同じくらいとイフリキアは説明した――であの量の魔力を均一に通すなど他の魔法士からはインチキにしか見えなかったものだ。


「他の者が作った球に法陣を描けばどうなる?」

「おそらく距離も、人数も半分以下になるだろうと。何より、1里以上の長距離転移の成功率が落ちます。どれくらいに落ちるのか分かりませんが下手をすると半分以下になります」

「転移に失敗するとどうなる?」

「死ぬか、廃人になります。イフリキア様が関与される以前の法陣を使ったときは心が抜け落ちる場合が多うございました。つまり自分で動くことも考えることもなくなります」


 多少とも転移の能力をもつ魔法使いを転移させるための法陣だった。魔器を使って送門と迎門を造り、個人用の転移魔器を持った魔法使いを転移させる。門を使わない転移に比べると転移先の地点を正確に規定することができる。転移先での実体化の速度も段違いに速くなる。ガイウス7世の野望を実現させるために必要なことだった。千人の兵士を敵に知られず任意の場所に移動させることが出来れば、戦ははるかに容易になる。しかし、移動だけで半数が駄目になるとなれば、いかに忠誠心に富んだ者であっても素直に命令に従いはしないだろう。そのスペックでは実用性がなくなる。


「お前達は…、あれだけの予算を使い、あれだけの高禄を食みながら、イフリキア1人に及ばぬと言うか!」


 魔法士はますます縮こまってしまった。ガイウス7世は怒りを爆発させた。


「出て行け!半年以上は待たぬぞ。遅れたら貴様ら魔法院の役立たずどもの首を正門の前に並べてくれるぞ」


 魔法士は這々の体で部屋を退出した。


「役立たず共が!」


 ガイウス7世が吐き捨てるように言うのに、


「陛下」


 横から呼びかける者がいた。


「なんだ、ガラミオ」


 宰相のガラミオ・オキファスだった。今の一部始終を横で冷静な顔で見ていた。


「計画を変更されますか?」


 ガイウス7世の表情が一瞬で冷徹なものに変わった。変更せざるを得ない計画をもう一度思い浮かべて、今の条件下でどう変更するべきかを考える。


「時期は遅らせなければなるまい。しかしシュワービス峠の砦はあれがあれば抜けるだろう。そうすればアンジェラルド王国の西北部は押さえたも同然だ。転移法陣が一組あればテルジエス平原は落とせる。西北部は王国の柔らかい下腹だからな。一気呵成にやることは出来なくなったが、帝国とテルジエスを起点にして東へ向かえば良い。大フェルケリア神聖帝国を再統一することはフェリケリウス皇家に課された義務だ。初代様以降でこれほどの好機はなかったのだ。それを生かせないでは私がガイウス7世として立った意味がない」


 オキファス宰相は頭を下げた。


「さすがは7世陛下、その気概、感服いたしました」

「お前の方は大丈夫なのだろうな、1500の予定が1000に減ったとは言え、転移の魔法を使える魔法士は少ない。ちゃんと集められるのだろうな?」

「少ないとは言っても帝国中を探せばそのくらいの人数は集まります。それより問題はその魔法士共を戦える兵士にすることかと」


 魔法士は肉体的には余り兵士向きではないものが多い。いくら奇襲するとは言ってもある程度の戦闘力がなければお話にならない。


「半年延びましたから、その点は好都合かと。魔法士共に戦闘訓練する余裕が出来ました」


 ガイウス7世は苦笑した。


「焦っても仕方ないか。どんなことにも裏表があるということだな」

「その通りでございましょう、陛下」

「何か言いたいことがありそうだな。そんな風に下手に出てくるとは」

「はい、面白くない報告が一つ、イフリキア殿下のお子のことですが」

「そう言えば、そんなのがいたな。イフリキアがいなくなればイフリキアを縛る鎖もいらん。そうなれば始末しろと言っておいたはずだが」

「取り逃がしたそうです」

「取り逃がした?」

「はい」

「あの館から簡単に逃げられるとは思わないが。それに監視に選り抜きの腕利きを付けたのではなかったか」

「イフリキア様から魔器を貰っていたようです。その魔器を使ってどこかへ転移してしまったという報告を得ております」

「転移阻止の結界を張ってなかったのか?イフリキアと渡り人の子供だ、転移能力を持つ可能性が高いことくらい分かっていただろう」

「張っていたそうです。館にいた魔法士全員で。しかしそれをぶち破られたとのことです。その際結界を張っていた魔法士5人の内2人が廃人になったと報告されています。どうも許容量を超えた魔力をぶつけられたようです。イフリキア様が魔器に込められた魔力は規格外だったとの報告です」


 ガイウス7世は苦い顔になった。


「イフリキアめ、つくづく祟りおる。余の命じたことは未完成のまま逝ってしまいおるし、自分の息子にはけったいな魔器を使わせおる。よい、追跡者を出して始末しろ。イフリキアほどの魔法使いではないだろうがあいつの息子だ、それに特殊な生まれだからな、後々面倒になる可能性がある」

「御意」


 宰相はもう一度丁寧に頭を下げてから退室した。







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