第9話 レフと少女達 2
レフの眼が以前のことを想い出す眼になっていた。
「それに教えてくれたのはナイフだけだった。長剣や槍は触らせてもくれなかった」
「武術に関するレフ様の師匠ということですか?」
「そう、とても勝てるとは思ってなかったからな。だからその後のお前達のことを考えた。まさか一緒に始末しろなどという命令が出ているとは思わなかった」
「あの男は勘違いしてましたよね、あたしたちはレフ様の女ではない、(まだ)…」
最後の言葉は小さく飲み込みながらアニエスが言った。レフが苦笑したように見えた。
「あの光はなんですか?森で戦ったときも確かあれを見たと思うのですが」
シエンヌが勢い込んで早口で尋ねた。そう、森の中でもあの光を浴びせられて目がくらんで、馬ごと倒れたのだ。目をつぶって思わず足を引いたデクティスを見て、あのときのことがフラッシュバックのようにシエンヌの記憶の中に浮かび上がってきた。
「魔導銀を投げつけて…」
「あれは魔導銀だったのですか?」
レフの言葉の途中でアニエスが質問した。レフが何かを投げたのには気づいていたからだ。
「そうだ、そしてその魔導銀に魔力塊をぶつけた」
「魔力をぶつけた…?それであんな光がでるのですか?」
今度はシエンヌの質問だった。
なんだ、知らないのかというような顔でレフがシエンヌを見た。続いてアニエスに視線を移したが、2人ともきょとんとした顔をしていた。
「魔導銀に飽和量以上の、具体的には飽和量の10倍以上の魔力をぶつければ魔導銀が極短時間で蒸散する。その時に一瞬、あんな風に光る。鎧をきた人間を傷つけるほどの威力はないが目くらましには充分だ。どうもお前達は知らないことのようだな」
順番に視線を当てられて、アニエスとシエンヌが頷いた。
あの強烈な光をまともに眼に入れればしばらく何も見えなくなる。目をつぶればそこに隙が出来る。高速で移動する魔導銀に対して使用したのは初めてだったが上手く使えば対人戦闘の切り札になる。ただし飽和量の10倍というのは、魔導銀の小さな欠片であっても並の量ではない。きちんと訓練しないと、今回のようにそれだけで魔力を使い果たしてしまう。
「ふうーっ」
レフが軽くため息をついた。二、三度わずかに首を振った。
「魔法についてこの国では知られていないことが多そうだ」
この国では……という言葉をシエンヌが聞きとがめた。
「レフ様はどこからおいでになったのですか?なぜ命を狙われるのですか?」
「知ってどうする?」
「先ほども申し上げたように私たちの命にも関わることです。それにレフ様がどう思われているか存じませんが私たちは、……私もアニエスもレフ様を裏切るようなことは決してしません。ですから話せるだけのことは話してください」
レフが自分を見つめる2人の少女に1人ずつ視線を当てた。2人とも真剣な顔でレフを見ていた。
「お前達を解放しよう、私から離れた方が安全だ」
レフの口から出たのは2人の少女にとって思いがけない言葉だった。
「「えっ?」」
二人の反応が揃った。アニエスが唐突に立ち上がった。いすが乱暴に後ろへ動いてガタッという音がした。
「あたしを……」
アニエスはいったん言葉を切り、それからシエンヌを見て言い直した。
「あたし達をここから追い出そうというのですか?」
こんな反応はレフには意外だった。奴隷契約を外すというのだから単純に喜ぶものだと思っていた。
「私と一緒に居たらまた昨日のようなことになる。デクティスのような人間は他にもいるのだから、これからも襲撃があるだろう。私がいつも勝てるとは限らない」
デクティスを退けたのだ、1対1ならそうそう引けを取るとは思わない。だが襲撃者がいつも1人とは限らない。
「だから追い出すのですか?」
今度はシエンヌだった。
「私から離れた方が安全だ」
レフが同じ言葉を繰り返した。
「でも……」
シエンヌが顔を上げてレフを真正面から見た。
「レフ様から離れては、私は生活できません。親衛隊に戻れるわけもないし、
「そう、なのか?」
「お金を稼ぐための技も持っていません」
田舎貴族とはいえ、その一族だったから生活に直結するような技は習っていない。親衛隊の訓練生であったときも習ったのは軍事技術ばかりだった。金を稼ぐ方法など全く知らなかった。
「娼婦にでもなるしかありません」
「あたしもです」
「えっ?でもアニエス、ここはお前が生まれて育った街だろう?いくらでも伝手があるだろう」
「あたしはアンジエームの裏社会しか知りません。裏社会は狭いのです。あたしがレフ様の奴隷になったのはエガリオ様の直々の采配であることは知られています。それがこんな短時間で解放されても、皆納得しません。解放はレフ様の決定だから表だっては何も言われないでしょうけれど、レフ様の下を離れたあたしを誰も相手にしません。シエンヌと同じです。娼館にでも行くよりなくなります」
「そうなのか?」
一気にそれだけのことを言ったアニエスに押されながらレフが答えた。間抜けな言葉の繰り返しだった。
アニエスがクスッと笑った。
「あたしとシエンヌは美人だし、きっと売れっ子になります。レフ様、買いに来られます?」
アニエスに横目で睨まれて、レフがフーと息をついた。
「分かった。少なくともしばらくは二人の生活の面倒を見なければならないんだな、私は」
何の伝手もない女が
解放した上で生活の面倒を見ればいいのだが、それはレフには出来なかった。隷属紋で縛られないシエンヌとアニエスを手元に置くことはレフには出来なかった。自由意志で動けるようになった時の2人の少女を、心の底から信頼できるわけではまだなかった。これまで母以外の人間を心から信頼したことはなかった。
「でも、なぜレフ様は……」
シエンヌが一度言いよどんで、
「私たちを解放すると言われるのですか?ご自分の身に何か起こるかもしれないときに」
えっ、何故だろう?深く考えたこともなかった。自分の身に何かあるかもしれないと思ったとき、自然に口に出た言葉だった。
「だって、隷属紋を刻まれたまま主がいなくなったら困るだろう?お前達だって」
主をなくしたとき相続する者がいなければ、ダナのような優れた術者に隷属紋を消してもらうか新しい主を決めてもらうかしないと、やがて隷属紋が体を蝕み始める。長くても半年ほどで動けなくなる。身内ででもない限り、術者が隷属紋を消してくれることなどまず無い。自分に仮隷属させておいて、奴隷として売り払うだろう。ダナのような熟達の奴隷商であればかならずそうする。
「ご自分が死んだあとの私たちのことを心配なさったのですか?」
「そう…、なるのかな」
「お優しいのですね」
あの男も同じことを言っていたなと思いながらシエンヌはそう言った。容赦なく
「お前達は言わば身内だろう?身内のことを気遣うのは当然と思うが…」
「身内ですか?」
そう言えば最初の夜、部屋に結界をかけるなど外部に対してはずいぶんと警戒していたのに、シエンヌに対しては全く無防備で寝ていた。どんな風に身内認定しているのか分からないが、いったんそう認定した人間には甘いのかもしれない。
「ああ、行く末を気にするくらいには身内だな。迷惑か?」
「いいえ、迷惑だなんて…」
レフが二人の少女を見た。二人とも真剣な顔で見返した。
レフは降参した。
「分かった、私の下を離れてもいいという条件が整うまでここに居るがいい。……まあそのうち何とかなるだろう」
二人の少女は頷いた。アニエスはうれしそうに、シエンヌはやや固い顔で。
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