第5話 アニエスの場合 1

「エガリオ様が今日は外出しないでほしいとおっしゃっています。お話があるとのことです。」


 次の朝、朝食を運んで来たクロエが言った。いつもクロエについて朝食を持ってくるアニエスがいなかった。かわりにいつもは部屋の掃除やベッドメイクをするメイドが大きな盆に載った2人分の朝食を持ってきていた。洗顔用の湯を持ってきたメイドがその後ろに控えていた。


「分かった。アニエスはどうしたんだ?」

「アニエスは頭が痛いと言って伏せっております。夜更かしのしすぎでしょう。では後でお迎えに参ります。それまでお待ちください」


 クロエはちくりと皮肉を言って、丁寧にお辞儀をした。メイド達が机の上に朝食を置いて、同じように丁寧にお辞儀をして、ドアを閉めて出て行った。

 

 用意された朝食に手をつけながら、


「5日目か。目処が付いたのかな?」


 シエンヌが食事の手を少し休めて遠くの音を聞くような顔をした。


「多分。階下の雰囲気もずいぶん柔らかくなっているようですし、クロエさんの表情からも殺気に似たものがなくなっています」

「うん。昨日はアニエスにウルビを案内されたし、余裕が出てきている感じがあるな」


 シエンヌがえっ?というような顔でレフを見た。


「ウルビに行かれたのですか?」

「ああ、ウルビでも最高級の店だそうだ」

「そう……ですか。そんな店ではき、きれいな女性がサービスしてくれると聞いてますが」

「ああ、きれいだったな。サービスも良かった」


 レフはしれっとした表情でそう言った。シエンヌは目をそらせた。レフが手を出してこないことにほっとしていながら、反面なにとはない不満を感じていた。自分に女としての魅力がないのかと不安に思うこともあるくらいだ。レフは女嫌いなのだと思うことでその不安をぬぐおうとしていたが、今の言葉でそれも出来なくなった。結局目をそらせて、うつむき加減に唇をかむしかなかった。レフはそんなシエンヌの様子のお構いなく食事を続けた。


 クロエが迎えに来たのはそれから半刻ほど経ってからだった。朝食の後片付けをメイドに任せて、クロエが階下の居間に案内した。居間ではエガリオが上機嫌に、座り心地の良さそうなソファに足を組んで座っていた。ロットナンがエガリオの後ろに姿勢良く立っていた。ソファの前にはいかにも高価そうな丈の低い机が置いてあり、その机の上に酒とグラスが載っていた。レフとシエンヌが部屋に入って、その後ろでクロエがドアを閉めるとエガリオが立ち上がった。閉まったドアの両側にクロエと執事のロットナンが立った。エガリオが手を出しながら


「やあ、レフ。なんとか片付いたぜ。アンジエームの東半分は俺のものになった」


 レフは出されたエガリオの手を取った。


「そうか、おめでとうと言うんだろうな。ずいぶん早いような気もするが」


 エガリオがうれしそうに破顔した。


「ああ、最初にあたまを潰してあったのが大きかったな。頭なしで動ける奴なんてそうはいない。どうしてもこっちの下に入らないのを10人ばかり始末しただけで済んだ。主にはバダガスんとこの連中だったが」


 エガリオはどっかとソファに座り込んだ。


「ああ、それで、あんたらに来てもらったのは」


 ドアの横に控えているロットナンに目で合図した。ロットナンが机に近づいて、机の下に置いてあった大小の袋を机の上に置いた。エガリオが小さな方の袋の中から掌ほどの大きさの四角い、薄い金属片を2枚取り出した。


「ちょうどタイミング良くできあがったが、レフとそっちのお嬢さんの身分証だ」


 エガリオの合図を受けて、ロットナンが縦横20デファルほどの重そうな器械を机の上に置いた。


「それではこのプレートの上に手を置いてください」


 器械の天辺てっぺんに光沢のあるプレートが付いていた。


「身分証に固有魔力の波動パターンを記憶させます。もちろん身分証は本物ではありませんが、門衛所においてある簡易照合機くらいなら十分にごまかせます。さすがに警備隊の本部にあるような照合機はむりですが」


