第3話 アンジエームの街 4

 それから2日間、レフとシエンヌはアニエスに案内されて、アンジエームを歩いた。港、倉庫街、色々な商店、職人街、宿屋、マーフェルト通りの西のエガリオ達の縄張りではない辺りを見、レフは街の構造をほぼ覚えた。道はほぼ東西と南北に平行に走っており、ベンディッシュ通りかマーフェルト通りに出れば街のどの辺りにいるか見当が付いた。

 マーフェルト通りを王宮からまっすぐに南下すれば港だった。船着き場と街の間には、規則的な間隔を置いて望楼が付いている高い塀が巡らされていた。


「鑑札がないとこの塀の中へは入れません。乗り越えようなどとしているところを見つかると問答無用で攻撃されます。密輸は重罪です。つかまれば死罪になります。それでも密輸がなくなることなどありませんけれど」


 潮風に吹かれ、海鳥の鳴き声を聞きながら港からかなり外れたところに立って、アニエスが説明した。


「ほら、あそこ」


 アニエスが指さした方向に、塀の上からぶら下げられて、3体の絞首刑に処された密輸犯が曝されていた。タールを塗られて腐りにくくされていたがいずれは腐って落ちる。腐って落ちた死体は海に捨てられる。捕まれば初犯であろうが下っ端であろうが同じ運命だった。

 塀の中、海側に税関があり、王国海軍の指令所があった。塀を警備しているのは海軍の兵だった。海軍と言っても戦闘は甲板の上での肉弾戦が主となるため、兵達は剣や槍、弓の扱いに習熟していた。

 塀の外に倉庫街があり、倉庫街の中に貿易に携わる商会の事務所があった。大きな荷をいっぱいに積んだ馬車が忙しげに行き来していた。




 4日目の朝、出かけようとしたときに


「シエンヌ、今日はここに居ろ。貴族街、官庁街、それに王宮の周りを見たい。万一おまえの顔を知っている人間にでも出くわせば面倒なことになる」


 何となく一緒に行動するものだと思っていたが、そう言われてしまえばシエンヌは逆らえなかった。候補生だったときのアンジエームでのシエンヌの行動範囲は狭かったが、一番長い時間を過ごしたのが、親衛隊本部に近い、王宮の周辺だった。確かにレフが指摘するような危険性がないとは言えなかった。


「はい」


 少しうつむき加減にシエンヌは答えた。


 官庁街、貴族街にも色々な用事で平民が出入りする。同じ所を何度も回るような不審な動きをしなければ、平民の格好をしたレフとアニエスが歩いていても見とがめられるようなことはなかった。

 田舎から出てきた平民には一度は噂に聞く王宮を見たいという人間も多く、王宮の正面には貴族街よりも平民の姿がたくさん見られた。幅の広い堀の手前から、何重にもそびえる高い塔をぽかんとした顔で眺めているお登りさんもいた。正面の唯一の門に通じる石の橋は見た目いかにも丈夫そうだったが、いざというときには短時間で落とせるように作ってあるというのがもっぱらの噂だった。


「親衛隊の本部は王宮の中です。常に王族のそばに控えていなければなりませんから。それに対して国軍の本部はあそこです」


 アニエスは王宮の門から向かって左にある、無骨で頑丈そうな建物を指した。外から窓を数えると5階建てのようだったが、1階1階が他の建物よりも天井が高そうだった。


「親衛隊は指揮官クラスも含めて平民出身者が多いのに本部が王宮の中にあり、国軍の将校には貴族が多いのに王宮の外にあります。まあ、当然、仲は悪いわけです。国軍の中でも陸軍と海軍の仲の悪さも有名ですけれど」


