第9話 レフと少女達 1

「お目覚めですか?」


 上からシエンヌが見下ろしていた。もぞもぞと身じろぎを始めたレフを見てそろそろ起きるのではないかと側に居たのだ。覗き込むシエンヌを見返して、


「ああ、シエンヌか、お腹がすいたな、それに喉が渇いてる」

「目覚めて第一声がそれですか」


 あきれたような声でそんなことを言って、シエンヌがあらかじめ用意していた水の入った大ぶりの木のコップを差し出した。水分補給もなしにあれだけの汗をかいたのだ、当然のどが渇いていることは予想できる。


「夕食は今、アニエスが準備しています。それにしてもずいぶんとよくおすみでしたね」


 レフが美味そうにコップいっぱいに入った水を飲み干した。


「うん、まあ。傷を治さなければならなかったからな」

「傷を治す?」


 オウム返しにシエンヌが疑問を呈した。

 レフは起き上がると左肩に巻かれた包帯を外した。シエンヌは目を見張った。昨日の傷が嘘のように完全にふさがっていた。


「シエンヌが縫ってくれたおかげで早くふさがったな。糸を抜いてくれ」

「はっ、はい」


 医療用のはさみを持ってきて昨夜縫ったばかりの糸を切って抜いたが、細く長い傷跡は昨日つけられたばかりのものとはとうてい思えなかった。


「あの傷がこんなに早くくっつくなんて」


 専門の医療職ではなかったが何人もの怪我を手当てした経験があった。とても一日でよくなるような傷ではないと思っていた。


「私の体質だな、怪我の治りが早い、尤もそのためには体の他の機能を落とさなければならないが」


(体の機能を落とす……)


 シエンヌは身動きもせず寝ていたレフを思い出していた。それは常にもましてひどく無防備な寝姿だった。防御も何も考えずに寝ていたのだろうか。





「食事の用意が出来たわ」


 アニエスが顔を出した。

 ダイニングルームで、三人で食卓を囲んだ。アニエスもそれぞれの前に料理の皿を置いて自分の席に座った。皿の上には厚く切って火を通したハム、ゆでて潰した馬鈴薯が載り、深皿には野菜をたっぷり入れたシチューが入っていた。それに一つ盛りにしたパン籠が食卓の真ん中においてあった。この家に住むようになった当初、シエンヌとアニエスはレフが食べている間立ったままでサーブしようとしたのだが、レフが命じて一緒に食べるようになった。


「他人に見られながら食うのは苦手だ。一緒に食う方が美味い」


 妙に実感のこもった言葉だった。自分たちは奴隷なのだからと言おうとしたアニエスを思わず黙らせてしまうほどだった。


 レフは本当に空腹だったようで、いつもの倍の量の料理を平らげた。何も食べずに丸一日寝ていたのだから当然と言えば当然だった。



 レフが食後のお茶を飲み終わるのを待っていたかのように、


「レフ様、お話を伺ってもよろしいでしょうか?」


 レフは目の前に座っているシエンヌをまじまじと見つめた。シエンヌが真剣な表情で見返した。いつの間にか食器を片付けたアニエスまでシエンヌの横に座ってレフを見ていた。


「デクティスのことか?」

「「そうです」」


 2人で頷いたが言葉を続けたのはシエンヌだった。


「私たちの命にも係わることのようなので、出来ればお聞かせください」


 レフが眠っている間に二人で相談したようだ。シエンヌが話しているが、それが二人の総意だと分かった。レフは軽くため息を吐いた。話し始めるまでに少し時が開いたのはどう話せば良いのかを考えた所為だった。


「そうだな…、デクティスは私の監視者だ。いや“だった”と言うべきだな」

「監視者?」

「そうだ、私は生まれた直後からつい最近までずっと監視下に置かれていた。デクティスはその私のそばにずっと居た。監視者の中でも最も長くその位置に居て、監視者達のあたまだった」


 話し始めると思っていたよりスムーズに言葉が出た。他人に自分の立場を説明するようなことはないと思っていたのだが。


「それで、時間をもてあまして仕方がないからと、私に武器の使い方を教えてくれた。型を見せてくれて、相手もしてくれた」


 あの男とレフに間には相当な因縁があったのだ、シエンヌとアニエスは改めてそう思った。


「型は最初はゆっくりと、それからだんだん速くして見せてくれた。夕食後など、それを想い出して、一人で型をなぞった。一つの型がものになると次を教えてくれた。あいつの言うことに依ると私には並外れた才能があるということだった。実際、実戦形式の訓練は、逃げ出す直前は傍目には互角の組み手に見えていただろう」


 デクティスがそう見せていた。しかし実際に手合わせしているレフにはその差ははっきりと分かった。実際に対人戦闘を経験して差が詰まったとは思っていたが、それでも4分6分、甘く見てやや不利な5分5分だと思っていた。だから敗れた場合のシエンヌとアニエスの解放を口にしたのだ。だが闘いを始めてみれば5分5分と言って良かった。左腕をデクティスの剣が擦らなければ、武器だけで勝てたかもしれなかった。

 経験が強くしたのだろうか?武器を振るうことに、その結果人を傷つけたり死に至らしめたりすることにためらいを覚えなくなっていた。たとえ相手が見知った人間であっても。でも、……その上にシエンヌとアニエスを護らなければ、という情が底上げしていたのだろうか?私はシエンヌとアニエスをそれほどまでに護りたかったのだろうか?レフは自分を見つめている2人の少女を見つめ返した。この2人は今、自分にとってどんな位置に居るのだろう?


 シエンヌが小さく首を振りながら、


「でもレフ様のお味方ではなかったのでしょう?本気でレフ様を殺そうとしているように見えましたが」

「デクティスの立場を考えると私に味方できるはずもない。あいつの家族は都にいて人質同然だったし、私の周りにいる連中は相互監視のシステムでがんじがらめだった」


 そうだ、私の周りにいた人々の中で多少とも個人的な事情を知っているのはデクティスだけだった。ディクティスは無口で、あたまという立場もあったのだろうが、他の監視兵の連中とは無駄話をするようなところを見たことはなかった。しかし私には、訓練が終わった後などに私の身体捌きや組み手の中での判断などを批評しながら、その中で断片的に個人的な話をぽつりぽつりと口にすることがあった。どういう積もりがあったのかは分からない。気を許す人間が一人もいない環境に置かれていたレフに多少の同情があったのかもしれない。

 どれくらいデクティスと一緒にいたのだろう。レフが物心ついたときには既にいたのだから、17年以上になるのだろう。それだけ長い期間だったことを勘案すると、知っていることは驚くほど少ないのだが。中堅貴族の三男か四男で、武術の才能があったので近衛に入ることができ、レフが生まれたときにその監視を命じられた、家族は家を継いだ兄を始め都に住んでいるがデクティスだけはもう長年都には帰っていない、そんな事情がデクティスの重い口から語られたのだ。

 もちろん「私の家族は……」などという話題がデクティスの口から出たわけではない。会話の中に出てくる断片的な情報をレフの方で勝手に繋ぎ合わせてそう判断しただけだ。しかし身の回りにいた他の人間の個人的事情など何も知らなかったのに比べれば、これは破格と言って良かった。







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