 ロットナンが説明した。


「ほんとにあるんだ……」


 シエンヌが思わず口に出した。レフがシエンヌを見た。


「いえ、偽の身分証があると噂では聞いていたのですが、まさか本当にあるとは……」

「いろんな事情があって正規の身分証を手にできない人も多いんだよ、お嬢さん。我々としてもそういう連中の便宜を図ってやらなきゃならないんでね。建前だけでは人は生きてはいけないってことさ」


 レフがプレートに手を置いた。それを見てロットナンが器械の横に付いている差し込み口から金属片を差し入れた。ブーンと低い音がしばらく続いて、差し込み口から金属片がはき出された。それを手にとってレフに差し出した。


「どうぞ」


 レフは渡された金属片をしげしげと見た。入れる前と違って、金属片の表面に光沢がある。レフが手に取るとその光沢が様々な色に変色し、すぐに元に戻った。魔力の波動パターンに反応してこの身分証の持ち主に間違いないことを示しているのだとロットナンが説明した。


「門を出入りするときに門衛が確かめます。ほとんどの場合光沢の虹化をちらっと見るだけです。その光沢が虹化するということは、記憶されている波動パターンと合っているということですから、普通はそれで十分です。照合機に掛けられることや、ましてや警備隊本部につれて行かれるなんてことは滅多にありません。非常事態の時だけでしょう」


 これがあればアンジエームを自由に出入りできるわけだ。


「シエンヌ様もどうぞ」


 ロットナンに促されてシエンヌも同じように身分証を作った。


「シエンヌ様のものはエンセンテの名を抜いてシエンヌ・アドルとなっています。さすがに有力貴族の一門名を入れてはまずいと思いましたので」


 エガリオがグラスに酒をついだ。グラスと大きな方の袋をレフの方に押しやって、


「どうだ、一杯?それと今回の礼だ。小金貨で100枚はいっている」

「朝から酒か。いい身分だな」

「まあ今日くらいはな、それにレフもいける口だと聞いてるぞ」


 レフはグラスを取り上げて一口飲んだ。口当たりのいい軽い酒だった。


「昨日の酒より軽いな」

「そういえば昨日はウルビに行ったとか。帰りにチンピラに絡まれたと報告があったが」

「ああ、3人ほど絡んできた」

「相手が剣を抜いたのになぜ殺さなかったんだ?」

「あんたの縄張りと聞いていたからな。殺してしまえば後が面倒だろう?」


 エガリオがチッチッチと軽く舌打ちをした。少し得意そうな顔で、


「ウルビの中なら何とでもなる、気にしなくても大丈夫だ」

「そうか、覚えておくよ。だがあいつらはチンピラじゃなかった。ちゃんとした戦闘訓練を受けた連中だったぜ。多分傭兵だな」

「ほう」

「森の中でやりあった見習ひよこい達よりよっぽど場数を踏んでたぜ。それに『仔鹿』の支配人、あいつが逐一見てたし、アニエスもあんな事態になることを予想してたみたいだったし、やっぱり変に殺したりすると面倒になると予想が付いたしな」


 エガリオの顔色が変わった。


「まさか、ロスタンとアニエスが仕組んだと?」

「ん?あんたは知らなかったのか?店を出たときから支配人が後をつけてたぜ。どう考えてもあいつが仕組んだとしか思えなかったんだが」


 エガリオは首を振った。気楽に酒を飲んでいられる場合ではなくなった。


「少し調べる時間をもらっていいか?」


 エガリオはレフの言ったことを疑ってなかった。しかしこの事態をどう収めるか、考える時間がほしかった。


「ああ、いいぜ。今言ったことは俺の推測に過ぎないからな。気の済むまで調べてくれ」


 レフは金貨の入った袋を取り上げてシエンヌと一緒に部屋を出た。











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