第8話 刺客 1
レフ達がエガリオのアジトから引っ越しして1ヶ月ほどが経っていた。その間にエガリオはアンジエームの東半分を完全に押さえ、西半分も支配下に置いた。
支配下に入らない西半分の裏社会の有力者が次々にたたきつぶされた。自分の力に自信を持ち、エガリオに膝を屈するのを潔しとしなかった男達が真っ先に死んだ。エガリオはそういった死を効果的に使った。恐怖を与えたいときには謎の死を見せつけ、反抗することを許さない姿勢を見せたいときには正面から潰した。反抗した男達が次々に謎の死を遂げ、支配下に入ればそれがなくなるという事態が続けば、証拠は全くなくてもそこにエガリオの意思を見るのは当然だった。それを見た多少とも頭の回る連中はエガリオに接触されると簡単に頭を下げた。反抗すると思われた男達に謎の死を与えた“牙”が正体不明で健在であると推測される以上、彼らは少なくとも表面上服従するしかなかった。死を賭してでも反抗しようなどと考えるのは彼らの流儀ではない。さらに下げた頭の下で舌を出していた男達も容赦なく潰された。それが分かってくると下げた頭をさらに低くするしかなかった。
街の治安をあずかる警備隊の中には裏社会に起こっている動きに気づいて介入しようとした者もいたが、どういう訳かそんな者は巧妙な人事で別の部署に回された。数度そういうことが続くと、警備隊の現場に近い者は上層部の意向を忖度し、エガリオがやろうとしていることを邪魔しようという動きはなくなった。どうやら上層部はエガリオとある種の協定を結んだようだと理解された。警備隊以外の公的武装勢力―国軍や親衛隊―は裏社会の勢力変動などには全く関心がなかった。裏社会がらみの利権は彼らには関係がなかった。
そしてアンジエームの裏社会全体がエガリオに膝を屈したとき、とりあえずのレフの仕事はなくなった。
アンジエームの南は海に面している。市壁の外も海岸線が続いているが、一番港にしやすい場所にアンジエームが建設されており、市外の海岸線は急峻な崖だったり、遠浅の砂浜だったりする。
エガリオから当面呼ばれずに済むようになったレフはシエンヌとアニエスを連れて、アンジエームの外、東にある浜に来ていた。東側の市壁から2里ほど離れたそこは白い砂浜が延々と続いており、砂浜と内陸の畑の間には砂浜と同じ長さの分厚い防風林があって潮風を防いでいた。
砂浜と防風林の境目にレフ達三人の姿があった。ここに来たのはシエンヌの転移魔法の確認のためだった。最初に会ったときにシエンヌが発動させようとし、レフに邪魔された魔法だった。使える魔法使いが少ない魔法の一つだった。それだけにレフはシエンヌの転移能力を確かめておきたかった。
転移魔法は使いにくい魔法といわれている。まず転移距離が短い、最も遠くまで転移できる魔法使いでせいぜい50ファル程度で、ほとんどの転移魔法使いは10ファル以下だった。次に転移先に実体化するときに短時間―1呼吸の半分ほどの時間―ではあるが攻撃に対して全く抵抗できない時間ができる。その間、鎧は、どんな鎧でも全く防御力を持たず、武器も役に立たなかった。弓でも持っている敵がいればまるっきりの鴨だった。そしてこれが最大の問題だったが、実体化する空間に何か物があるとそれを排除できず、同一空間に実体化してしまうことだった。つまり実体化する空間に木の枝でも石ころでもあればそれを体内に挿入された状態で実体化する。場所によっては致命傷になり得るし、そうでなくても重篤な外傷になるのだ。実体化するときに排除できるのはせいぜい雨粒くらいまでだった。だから転移の能力を持った魔法使いでも見えないところに転移するのを嫌がった。転移先に何があるのか分からないからだ。その上転移先が見込みより上下左右、前後に数ファルずれることは普通であり、それを見越して転移しなければならなかった。
「よし、跳んでみろ」
レフに声をかけられて、シエンヌは防風林の外れから浜に向かって転移してみせた。距離は20ファルほどで、これがシエンヌの最大転移距離だった。地表から2ファルほどの高さに実体化し、そこからふゎっと降りてきた。転移先がずれるため、2~3ファルの高さを目標に実体化するのが普通だった。地面すれすれに実体化しようとして、下にずれたらかなわない。下半身を地面に埋めて死んでしまう。だから転移の魔法を使う魔法使いは重力緩和で落下速度を緩める魔法をもっているのが普通だった。少なくとも5ファル程度はゆっくり降下することができる魔法を持っていなければ話にならない。5ファルの高さで実体化し地面にたたきつけられれば、どちらかというと肉体的には頑丈でない人間が多い魔法使いは最悪死んでしまう。だがこのゆっくりした降下自体も敵にとっては絶好の攻撃チャンスだった。
レフは波打ち際まで歩いて、そこまで連続でシエンヌに転移させた。4回連続で転移してレフのそばまで来たとき、シエンヌは両膝に手をついて肩で息をしていた。
「転移ってすごく疲れるって聞いていたけど本当なのね」
アニエスが水筒をシエンヌに差し出しながらそう言った。
「あまり、訓練、してないもの。軍では必要とされない、魔法だし」
水を飲んでやっと一息ついたシエンヌが反論した。
肉体的な体力の消費だけでなく、魔力の消費も大きかった。訓練すれば体力の消費は抑えられるだろうが魔力の消費はどうしようもない。
「やりなれればもう少しは楽に跳べるようになるわ」
2人のやりとりを聞いて、レフが肩をすくめた。
「やっぱり実用的ではないな。20ファルしか跳べないんじゃ実体化している最中に
攻撃されて終わりだし、続けて跳ぶのも4~5回が限度だろう。いくら訓練し…」
唐突にレフが言葉を切った。シエンヌとアニエスが何かあったのかと言うようにレフを見ると、レフは硬い表情で一点を見ていた。レフの視線をたどったシエンヌはその先に一人の男が立っているのを見た。男は防風林から浜へ出るその境界に立っていた。レフの目が鋭くなり、顔が緊張してきた。男に視線を固定したまま、
「シエンヌ・エンセンテ・アドル。次の戦いで私が死んだら隷属の契約は解除される。アニエス・ベーテ。次の戦いで私が死んだら隷属の契約は解除される。以上レフ・ジンの名においてメリモーティアに誓う」
小さな声だったが、はっきりと2人には聞こえた。えっ?びっくりしたような顔で2人はレフを見た。レフは硬い表情で近づいてくる男から目を離さず、右手を腰に吊したナイフに添えていた。レフの眼が、シエンヌとアニエスが見たこともないほど鋭くなっていた。口を引き結んでいる。
シエンヌが、
「何を……?」
レフが一体何を言おうとしていたのか訊こうとして、レフに手で制された。聞こえた言葉が直ぐには理解できなかったのだ。
男がゆっくりと近づいてくる。
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