第6話 独り言 ―アニエス―

 “失敗した”とそう思った。

 3人の傭兵が手もなくレフ様にやられたときのこと。エガリオ様から、カンティーノ親分とバダガス親分を片付けたのはレフ様だと聞いていたし、武器屋のレッツォがレフ様の演武を見て感心していたのも知ってたわ。それでも短剣など、戦場の武器ではないもの。レフ様はおそらくそういった暗殺用の武器の扱いに習熟しているだけだと思っていた。エガリオ様がやたらとレフ様に気を遣うのも面白くなかったし。

 だからロスタンの仕掛けに乗ったの。レフ様と手を繋いだのも、レフ様の顔も私の顔も知らない傭兵達への目印だった。


「女と手を繋いでいる、小柄で頼りなさそうな若い男」


 とロスタンが説明したはず。腕の立つ傭兵、戦場で長剣や槍を持って正面から殺しあうことに慣れている連中にレフ様がどう対処するのか興味があった。小柄で短剣しか持ってないレフ様はリーチの長い長剣を振るう傭兵に対して圧倒的に不利だと思っていた。体格も違うからそもそも武器を持った闘いになるとは思っていなかった。レフ様の旗色が悪くなったところであたしが出て行って、3人に金を握らせて終わりにするつもりだった。


「殺すなよ、痛めつけるだけでいい」


 ロスタンがあらかじめ傭兵達にそう言ってたわ。だからと言って傭兵達をけしかけたロスタンとあたしの情状が、酌量されるわけではないけれど。

 レフ様の迅さはリーチの短さなど問題にしなかった。かがり火の明かりの中ではレフ様の動きを見切れた人などほとんど居ないとおもうけれど、でもあたしにはそれが出来た。あたしの能力の一つ、少しでも灯りがあれば結構見えるものよ。速い動きを追いかけることも出来る。

 意外なことにレフ様は傭兵達を殺さなかった。最後に倒した男の服で血をぬぐったナイフを納めながらあたしに近づいてきたレフ様の顔を見て、あたしはレフ様がすべて気づいていることを悟った。レフ様の目が一瞬、見物人の中に隠れて見ていたロスタンの方を向いたから。その後であたしの方を見たレフ様の目と言ったら………。


「帰ろう」


 レフ様はそうおっしゃっただけだったけれども、でもその声を聞いてあたしは体が震えた。


「はっ、はい」


 出来るだけ平静な声を出そうとしてできなかった。なかなか歩き出せない私に対して、


「こっちでいいんだよな?」


 体の震えが止まらなかった。


「はっ、はい」


 返事をするのが精一杯。レフ様が背中を見せて歩き出されたので、あたしはやっと動けるようになった。レフ様の後を小走りに付いていきながらこれからどうなるだろうと考えていた。

 正直、逃げ出したかった。レフ様の行動は逐一報告するようにロットナン様に言われていた。当然このことも報告しなければならない。それに対してレフ様がどう反応されるか、不安で仕方がなかった。でも逃げ出しても逃げ切る自信などあるわけがない。こういう組織は人捜しが得意だから。おそらく警備隊以上に。アンジエームの中にいればすぐに見つかる。アンジエームの外に出るなど、もっと不可能。街の外には、私には何の伝手もない。逃げても持ち出した金が尽きれば野垂れて死ぬだけ。街の外で金を稼げる当てなどない。まんじりともせずに一晩を過ごした。いつもはレフ様の部屋に朝食を運ぶのだけれども、とても出来なかったわ。頭が痛いからと言って勘弁してもらったの。


 ロットナン様に呼ばれたのは昼近くだった。ロットナン様の執務室で、あたしを呼びに来たクロエ様もそのまま部屋に残っていた。


「ロスタンからはもう聞いている。だからこれは確かめるだけだ。昨日のことはおまえも知っていたのだな?」


 そう言われては頷くしかなかった。


「そうか」


 ロットナン様はため息をつかれた。


「おまえは気も利くし、頭もいい。字も読めて計算も出来る。娘のこともあるし、いろいろ使えて将来楽しみだと目を掛けていたんだがな」

「……申し訳ありません」


 ロットナン様はクロエ様の方を向いて、


「地下の零号室に連れていけ」


 零号室というのは監禁用の部屋。こんな組織だから、敵対する者も多いし、仲間内でも裏切る者もいる。そんな人たちを閉じ込めておいたり、尋問したり、始末したりするための部屋が零号室。私の今の立場がよく分ったわ。


