第3話 アンジエームの街 3

 ベンディッシュ通りから南に少し離れると、店はどれも庶民向けのものになる。アニエスがレフと、シエンヌを連れていったのはまず、服屋だった。


「いつまでも借り着というわけには参りませんでしょう?レフ様もシエンヌ様もご自分の体に合わせた服を仕立てるべきですわ。レフ様は特に」


 レフは周りの成人男性に比べると小柄だった。1ファルに近い身長の男もちらほらいたし、平均的な成人男性と比べても目の高さくらいの身長だった。ベルトで締めているため目立たなかったが、今着ている服も大きかった。


「それに上着や外套もあつらえておいた方がいいと思いますわ。夏が過ぎればあっという間に寒くなりますし」


 アニエスは2人を連れていく店をあらかじめ決めていたようで、マーフェルト通りの東側にある服屋に案内した。すぐに店員が出てきた。


「これはアニエス様、いらっしゃいませ」


 30過ぎくらいの愛想のいい小太りの女性店員だった。そこそこ高級そうな服店の店員に顔を覚えられるくらいの馴染みなのだ。アニエス自身の言うようなザラバティ一家の下っ端とは思えなかった。そんなレフの考えにも気づかず、


「このお2人の服を見立ててほしいの、夏用の普段着と、それに上着や外套もね」

「かしこまりました。このお2人は?」

「エガリオ様の大事なお客様、そのつもりでお願い」


 エガリオ・ザラバティーの客と聞いて女店員の目にいくらか好奇心がわいたようだったが、すぐにそれを押さえた。余計な好奇心は身を滅ぼす、そんな実例を見たことがある。特に裏社会に関することは堅気の人間は知らない方が良いことが多い。女店員は丁寧にレフとシエンヌの採寸をした。


「5日ほどいただけますか?夏用の普段着だけなら2日もあれば出来ますが、全部ということならそれくらいの日にちがかかります」


 代金が全部で小金貨3枚強だった。このアンジエームで平均的な家庭が2ヶ月暮らせる金額だった。これでもサービスしておりますと女店員は言った。


「エガリオ・ザラバティー様のご関係の方ですから」



 次に寄ったのは武器店だった。これはレフの要求だった。


「俺もシエンヌも今持っているのは親衛隊の支給品だ。見る者が見れば判別される。そしたら余計なトラブルに巻き込まれる可能性がある」


 実際、武器店に入ったら体格のよい店主がレフの腰に差してある短剣を見て一瞬怪訝な顔をした。親衛隊の支給品ということが分かったのだろう。しかしすぐにその表情を消してレフに向かい合った。店の中には様々な武器が展示してあったが、レフはまっすぐに短剣が並べてあるコーナーへ向かった。


「短剣でよろしいので?」

「大きなものなど使えない。それに目立つ」


 レフは慎重にバランスを確かめながら良さそうな短剣を5本選んで、


「少し振ってみたいのだが」


 そう頼まれて店主はレフを店の裏に連れていった。そこはちょっとした広場になっていて、隅の方に何体か鎧を着込んだ木の人形が立っていた。鎧は傷だらけだった。武器の性能を確かめたい客が多いのだろう。レフは短剣を1本ずつ手にとって、素振りをしてみた。振り下ろす、横に薙ぐ、腰を落として逆方向に薙ぐ、そのまままっすぐに突く。そこから跳ね上げる。これを左右の手で交互に5本の短剣で繰り返した。舞を舞うような無駄のない動作だった。右手でも左手でも、短剣は同じ軌跡を描いた。動作はゆっくりに見えたが、鋭い風切り音が聞こえた。3本目辺りから店主の額に汗が浮いた。唖然としてレフを見ていた。一緒に広場に来ていたアニエスも表情を引き締めてレフを見ていた。裏社会にすむ者の常としてアニエスも目立たない武器-ナイフ-の使用を訓練されていた。そしてかなりの技量を持っていた。そのアニエスの目から見てもレフは優秀なナイフ使いだった。


