第10話 檻の館 2

 単色のレフの生活の中で唯一色が付いていたのは、10日に1度、1刻ほど許されていた母との通心だった。母の作った通心用の魔器を媒介にした通心だったが、外からは窺い得ないほど濃密な接触だった。物心ついたときはもう魔器を手に持って母と通心していた。


 魔器を使うことにより、距離の制限がなくなり、濃縮された思考と感情、知識が母からレフに伝えられた。それはまるで母の膝に抱かれるような暖かさまで感じることができ、母の持つ知識が、もちろん母が取捨選択した知識であろうがレフに溢れるように伝えられた。次の通心までの時間は伝えられた知識を消化するための猶予のようなものだった。同時にレフのしたこと、考えたこと、感じたことも母に流れていった。母は基本、何でも褒めてくれた。レフが読んだ本、そこから得た知識、できるようになった魔法――周囲にいる監視兵や侍女達には知られないようにすることが多かったが――、デクティスと短剣の訓練を始めたことさえ褒めてくれた。


「そう、デクティスの武技は優れたものと聞いているわ、しっかり教えてもらいなさい。でも私はレフがそんな物を使う機会がないことを祈っているわ」


 それはとても濃厚な時間だった。1刻の間にレフと母は他の母子が数ヶ月掛けて行うような交流をしていた。だからこそ幼いレフが他人の間で育つことが出来たのだ。そしてこの遣り方でレフは自分の置かれた立場、なぜこんな場所で監禁同然の生活をしなければならないのか、母がどんなことをしているのか少しずつ理解していった。



 レフの母は魔法使いだった。国で並ぶものの無い優れた魔法使いといって間違いなかった。通心用の魔器は彼女が作ったものだった。魔器の性能は、その土台になるガラス、あるいは水晶の球――遠隔魔法(念話、転移、念動)の為の魔器ではそれが真球に近いほど性能が上がる――、精製される魔導銀線の性能、その魔道銀線を使って書き込まれる法陣の正確さ、精密さ、そして魔器を使う魔法使いの能力によって決まる。魔器の製造でも母は国で最高の腕を持っていた。真球を作る能力、魔導銀線を作る能力、法陣を描く能力、どれも傑出していた。


 魔力おいても母とレフの能力は普通の魔法使いのレベルを何段も凌駕していた。母はそれをおおっぴらに見せ、レフは出来るだけ隠した。側近くにいる侍女や執事にも見せないように幼い頃から用心していた。母からそう教えられたのだろうが、物心ついた頃には本能のようになっていた。血筋から普通の人間より強い魔力を持つことは当然予想され、その予想されるレベルにレフはうまく合わせて外に見せていた。

 レフと母が使っている通心用の魔器は大人の拳くらいの大きさだったが、国の中で最も真球に近い物だった。それ以上に大きくなると、母が作った物でさえ真球からのゆがみが大きくなり、特に遠距離の通信の時に載せる情報が拡散し、通心による情報交換が阻害されるようになる。小さいとその分だけ性能が落ち、距離と情報量が少なくなる。真球からのゆがみの限度と土台の大きさのバランスをとると、国1番といわれる母の能力でもこの大きさのものを作るのが精一杯だった。その土台の上にこれも母がその能力一杯に精緻で、正確、精密な法陣を描いたもので、レフと母の能力であれば、少なくともこの世界では距離の制限はなかった。ただし遠くなればなるほど通心に載せられる情報量は減少した。


―――――――――――――――――――――――


「イルマ・ジンって、誰?」


 この問いを発したのは、私が11歳になって、デクティスとの実戦形式の格闘訓練がかなりさまになってきたころだった。


「っ!」


 母がびっくりしたように息をのむのが分かった。軽い戸惑いが通心用の魔器越しにも伝わってきた。


 その頃私の魔力が急激に伸びていた。母との通心でも、母がまだ私に報せるつもりのない情報まで、時々だったが引っかかるようになっていた。母が驚いたのはイルマ・ジンの名前を出したことだけではなく、まだ報せるつもりのないことまで私がキャッチしたことに対しても、だっただろう。周囲にいる誰よりも強い魔力持っている母にとっては、あり得ないことだったから。それは母の魔力をたとえ一部分であっても私が上回っていることを示すものだった。そこまで私が成長したことを母は知ったのだ。

 その名前が母にとって特別なものであることはすぐに分かった。名前に付属している母の想いがその周囲に絡みついていた。母にとってとても大事な名前であることは直ぐに分かった。

 そして、母にとって特別な名前というのは、


「父様の名前なの?」


 私には確信があった。イルマというのはどちらかと言えば女性の名前だろうが、単刀直入にそう訊いてみた。


「……、そうよ。ジン様はあなたのお父様」


 暫時のためらいの後に母はそう答えた。いつか話すつもりだったことをこの際全部話してしまおう、そう思ったらしいことが私にも分かった。父様のことを聞くのはこれが初めてだった。母も周囲の人間もそれまで一切触れなかった。私もどういうわけか父様のことは思い浮かばなかった。イルマ・ジンと言う名前を知るまでは。


「だから、私と母様の家門名が“ジン”なのですね」

「そう、私とレフだけの家門名ね。でもジン様は、実はイルマが家門名で、ジンが個人名だっておっしゃってたわ」

「東方の出身なのですか?父様は」


 個人名の前に家門名をおく習慣を持つ地方が東方にあることを私は知っていた。


「いいえ……」


 母はまた言葉をとぎらせた。話すかどうかではなく、どう話すかを決めかねているようだった。私は辛抱強く母が話し始めるのを待っていた。


「父様は“渡り人”だったの」


 今度は私がぽかんとする番だった。母はいきなり核心から入ってきた。渡り人という言葉が頭の中をぐるぐる回っているようだった。渡り人――界渡りする能力を持った人――に関する知識は勿論、あった。私の出自を考えれば当然だった。


「父様が、…渡り人」

「そう」


 魔器越しに母が力強く肯定した。


「初代様と同じ…」


 初代様、ガイウス大帝、あるいはガイウス神聖帝のことだ。


「夏の離宮、」


 母が言葉を継いだ。


「あそこは、初代様の命で建てられたの」


 クロッケン高地の500ファルはある頂に建てられた離宮だった。フェリケウス皇家のもつ数多くの離宮のうち最も古い物の一つだったが、冬は寒すぎてもっぱら夏の避暑地として使われている。


「あそこに離宮が建てられたのは、あの場所が、渡り人がこの世界に一番来やすいところだからなの」


 私には本――地誌――による知識しかなかったが、その場所が人里離れた不便なところであることは知っていた。建物が古いこともあり、皇家の中でもあまり人気がない離宮だった。その代わり周りの景色はとてもきれいだという。


 母は憑かれたようにしゃべり続けた。


「私がたまたま夏の離宮にいるときにジン様が渡ってこられたの」


 イルマ・ジンが渡り人、というのが本当なら、そして本当であることを私は即座に確信していたが、初代様以来の、500年ぶりの渡り人だった。


「ジン様に初めて会ったときに、渡り人であることが一目で分かったわ。皇家に属する人間のもつ本能みたいなものだから。それ以上に、一目でジン様に恋をしたの。17の小娘だったけれど」


 顔を赤くしながら――私の想像だった――、ふぅーという母のため息が聞こえるようだった。





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