 王宮親衛隊と国軍の仲が良かろうが悪かろうが平民には関係ない、少なくとも平時に於いては。だからこの話題は酒場の与太話のネタの一つに過ぎなかった。


「警備隊の本部はどこにあるんだ?」

「警備隊の本部はもっと離れています。ハウタームの交差点の近くです。一応街全体の治安を担っていますから街の中心に近いところに本部があります」

「警備隊と国軍、あるいは親衛隊との仲はどうなんだ?」


 アニエスはクスリと笑った。


「いいわけがありません。警備隊は戦闘力において親衛隊や国軍に劣ると言われてますから、面白いわけがないでしょう」


 国軍、親衛隊の仮想敵は武装した他国の兵であり、警備隊の任務は街の治安維持で、相手は盗賊や市民の中の不穏分子だった。当然武装も訓練も異なり、純然たる戦闘力では警備隊は劣勢だった。


 レフとアニエスはマーフェルト通りを王宮から海側に向かって歩いた。ハウタームの交差点までの道の両側に並ぶ石造りの重厚な建物を指しながら、


「あれが財務部、その向こうが外交部、外交部の正面にあるのがアルマニウス一門の宗家の住居……」


 アニエスが説明していった。アルマニウス、ディセンティア、エンセントというのがこの国の三大貴族一門だった。平民も特に有力な平民は普段から貴族家にコネを付けておくのが普通だった。様々な経済活動に伴う調整を貴族家に頼むためだった。王国は人の繋がりで動いていく。法はあっても王族や高位貴族の意向の方が強い。だから有力な平民は力の強い貴族とコネを持ちたがり、高位貴族はますます力を増していくという構造だった。


「エンセンテの宗家はどこにある?」

「もっと西になります。財務部の建物の向こうですね。やはり気になりますか?」

「シエンヌの属していた一門だからな。気をつけなければならないこともあるだろう。宗家の場所くらい知っておいて損はない」


 ハウターム交差点の西北の角にあるのが警備隊の本部だった。その斜め向かい、東南の角に建つ少し薄汚れて見える建物が傭兵協会だった。アンジエームの港は王国で一番大きな港で、貿易の中心だった。当然多くの荷がアンジエームに集まり、またアンジエームから出て行く。その荷を運ぶために隊商が組まれるが、護衛なしで行けるほど国内の治安はよくない。そのため傭兵が雇われる。それを手配しているのが傭兵協会だった。


 アニエスが声を潜めるように


「傭兵協会もカンティーノ一家の、もうすぐザラバティー一家になりますが、縄張りです。これまではバダガスの筋肉ダルマが取り仕切っていましたが、これからはエガリオ様が差し配されます。ずっとスムーズに行くようになると思います」

「うまくいってなかったのか?」

「バダガスは依怙贔屓が強く、情報収集が下手でした。必要もないのに大きな傭兵隊をつけたり、そうかと思えば傭兵隊の規模が小さすぎたり、商家からの評判もひどいものでした。そのことについてエガリオ様がカンティーノにさかんに文句を言っておられたのも、今回のことの原因の一つだと私は思っています」


 アニエスは随分踏み込んだことを言っていた。ただの下働きのメイドとは到底言えないような情報を持っていた。


 周りは薄暗くなっていた。暗くなるとハウターム交差点のように人通りも多く賑やかな通りにはかがり火がたかれる。灯りをともす魔法はあるが、一晩中ともしておくにはかなりの魔力を必要とする。それだけの魔力を持った“灯火の魔法使い”は少なく、雇うには金がかかる。そんな贅沢が出来るのは王族と有力な貴族家、大商家に限られていた。一般に夜の灯りは火であり、魔法使いを雇うほどではないが、薪や火の番をする人を雇うなどで結構高くつき、かがり火がたかれる場所も多くはなかった。かがり火のそばには必ず人を配置するように定められていた。火事の用心のためだった。かがり火番は子供や、体の動きが鈍くなった老人が多かった。


「ウルビへ行ってみませんか?シエンヌ様もいないことですし」


 アニエスがそう言ってきた。


「エガリオの縄張りと言っていたな」

「ええ。エガリオ様の大事な金づるの一つです」

「覗いてみても悪くはないな」


 アニエスはにっこりと笑った。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る