「これが良さそうだ。同じ物を2本頼む」


 レフが選んだ短剣としてはやや大ぶりなものを受け取りながら店主が、


「はっ、正直なところこいつを構えたあんたの前には立ちたくないもんだな」

「ん?褒めてくれているのか?」

「ああ、ナイフ使いは何人も知っているがあんたほどの手練れはそうはいない」

「そうか…、シエンヌはどうする?必要なものがあれば買っておけばいい」


 振り返ったレフに、


「えっ、いいのですか?」


 私が武器を持っていても、という言葉を飲み込んだ。昨夜だって全く無防備な寝顔だった。隷属紋をそんなに信用しているのかしら?結界糸が切れたときのあの殺気との差がシエンヌには不思議だった。


「剣を見せてください」


 魔法士として、重くて動きの邪魔になる剣は装備していなかったが実はシエンヌはかなりの遣い手だった。領にいた頃は『アドルの剣姫』と呼ばれたこともあり、小さな領だったが剣を教えてくれた父を含めて、シエンヌに敵う相手はいなかった。うぬぼれるつもりはなかったが候補生の中でも剣の腕は一番だろうと思っていた。目立たなかったのは剣が親衛隊の主要武器ではなく、剣の腕は重視されなかったからだ。店主が持ってきた剣の中から、自分にとって最もバランスの良さそうな、小ぶりの剣を選んだ。


「私も振ってみたい」


 鎧を着た人形の前で大きく息を吸って吐く。すらっと剣を抜く。左手で剣を持ち―シエンヌは左利きだった―、左足を前に出して腰を落とし、剣先をやや下げる。その体勢から、


「はっ!」


 鋭くかけ声を掛けて左足を大きく踏み出し、剣を突き出した。町娘のスカートがふわっと広がりシエンヌの太ももがちらりと見えた。そして剣先が鎧の破れ目を通して人形本体に突き立っていた。


「ほう」


感心したようにレフが声を出した。シエンヌがレフを振り返って、


「いいのですか?私に武器を持たせても」

「良い腕をしている。剣を持たせないなんて勿体ない」


 不思議な人だ、シエンヌは思った。これまでまったく知らない人だった。昨日は殺し合いをしていた。それなのに今は私を全く警戒していない。


「これを持っても良いでしょうか?」


 一応レフの許しを得てからと、剣をレフに渡した。レフは刃をしげしげと見て、


「良さそうな剣だな。店主、これも貰おう」

「承知しました。お持ちになりますか?」


 レフは少し考えた。自分の分は今の短剣と交換すれば良い。しかし、シエンヌの剣は今のシエンヌの格好で持ち歩くには目立ちすぎる。


「いや、剣の方は届けて欲しい。えっと~」

「カナリー通りのエガリオ様のお宅まで」


 滞在しているエガリオのアジトの場所を知らないレフにアニエスが助け船を出した。

 支払いをして武器店を出るともう薄暗くなっていた。


「ウルビをご案内いたしましょうか?」

「いや、今日はゆっくり休みたい、次の機会にしよう。何か食べるところへ案内してくれ」


 案内されたのは武器店の近くの庶民向けだがいくらか高級な店だった。夕食を食べて、エガリオのアジトに戻った。相変わらずざわついた雰囲気が続いていたが朝に比べると殺気だった様子が和らいでいた。扉の見張りに突いていた男はレフとシエンヌを見て警戒したが、アニエスに気づいて扉を開けた。クロエの気遣いが役に立った。湯をもらって体を拭いたのは昨夜と同じだった。違うのはレフも体を拭いたことで、途中、


「シエンヌ、背中を拭いてくれ」


 と命じたことだった。河で見たとおりの痩せた体だった。腕は細く、むしろ貧弱に見えた。昼間に見た戦闘力が信じられなかった。シエンヌが使い終わった湯を返してくると、レフは昨夜と同じ結界糸を張った。


“体を拭いたのだから今日こそは…“


 そんな思いで体を硬くしているシエンヌの横で寝息を立て始めたのも昨夜と変わりなかった。拍子抜けしたようにシエンヌも眠りに落ちていった。









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