第8話 刺客 2
大きな男だった。ゆったりした服を着ていたが、それでもその服の下に分厚い筋肉があることがわかった。腰にこれも大ぶりの長剣を吊っている。歩く姿に隙はなく、鋭い目でレフを見つめていた。
「おまえが来たのか、デクティス。どうあっても私を生かしておきたくないようだな」
レフの方から声をかけた。デクティスと呼ばれた男が苦笑したように見えた。
「たまたまアンジエーム方面の捜索が私の担当になっただけです、レフ様。上は中原全体に捜索の人員を派遣しています。主にはあなたを監視していた連中ですが」
レフが周囲の気配を探った。それに気づいて男が言った。
「私1人です。なにしろ中原は広い。私に誰かを組ませるほどの人数の余裕はありませんでしたから。それでなくてもこれから忙しくなると言うのに」
勿論、レフはデクティスの言葉をそのまま信用はしなかった。慎重に気配を探って本当にこの男1人しかいないと確認してから、
「お前1人でも十分だということか?私の相手くらい」
「いいえ、そんな不遜なことは思っていません。レフ様は手強い、十分にわかっています。それにとても鋭い。人を呼び寄せて時間をかければ私に気づいて逃げ出されるかもしれない。そうなればまた見つけるのに苦労すると思ったのですよ。探されていることに気づいたレフ様はいっそう見つけにくいでしょうから。私一人であっても早めに対処した方がいいと考えたのですよ」
簡単に見つけたわけではなかった。しらみつぶしにアンジエーム市街を捜索したのだ。レフの気配はよく知っていたが、探り当てたのは僥倖と言って良かった。滞在していた宿の側―それでも2ブロックほど離れてたが―を通り過ぎるのに気づいた。真夜中だったが慌てて身を起こして宿を飛びだし、探知範囲ぎりぎりの距離で後を追った。レフが何人かの男達と一緒だったことと、他の何かに気を取られていたらしいことでレフに気づかれずに追跡することに成功した。それからずっと襲撃する機会を窺っていたのだ。一定の距離以内には近づかないように注意してレフの気配を追った。功を焦ってし損じてはならなかった。追跡に加わっている他の人間を呼び寄せる気にもならなかった。レフとの因縁を考えると1対1で勝負を付けたかった。レフが市門を出て行くのに気づいたときは思わず神に感謝したものだ。神など信じていなかったにもかかわらず。
デクティスがすらりと長剣を抜いた。両手で持って、体の前で構えた。闘気がデクティスの体をなお大きく見せた。これに応えるように、レフが両手にナイフを持って姿勢を低くした。闘いのスタイルは全く異なったがそれに纏わり付く雰囲気はよく似ていた。
「その女達は、レフ様に隷属しているのですな。ご自分が敗れた場合の解放を約束されますか、相変わらずお優しい」
レフは答えなかった。デクティスが言葉を続けた。
「三人の命を背負って私と戦うことになりますな」
「なに?」
「あなたと情を通じた女がいれば、全部処理するようにと言われています。レフ様の胤を残すわけにはいかないのでしょう」
レフの顔が強ばった。舌打ちをして吐き捨てた。
「あいつらしい。相変わらずの臆病者だな」
「用心深いという表現もあります」
いきなりレフが動いた。素早く踏み込むと左手に持ったナイフがまっすぐにデクティスの眉間を狙って突き出された。デクティスが剣でナイフをはじいた。はじかれた勢いを利用して、右手のナイフがデクティスの頸動脈を狙った。デクティスはかろうじて身をかわした。デクティスの左の首の皮膚に浅い傷が付いた。傷に沿って血玉が浮いてくる。
デクティスがかすれた口笛を吹いた。その顔に賛嘆の色がある。
「素晴らしい、完全に一皮むけていらっしゃる。実戦を経験されたのですね。しかも何人か直接手にかけられたようだ。刃筋に迷いも躊躇いもない」
