第4話 ウルビの出来事 1

 レフはアニエスに案内されてウルビに足を踏み入れた。ウルビもあちこちにかがり火がたかれ、たくさんの人がかがり火に照らされた通りを歩いていた。アニエスは慣れた様子で街路を進み、一軒の店に案内した。「仔鹿」と看板が出ているその店は大きくはないが、ウルビの中でも屈指の高級店だった。つまりうまい酒と料理、きれいな女を揃えていた。

 店の前、ドアのそばに黒い服を着た若い男が立っていた。アニエスを見て目礼し、アニエスとレフが店に入る意思を示すと、ドアを開けた。上体をかがめる男の横をすり抜けて店に入った。店の中は外よりも明るかった。天井に魔法灯がいくつか付いていて、字が読めるほどではないが、内部の様子と人の顔が分かる程度の灯りを放っていた。灯火の魔法使いが居るというだけでもこの店が庶民相手ではないことがうかがえた。店の調度品も派手ではない、しかし高級なものであることが一目で分かるような物ばかりだった。しかし、いかにも高級品だぞと主張しているように見える分だけ、本物からずれていた。


「いらっしゃいませ、アニエス様」


 店に入って奥まった席に座ったレフとアニエスに大きな男が近づいてきて挨拶した。服装、身のこなしに隙がなく、無礼にならない程度にさりげなく、レフを観察していた。


「今晩わ、ロスタン様」


 男はこの店の支配人だった。一家の中での立場はアニエスより上だったが、直にエガリオの命を受けて動いているアニエスに対しては慇懃な態度を取っていた。


「お連れ様は一家のお客様で?」


 支配人の耳にも、アニエスがエガリオの客を接待しているという情報は入っていた。


「そう、エガリオ様直々の客だから、粗相がないようにお願いね」


 男は改めてレフに向かって、


「いらっしゃいませ、当店の支配人のロスタン・ガナットと申します。お名前をお伺いしてもよろしゅうございますか?」

「レフという」


 姓を付けなかったことに少し眉をひそめたが、すぐに何食わぬ顔になって、


「レフ様?よくいらっしゃいました。当店の自慢は酒と料理と女でございます。どうぞご存分にお楽しみください」


 男が合図をすると女が二人出てきて、レフを挟んで座った。


「アイディーンです」


 レフの右に座ったのは金髪で胸が半分見えるようなドレスを着た大柄な女だった。レフよりも背が高い。深いスリットの入ったドレスで足を組むと太もものきわどいところまで見えた。ややつり上がり気味の大きな目が大型猫族のペットを思わせた。


「オリーナです」


 左に座ったのは薄い茶色の髪のレフよりもやや小柄な女だった。ぱっちりした目とやや厚い唇が幼い印象を与えていたが、もちろん水商売のあかに染まった女だった。その幼く見えるのが売り物のようで、服も露出の少ないもので膝丈の、装飾の多いスカートがひらひらと広がっていた。

 二人とも魔法灯の下でどうすれば自分がきれいに見えるかよく知っていた。露骨にではないがレフに体をすり寄せ、レフの体に触っていた。レフはやや苦笑に近い表情を浮かべながら、しかし女達を拒みはしなかった。時を置かず、食前酒と幾皿もの料理が運ばれてきた。運ばれてきた料理をアニエスが取り分けながら、


「お酒はどうします?強いお酒もありますし、甘口のものも辛口のものもありますけれど」

「ブドウの酒がいいな。少し甘口のやつを」


 レフも二人の女の体に手を廻しながら答えた。女の体は柔らかく、いいにおいがした。左右両方から代わる代わる料理をレフの口に持っていく。


「アイディーン、ロッタリーの白葡萄酒を持ってきて、一昨年のがいいわ」


 アニエスに言われてアイディーンが立ち上がると、オリーナがさらに強くすり寄ってきた。右手がレフの太ももに置かれて、微妙に上下していた。潤んだような瞳でレフを見上げてくる。左手でレフの左手を取るとスカートの下に導いた。なめらかな太ももを探っていくと、最小限の下着しか身につけていないようだ。半開きの唇が艶めかしい。場慣れた様子で女の相手をするレフを、対面やや右に座ったアニエスが何食わぬ顔で見ていた。