「わ、私はどうなります?」


 勇気を出してロットナン様に訊いた。


「私には分からん、エガリオ様とあの男の考え次第だ」


 ロットナン様はレフ様のことを、面と向かってではないときには名を呼ばない。ロットナン様はふーっとため息をついて、


「最悪のことも覚悟しておけ」


 私は思わず膝が砕けそうになった。涙があふれてきて。ロットナン様は顔をそらしたわ。ロットナン様には結構かわいがっていただいていたの。下の娘さんと同い年で仲も良かったし。その娘さんと一緒に買い物をしたりなどもしていた。


「連れていけ」


 でも、それでも私をかばいきれなかったのだと思う。そうクロエ様に命じられた。



 零号室のドアが開いた。入ってきたのは思いがけない人だった。


「ダナ様」


 奴隷商のダナ様だった。


「アニエス、なにかとんでもないことをしたようね」


 ダナ様はとがめるようにおっしゃった。


「はい、……申し訳ありません」

「でもあたしが呼ばれたってことは、エガリオ様がなんとかしてあんたの命を助けたいと思ってらっしゃるからよ。まあ、ほんとに助けたいのはロスタンの方でしょうけどね」


 最後は身もふたもない言葉だったけれどあたしはそれに飛びついた。


「そう………なんですか?」

「あんたの首を差し出すんだったら、あたしは必要ないもの。そんな荒事にはあたしは慣れてないからね。エガリオ様はあんたを奴隷にすることで落とし前をつけるおつもりでしょうよ」


 少し希望が出てきたわ。その希望はクロエ様が呼びに来られたときに、ダナ様も一緒にと言われたことで大きくなった。そして後はダナ様の予想通りにことは進んだの。とりあえず命は助かった。レフ様があたしをどんな風に扱うか分からなかったけれど。でもよく言うように『墓場には出口がないが、牢屋にはある』、生きていればなんとかなる、そう思った。




 カンティーノ一家がザラバティー一家に変わって2日後、レフ様はエガリオ様の家作の1軒に移った。アンジエームの南東、海のそばの家。少し高台になっていて海がよく見える。もちろんあたしも付いていった。



「いつまでも世話になっているわけにもいかないからな」


 そんな理由だけではなさそうだった。

 

 結界糸には私もびっくりした。エガリオ様のアジトにいてレフ様は一瞬も油断なさってなかったの。移った家でもレフ様が最初にしたことは家中をくまなく調べることだった。地下室の床と壁を端から端までさわり、屋根裏まで上られたの。この家は人に貸すつもりでエガリオ様も重要視している家ではない。だから、今まで滞在していたアジトのような仕掛けはない。そう言ったけれど、レフ様は納得されなかった。

 でも調べ終わった後で、


「アニエスの言うとおりだったな」


 とは言ってくれた。その家で一見長閑な暮らしが始まった。シエンヌとはすぐに仲良くなった。それまでは他人行儀だったけれど。


「“様”付けは止めましょう、お互いに」


 最初に言われたのがこの言葉。


「私もあなたもレフ様の奴隷なのですから」


 本当は少し違う。シエンヌの隷属紋は赤、あたしの隷属紋は青。つまり『その生死はレフ・ジンの内にある』というのがシエンヌの誓詞にはない。あたしの立場は犯罪奴隷に近い。でもそんなことを言っていても仕方がないと割り切ったわ。今は生き延びたことで十分。

 レフ様がシエンヌと男と女の関係にないことは予想通りだったけれど、あたしにも手を出さない。これでも自分の容姿に結構自信を持っていたの。レフ様が望めば拒むつもりはなかったわ。それが心中にわだかまりを持っているシエンヌと違うところ。細かいことは分からないし、そんなことまでシエンヌは話してくれないけれど、彼女にはレフ様に抱かれることに躊躇う理由がありそうだということは分かった。あたしはどうせこの先かなり長くレフ様から離れられない。だから男と女の関係になっても良かったの。あたしの年齢としで子持ちの女もたくさん居るし。あっ、個人的なことを話すようになって分かったことだけれど、あたしはシエンヌより1歳年上だった。あたしはいま18歳。レフ様の年はまだ分からない。でも多分あたし達とそんなには違わない。

 あたしやシエンヌを抱かないくせにレフ様はウルビに出かけるの。エガリオ様に頼まれた仕事の帰りだから、さすがに最初のようにあたしを連れて行ったりはしない。でも次の朝にレフ様を見るたびに、「仔鹿」で見た、上気した表情でレフ様にもたれかかる2人の女を思い出すの。胸の中がもやもやするわ。








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