デクティスが突いてきた。左手を外して片手で持たれた剣は思いがけないほど長く伸びてきた。レフは両手のナイフを合わせて剣を上にはじいた。はじかれた剣にすぐ左手添えられ、間を置かず上から振り下ろされた。レフが後ろに飛んでそれを避けた。レフの後退に合わせてデクティスが突進してきた。突く、薙ぐ、振り下ろす、息もつかせぬ連続攻撃をレフのナイフが止めた。キンキンキンキンと金属音が連続した。重い剣を両手で自在に振り回している。迅さもレフのナイフと遜色ない。しかしレフのナイフが二本なのにデクティスの剣は一本だ。レフはリーチの差を手数で補っている。ときにレフのナイフがデクティスの体を擦り、デクティスの剣がレフの服を裂く。
息もつかせぬ連続攻撃を外されて、崩れた体勢を立て直そうと男デクティスがわずかに身を引いたときにレフがその懐に飛び込んだ。首をめがけて突き出されるレフの右手のナイフを、デクティスは片手を外した剣の束で防いだ。外した左手で腰から短剣を抜くとレフに向かってつきだした。それをレフの左手のナイフが止めた。止めた短剣を横に滑らせて払い、そのままの勢いで僅かに姿勢を崩したデクティスの胸の高さで横に薙いだ。ジャリンという音が聞こえた。刃が金属を噛む音だった。デクティスは服の下に鎖帷子を着込んでいた。
デクティスが後ろに飛び退った。レフもその追うこともせず後ろに飛び退いた。
2人とも肩で息をしていた。全力を振り絞っての攻防だったのだ。油断なく相手を視界に収めながら、息を整え、現状を確認する。
「鎖帷子を着ているのか」
確認するまでもない、ナイフの刃で切られた服の下に見えていた。ナイフの当たった部分の鉄製の輪がいくつか壊れ、その下の皮膚から血が出ていた。深手ではない。鎖帷子がなかったら充分に致命傷になっただろう。
「用心に越したことはありませんからな、特にレフ様のような相手の場合は」
卑怯だとは思わなかった。命のやりとりをするのだ、出来るだけの準備をするのは当然だった。デクティスに探知されたのに気づかなかったのは、そしてその結果、準備不足のままデクティスと闘わなければならなくなったのはレフの責任だった。
2人とも攻防の中で数カ所の傷を負っていた。特にレフの上着は左肩のところで大きく切り裂かれ、生地に血がにじみ、腕を伝って流れる血が地面にシミを作っていた。多量の出血ではないが、左腕の動きに支障がでる。止血している余裕など勿論ない。激しく動かし続けなければならない左腕からの出血はさらに増えるだろう。掌まで流れ落ちてきた血が、ナイフと皮膚の間に流れ込んでいる。それがナイフを滑らせてしまうかもしれないという可能性もある。
“このままではじり貧だ”
じわじわと続く出血はレフの体力を奪うだろう。負傷する前で互角だった勝負は時間を経るごとにレフの不利に傾く。
“一か八かの賭けになるがやむを得ないか……”
レフは横目でちらりとシエンヌとアニエスの様子を窺った。2人とも固唾を飲んでレフとデクティスの闘いに目を奪われている。
“私が闘っている間に逃げ出すと思っていたのに……”
レフが負けたら自分たちも殺されることは理解しているだろうに。逃げ切れるものではないことはレフにも分かっていた。デクティスは既にシエンヌとアニエスを個体として認識していた。広いアンジエームの街中でレフを見つけたように、どこに隠れても2人を簡単に見つけるだろう。そうなれば今のシエンヌとアニエスではデクティスの相手にはならない。だからこの場から逃げろとは言わなかったのだが、それでもこの場にとどまっていることはレフには意外だった。
“負けられないな。残った力を全て使うしかない…。勝負できるのは一回きりか”
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