第2話 街の争い 5
エガリオが、レフとシエンヌが十分に離れたことを確認して答えた。
「今日拾ってきたんだが、とんでもない腕利きだな。あいつのやることを見ていて、背筋が冷えた。今のところ俺に不利な動きはしてないが、もし敵対するとやっかいなことになる。注意して扱え。変に機嫌を悪くさせるようなことをするな。上手く使えればずいぶんと役に立つ」
「過大評価では?」
ロットナンが先ほどのレフの様子を想い出しながら訊いた。遠隔通話を無効化したことはともかく、それほどの使い手には見えなかった。武器もたいしたものは持ってない。
「そのうち分かる。俺が生きて帰ってこられたのもあいつのおかげと言っても良い」
「そうですか」
まだ納得できない様子のロットナンに、
「とにかく注意して扱え、そして目を離すな」
ロットナンはエガリオの命令を了承したように頭を下げた。
招集をかけた男達が徐々にアジトに集まってきた。静かなまま屋内が鋭い緊張をはらみ始めた。
レフとシエンヌがクロエに案内されたのは、2階にある広い寝室だった。大きなベッドと、背の低いこれも大きなテーブル、それを囲むように2人掛けのソファが1脚と1人掛けのソファが2脚おいてあった。クロエが作り付けのタンスから男用と女用の夜着を出してベッドにおいた。
「これをお使いください、あと体を拭かれるならお湯をお持ちします」
シエンヌはレフとクロエを交互に見て少し躊躇った後覚悟を決めたように、言った。1日動き回って、汗をかいていた。体がべとついて気持ち悪い。
「お願いします」
「レフ様はいかがされますか?」
クロエの問いに
「俺はいい、汚れは落としてきた」
川で水浴びをした後は汗もかいてない。水浴びも返り血を落とすのが主目的だった。
「承知しました、用意をして参ります。少々お待ちください」
クロエが部屋を出て行くと、レフは部屋の中の点検を始めた。ドアは1カ所、ドアを入って右手に窓、左手の壁に作り付けの、天井までの高さがあるタンスがあった。ベッドはドアの対面の壁近くに置かれていて、窓からもそれなりに離れていた。少なくとも窓を開けて一跳びでベッドに着くのは念動の魔法を自分にかける、ということでもしなければ無理だった。ドアの横に掛け燭があり、クロエが案内するときに持ってきたランプがベッドサイドボードの上に載っていた。部屋の配置を一通り確かめて、レフは壁と床を手で無造作になぞった。その指先からほんのわずか魔力が投射されていることがシエンヌの感覚に引っかかってきた。最後に天井をゆっくりと端から端まで目で確かめた。
「ふん、用心深いことだ」
レフは笑いながら言った。苦笑いに近い表情だったが。
「何がですか?」
シエンヌがレフの笑顔を見たのは初めてだった。笑うと意外に親しみやすそうな顔になる、というのがシエンヌの印象だった。
「あそこだ」
レフがドアから見て左の奥を指さした。作り付けのタンスの前だった。
「隠し扉がある。多分タンスの引き出しが階段の代わりだ」
シエンヌはレフが指さしたところをまじまじと見た。確かに少し不自然で天井の模様がずれていた。言われてみればその奥にかなりの広さの空間があるのはシエンヌでも分かった。
「あの隠し扉を使ってこの部屋から逃げるというだけではなさそうだな。人を待機させておくことも出来る。監視か、あるいは襲撃するために」
「壁と床には何も無いのですか?」
「そっちは大丈夫だ。さすがに複数箇所に仕掛けを作るほどではないのだろう」
“こんなことをいちいち確かめるなんて……”
王か、直系の王族のようだ。王宮外で滞在するときは滞在場所を徹底的に調べる。もっともそれをするのは親衛隊の魔法士で、彼ら自身ではない。いや、王宮の内部でさえ、魔法士が定期的に点検している。それだけの用心を重ねても何代か前の王太子が暗殺されている。レフのことは何も知らない、でもこんな用心深さを要求されるような立場にいたのだ、シエンヌはそう思った。
ドアがノックされた。開けると盆を持ったクロエが立っていた。
「食事をお持ちしました」
クロエがテーブルの上に盆を置いた。サンドイッチと暖かいスープが盆に載っていた。急いで作られたものだろうがパンも挟まれたソーセージも、上質なものだった。スープもおそらくは残り物だろうが、具も多く美味しそうだった。
「すぐに湯をお持ちします。要領が悪くて申し訳ありませんが、いまこの家には私一人しか女手がありませんので」
軽く食事をした後、シエンヌはお湯で体を拭いた。昼からの汗が乾いてこびりついていた。その間レフはシエンヌの願いに頷いて、後ろを向いていた。シエンヌが意外に思ったことに、顔を赤くして頼んだ言葉にレフは簡単に頷いてくれた。湯は適温だったし、タオルは肌触りの良いものだった。
使い終わった湯を返して部屋に戻ったシエンヌはレフが窓と隠し扉に糸を張っているのを見た。糸の片方を扉に固定し、もう一方を壁に固定していた。作業の手を休めることも、シエンヌの方を振り向くこともせず、
「ドアを閉めて」
言われて後ろ手にドアを閉めると、隠し扉のところの作業を終えたレフがドアノブと壁の間に糸を張った。一重の糸はドアを開けるとすぐに切れそうだった。特別丈夫な糸ではないことは、それが候補生の荷物の中から持ってきた物であることから明らかだった。
「それはいったい……?」
疑問を口にしたシエンヌをレフが振り返った。
「一種の探知結界だな。糸が切れるとそれが俺に分かるようになっている」
これもシエンヌの知らない魔法だった。レフが大きく伸びをした。
「さて、寝るか。夜明けまで余り間もないが、少し寝坊してもエガリオは文句を言わないだろう」
疲れていた。初めての対人戦闘だった、暗殺まがいの行為も初めてだった。夢中だったが、3人目までは幾ばくかでもためらいがあった。だがその後は半ば機械的だった。カンティーノとバダガスのときなどむしろ積極的に殺した。あの2人は自分の味方になることなど決してない人間-潜在的な敵-だった。殺したあとも悔いなど欠片も無かった。だがそれでも肉体的と言うよりも精神的に疲れていた。
シエンヌはベッドに入って体を硬くしていた。隷属の契約なのだ、性的奉仕を要求されても拒めない。背中を向けて胸の前で手を組んでいると涙が出てきた。シエンヌは未だ男を知らなかった。年若い女らしく、幸せな結婚を夢みていた。王宮親衛隊に所属していれば、夢が夢のままで終わる可能性が高いことは覚悟していたが。
“分かっていたはずなのに、殺されるよりこちらを選んだはずなのに”
シエンヌの背後でレフがベッドに入ってきた気配がした。シエンヌはますます体を硬くした。ほどなく後ろから軽い寝息が聞こえてきた。
“えっ?”
そっと振り返るとレフが仰向けですやすやと眠っていた。一応敵ではない男のアジトでも部屋中を調べ、探知結界を置くほど猜疑心が強い男とは思えない、無防備な寝顔だった。シエンヌはあきれたような顔でその寝顔をしばらく見つめ、ほっとしながら自分も仰向けになった。なぜか涙が目尻からこぼれた。シエンヌも疲れていた。昨夜は初めての実戦にでるということで気が高ぶってよく眠れていなかった。そしてその初めての実戦で思いも掛けなかった出来事が連続し、引きずり回され、体はくたくただった。
“たった1日で私の立つところはがらっと変わってしまった”
見つめている天井の模様が涙でゆがんだ。そしていつの間にかシエンヌも眠りの中に入っていった。
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