第12話 強化-シエンヌ-

 私の作ったサンドイッチを持ってレフとアニエスは朝早く出かけていきました。私は2人の背中が角を曲がって見えなくなるまで玄関に立っていました。家は玄関を入るとすぐ広めの居間になっています。そこに置いてあるソファに腰掛けて私はスカートのポケットからさっきレフから渡されたものを取り出しました。掌の上でコロコロ転がる魔器の表面の法陣が柔らかく光っています。


「私が帰ってくるまで今日はずっとスタンバイにしておけ」


 レフはそう言っていました。


「そいつは通心の魔器だ。シエンヌと私の魔力に同調させてある。それを使えば、ずっと少ない魔力でずっと遠くまで大量の情報を通心できる。おまえの短杖についている魔導銀より高性能だ」


 接触面積を増やすため魔器を右手で握り込んで、息をのみました。目の前にレフが見ている情景があります。市門へ通じる道で何度も歩いたことのある景色が見えています。ゲイザックとも視覚の共有はできましたがそれよりもずっと視野が広く、鮮やかでした。見ている物一つ一つの形と色がはっきり見えます。でも入ってくる視覚情報が多すぎて処理するのが追いつきません。ズキン、ズキンと頭痛がします。軽い吐き気もあって、思わず両腕を胸の前に回して上体を倒しました。ぎゅっと目をつぶろうとしたとき、視野がすーっと狭くなりました。中心部だけ鮮やかな像を結んでいますが周辺はぼやけています。レフが私の頭痛に気づいて、送る情報を絞ってくれたのです。頭痛はかなり軽減し、楽になりました。でもまだ残っています。視野がさらに狭くなりました。ゲイザックと共有していたときと同じくらいの視野になったとき頭痛は治まりました。


『これくらいなら大丈夫か?』


 レフがそう言ってきました。これくらいの情報量なら自分が見ているものとレフからのものを同時に処理できます。ゲイザックと通信していたときと視野の広さはほぼ同じですが見えている物の色と輪郭はずっとはっきりしています。ゲイザックとは視野の共有と言っても、見ている対象は随分ぼやけていたのだということに今頃気づきました。本当にはっきり見えていたのは視野の中心部分だけだったのです。多分ゲイザックも同じだったのでしょう。


『はい』

『ふ~ん』


 レフの不満そうな意識が伝わってきました。もっと大容量の通心を期待していたのでしょう。私の力を買いかぶりすぎです。と言うより普通の、多少は優秀な通心の魔法士でもこの程度なのです。レフが渡して呉れた魔器の性能が良すぎるのです。


『まあ、いいだろう。続けているうちに慣れてくるだろうから』


 それからその日は1日、レフとアニエスが帰ってくるまで通心はつなぎっぱなしでした。こんな長時間通心を続けたのは初めてでした。1日の終わりにふらふらになりました。平気でこれだけの量の情報を送り続けることができるレフは、いったいどれだけの魔力を持っているのでしょうか?しかも私と通心していながらアニエスに魔力を分けているのです。

 レフとの通心で、アニエスがどんなことができるようになったのかよく分かりました。魔法を直接攻撃に使うことができるのだ、それは昔から、ガイウス大帝が魔法を体系化してからずっと魔法使いがやろうとしてできなかったことです。それをこともなげにレフはやってしまっています。いまさらながら、レフはいったい何者なのだという思いがありました。

 それでもあんな能力ちからを与えられたアニエスが羨ましかったし、アニエスがレフの手にキスしたときは胸の鼓動が早まりました。魔器を握っている手が一瞬震えました。



 次の日、今度は3人で昨日レフとアニエスが行った海岸へ行きました。そこで渡されたのは今度は腕輪でした。1.5デファルほどの正方形の板に鎖が付いていて、その鎖の長さを調節して腕に巻き付けるようになっていました。軽く湾曲していて、湾曲した内面に法陣が描いてありました。