“随分女の扱いに慣れているのね。シエンヌへの態度からはとてもそうは思えなかったけれど“


「アニエスは食べないのか?」


 料理に手を出さないアニエスにレフが訊いた。


「レフ様のために用意した料理ですから」

「じゃあ食べれれば良い、1人で食べてもおいしくない」


 レフに勧められてアニエスが料理に手を出した。実際朝食を食べたきりで空腹だった。


アイディーンが酒とグラスを盆にのせて戻ってきた。オリーナのしていることに気づいて、


「あら、オリーナ。抜け駆けはずるいわ」


 盆をテーブルに置くと、レフに寄りかかるように座って、背中に廻したレフの右手をドレスに辛うじて隠れている乳房に導いた。レフは掌を乳房に押しつけ、人差し指と中指で乳首をつまんでこすった。他の指も巧みに動いて乳房を柔らかく揉んだ。


「うふ~ん」


 思いもかけない上手な愛撫で、ため息交じりのかすれた喘ぎは必ずしも営業用の媚声だけではなかった。

 アニエスはブドウの酒を注いだグラスをレフに渡しながら、笑顔で


「アイディーンとオリーナはお気に召しました?」

「ああ、二人ともかわいいな」


 率直な応えにアニエスは少し鼻白んだが、表情には見せず、


「お気に召したら、お持ち帰りも出来ますし、二階の個室を使うことも出来ますわ」


 レフは左右に座って体をすり寄せている二人を見た。


「そうだな、二人一緒でもいいのか?」

「もちろん」

「じゃあ二階を使わせてもらおうか」


 レフがアニエスの差し出したグラスを一気に飲み干して、二人の女を抱えるように立ち上がった。大柄なアイディーンがレフの背に手を回すとレフがアイディーンに抱きかかえられるような形になった。そのレフにオリーナがもたれかかる。


「「たっぷりサービスするわ」」


 アイディーンとロリーナが口を揃えて言った。酒と料理だけならウルビに来る必要はない。女が居るから来るのだ。ウルビはそういう街だった。





 二人の女に抱えられるように階段を上がっていくレフを見ていたアニエスにロスタンが近寄ってきた。


「あれが噂の凄腕の暗殺者なのですか?」


 少し離れれば聞こえない小声だった。カンティーノとバダガスが、エガリオが連れてきた暗殺者に始末されたことは、エガリオの有力な部下の間ではもう周知のことになっていた。


「ええ、彼の演武に武器屋のレッツォが冷や汗を流していたわ。実戦は見たことがないけれど。ロスタン様はどう見ます?」

「出来る、という感じはしますな」

「やはりそうですか」


 ロスタンは一家の中でも上位に入る腕を持っていた。


「実際の所どの程度出来るのかは試してみないと分かりませんが。帰り道にでもやってみましょうか?」

「面白そうね」


 アニエスの答えにロスタンが頷いた。


「どうせ一刻くらいは下りてこないわね、少し奥で休ませてもらっていいかしら」

「どうぞ、ご自由に」


 店の奥にVIP用の休憩スペースがある。エガリオはまめに縄張りを見回る、そのときのための用意だった。座り心地のいいソファに座るといつも持ち歩いている荷物の中から本を取り出した。ディアドスの長編叙事詩、「クードマール」、フェリケリア神聖帝国の建国神話でアニエスの愛読書だった。パチンとアニエスが指を鳴らすと、ちょうどアニエスの頭の上に魔法灯が出現した。字が読めるほどの明るさに調節すると、アニエスは何度も読んで既に暗記している叙事詩の世界に入っていった。言葉の一つ一つから生き生きとした情景が浮かんでくる。浮かんできた情景の中で遊んでいると時間などすぐ経ってしまう。








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