第6話 独り言 ―シエンヌ―

「結局人殺しの練習だろ?」

「まあそうだな。いざ実戦になったときに腰砕けになったら目も当てられないからな」


 同期生達ががやがやと、今通達された最終訓練のことについて話しています。彼らから少し離れて、それでも彼らの話に聞くともなく聞いている私の肩を叩く人がいました。振り返ると魔法士候補生のゲイザックがいつものようにやや気弱な笑顔を見せていました。


「君とは別の小隊になっちゃったね」


 ゲイザックが第1小隊、私が第2小隊でした。考えてみれば当然です。私とゲイザックは、特に通心の魔法において相性がいいらしく短杖を使えば30里の距離でも連絡を取ることが出来ました。これは親衛隊の中でも希有なことです。その30里では無理ですが、10里程度の距離で通心していれば視覚を共有することが出来たのです。つまり彼が見ていることを私が、私が見ていることを彼が見ることが出来たのです。だから彼と私が通心していれば第1小隊と第2小隊は同時に情報を共有して、離れていても同一の部隊のように動けるのです。上としても2人を同じ小隊に入れるわけがありません。


「こんなことをしないと親衛隊の隊員にはなれないのね」


 そう言うとゲイザックは頷きました。


「マティウスの例もあるからね」


 マティウスというのは同期で、槍士志望の候補生の中で一番腕の立つ人でした。でも彼には致命的な欠点がありました。詰め―最終的に相手を傷つけること、あるいは殺すこと―が出来ないのです。いくら腕が良くても守りだけでは結局のところ勝てません。どれほど教官に叱咤されようとも最後の最後に槍を振るうことを躊躇うのです。刃引きのしてある練習用の槍でしたが彼の腕なら革鎧くらい抜いたでしょう。本気でやれば相手が死ぬ可能性もあります。それも詰めの出来なかった理由の一つかもしれません。人を傷つけることがどうしても出来なかったのです。彼は半年ほど前に訓練生を辞めました。腕は惜しいと思っても、実戦で役立たない人間を仲間にするわけにはいきません。それが他の候補生全員の意見でした。


「そうよね」

「でも魔法士は直接手を下さなくても良いということだから、少しは気が楽になったよ」


 そうです。魔法士の役割は主に通信、偵察、情報収集・分析です。一通り武器の使い方は教えられるけれど、槍士や弓士ほど習熟することは求められません。だから今回も直に獲物ゲームを狩る必要はありません。だからと言って、目をそらせるわけにはいきませんが。


「とにかくこれまでで一番実戦に近い訓練だ。へまをしないように気をつけなければ」


 私は頷きました。ここで失敗すればこれまでの2年間が水の泡です。親衛隊に採用されなければ他に当てはありません。故郷へ帰ることも出来ません。貧乏貴族が食べさせていかねばならない口は少ない方が良いからです。当然跡継ぎが優先されます。他の貴族や大商人に雇われる道は残っていますが、親衛隊の正隊員という身分と比べるとやはり見劣りします。それにそんな道が確実にあるとも言い切れません。それはゲイザックも同じです。ゲイザックも私と同じように貧乏貴族の出、しかも三男です。実力主義の親衛隊には成り上がることを目指した平民が圧倒的に多く、貴族の出身は同期では他に弓士が1人いるだけでした。ついでに言っておくと、同期に何人かは女性が弓士や槍士として残るのが普通なのですが、私たちの期は魔法士候補生の私一人になってしまいました。王族には正室や側室の方々を始め、王女様方など少なからぬ女性がいます。その方々の一番身近にいる護衛が同性である方が良いというのは当然のことで、女性兵士の採用基準はやや甘くなっています。それでも私の同期には女性は残りませんでした。


 本当のことを言うと私はかなり剣が得意です。田舎で物心ついたときから父に鍛えられました。多分同期の中で、剣ならば一番巧みに扱えると思います。


「魔法がなくても候補生になれたな」


 教官から褒められたことがあります。でも魔法士の方が貴重なので、特に私はかなり優秀な魔法士だったので槍士か弓士に鞍替えすることなど勧められもしませんでした。

 ゲイザックと私は同じ魔法士候補生、魔法の相性もいい、さらには似たような境遇の出身でもあるということで、親しくなりました。もちろん候補生ひよっこの分際で堂々とつきあうことなど出来ません。それでも互いに好意を持ち合っていることは分かっていました。