「これは?」


 私の疑問に、


「シエンヌは剣を振るうときに体に魔力を纏わせているだろう」

「えっ?」


 まさか知られているとは思っていませんでした。レフの前で剣を振るったことなど……、そう1度だけありました。武器屋で剣を手に入れたときです。あの短時間の演武でレフが私の能力を見抜くには十分だったのでしょう。


「はい」


 肯うよりありませんでした。


「纏わせている魔力の効率が悪い。無駄が多すぎる」


 レフが口にしたのは私にとって思いがけない言葉でした。魔力を纏わせることによって、私は父様より長い時間剣を振るうことができました。父様よりずっと速く振るうこともできました。自然に覚えたことでした。10歳頃からそうしていたと思います。この能力で私は『アドルの剣姫』と呼ばれるほどの腕になったのです。父様には話しましたが、他人に見破られたことはありませんでした。父様も他人に話すことについては否定的でした。あまり行われない魔法についてはむやみに話さない方がいい、というのが父様の意見でした。他人と変わっていると疎まれることが多い、と言うのです。


「無駄が……、多いのですか?」

「そうだ、だからそれを作ってみた。法陣が描かれている方を内にして腕につけてみろ。利き腕の方だ」


 言われたとおりに鎖の長さを調節して手首につけてみました。腕輪が皮膚にピタッと付いたとき左腕から体全体に広がるふわっとした暖かさを感じました。レフがニコッと笑いました。


「よし、ちゃんとできているようだ。シエンヌ剣を抜いてみろ」


 言われたとおり剣を抜きました。びっくりしました。ひどく軽いのです。この剣を手に入れてから何度も振っていたから手応えは分かっていました。それが全く違っていました。


「体の動きが変わってくる。きちんと慣れなきゃな」


 レフが訓練用の剣を渡してきました。


「相手をしてやろう。慣れたら多分今よりずっと強くなる」


 自分も訓練用のナイフを手に持って私にそう言いました。それから顔だけアニエスに向けて


「あっ、アニエスは昨日の続きだ」


 アニエスはうれしそうに頷いて離れていきました。


 それから午後遅くまで、レフを相手に剣を振るいました。剣を軽く感じるだけではなく、体全体が軽いのです。そして剣を振るい続けても疲れないのです。動きも5割は速くなっていたでしょう。速すぎてバランスが崩れていました。何より自分で思うより身体の動きが速すぎるのです。跳ぶと自分の予想よりずっと遠くへ着地するのです。もう少しで立木にぶつかりそうになり、慌てて躱そうとしてバランスを崩して転びました。その後も躓いて、転んで、剣を保持できなくて、まるで自分の身体ではないような感覚でした。剣を保持できないというのはつまり、振り回す速度と剣を握る握力のバランスが悪いと言うことです。それでも帰る頃には躓いたり、何かにぶつかったり、剣を保持できなくなって飛ばしたりという無様は少なくなりました。でも一つ一つの動作を全て意識しながら行うというのは思った以上に大変なことでした。


「大分よくなってきたな、デクティスより魔纏の効率がいい。まあ技術では遙かに及ばないが。だからしばらく訓練に付き合ってやろう」


 帰り道レフが言ったことです。あの刺客の男―デクティス―も魔力を纏っていたとレフは言います。気がつきませんでした。


 翌日から朝食前に庭でレフと訓練するのが日課になりました。どうやってもレフに打ち込むことはできませんでしたが、自分が強くなっていることは実感していました。速さも力強さもレフとの訓練を通じてさらに増えてきました。横でアニエスも熱球を作る練習をしていました。そしていつの間にか熱球を作るのがとてもスムーズになっていました。1つの熱球を撃ち出してから次の熱球を撃ち出すまでの時間が半分以下になったということです。私の後、アニエスもレフとナイフを使った訓練をします。私から見てもナイフ使いとしてのアニエスの腕はどんどん上がっていました。レフが手加減しているのは私にも分かりましたが、両手でナイフを使うレフの迅さついて行っているのです。それにレフが相手をしているときのアニエスは本当に楽しそうな表情をしていました。真冬でもアンジエームはほとんど雪が降りません。庭での訓練に差し支えることはなく、冬になってもレフと私たち二人は訓練を続けました。






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