 

 私のでした。


 そのゲイザックが私と通心している間に、しかも視覚を共有している時に殺されました。振り返ると目の前に刃が迫っていました。私は両目の間に物理的な痛みさえ感じました。

 そして………、ゲイザックとの通心はすぐに切れましたが、そのわずかの間に、私は広漠たる虚無、時間の流れさえない虚無を見たのです。死ぬということはその虚無に落ち込んでいくことです。輪廻も再生も転生もありません。天国どころか地獄さえないのです。


 だから私はレフに剣を突きつけられたとき、こう言ったのです。


「助けて、……ください」


 レフは私を助命しました。私はレフの奴隷になりましたが、あの虚無にとらわれるよりはましでした。いつかは虚無に身を委ねる覚悟が出来るかもしれませんが、私はまだそんな悟りを開くには未熟なのでしょう。


 レフの私に対する扱いは不思議なものでした。仲間だった候補生の死体をあさる手伝い―これは私にとってつらいものでした―をさせたかと思うと、自分が死んだら―襲撃から帰ってこなければ、と言うのはそういう意味だと思いますが―私は自由だと言ったり、あるいは結界糸を張った部屋の中で全く無防備に私に寝顔をさらしたり、どういうつもりなのか計りかねるところがありました。

 一番意外だったのは私の体を求めてこなかったことです。奴隷になったときにはそこまでの覚悟はなかったのですが、よくよく考えてみればそうされても不思議はなかったのです。女が嫌いなのかと思ったのですが、ウルビで女を含めたサービスを受けたとしゃあしゃあと口にするのです。新しくレフの奴隷になったアニエスにも手を出しません。アニエスは私から見ても可愛らしく、男好きのする体をしています。男性経験はまだないようですが、レフに抱かれても良いという態度をあからさまにではないにしても見せています。

 アニエスを奴隷にしてから数日後、レフは私たちを連れてザラバティ一家の所有する家に移りました。アンジエームの南東、高台に位置する海の見える瀟洒な戸建てでした。

 海のそばの家に移ってから、レフは時々、不規則な間隔を置いて出かけます。エガリオから頼まれて仕事をしに行くようでした。そんな日はたいてい帰ってくるのは夜遅く、あるいは翌日になります。そのうち何回かはレフが帰ってきてからアニエスが、


「お楽しみだったみたいね」


 と悔しそうに言うのでウルビに行ったことが分かりました。


 レフが家にいるときは海の見えるポーチにデッキチェアを出して日長寝転んでいることがよくありました。ちょうどそうするのに良い季節でもありました。そんなある日、私は少しいたずら心を出して、レフの後ろから気配を消してそっと近づいたことがあります。ジュースを給仕すると言うのが口実で、実際ジュースを入れたグラスを載せた盆を持っていました。レフは全く動きませんでした。レフの前に回ってみると目を閉じて寝ていました。規則的な軽やかな寝息が聞こえました。


「マスター、…レフ様」


 何回か小声で呼びかけても起きようともしません。こんなに無防備なら簡単に殺せるかもしれない、そう思いながら私は盆を左手だけで支えて、いつも腰に差しているナイフに右手を持って行きました。とたんにレフが目を開けました。まっすぐに私を見ていました。びっくりはしません。予想していたことです。


「シエンヌか」


 レフはのびをし、首をコキコキと動かしながらそう言いました。私は持ってきたジュースの盆を、チェアの横に置いてある小さな机の上に置きました。もちろん隷属紋を刻み込まれているのにレフを殺せるわけがありません。もしそれをしたら、私が直接手を下しても、誰かに依頼したとしても私も死ぬのです。主を定めて刻まれた隷属紋というのはそういうものです。


「1日中海を見ていてよく飽きませんね、昨日もずっとここにいらしたのに」

「ああ、海は見飽きないな、特にこんなに穏やかな海は」

「穏やかでない海なら飽きるのですか?」


 何気なくそう訊いた私に、


「ああ、幼い頃から俺が見ていた海はいつも風が吹きすさんで、波が荒く、人を寄せ付けない海だった」


 レフの個人的な事情について聞いたのはこれが最初でした。







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