第2話 街の争い 4
アンジエームの街は東西に長い四辺形をしている。王宮は北にあり、それを囲むように貴族街がある。貴族街に接して官庁街があり、官庁街を囲んで官僚達-その多くは下級貴族だった-が住んでいる。平民の住む場所は王宮から離れた南側にあり、その中でも富裕層が住むところとそうでない平民が住むところは画然と分かれていた。スラム街は東西の壁の側に一種の無法地帯を形成していた。この街ではどこに住んでいるかを聞くだけでその人間の
北側、王宮に接して大河、ゼスが東から西に流れており、王都の北を守る堀の役目を果たしている。北の門は直接王宮に通じており、特別な許可を持つ者しか橋を渡ることはできない。ゼスから分かれた流れが王宮の南の堀を形成しており-これは人工的に掘ったものだったが-、大陸で最も堅固な城という評判に寄与していた。 街の南は海に面しており、港-軍港と商港-が作られている。アンジエーム港は王国で一番大きく、船の出入りも多い。
エガリオがレフとシエンヌを連れてきたのは、港に近い比較的富裕な平民が多い住宅街だった。貴族の邸宅ほどの広さはなくても、それぞれの家が塀を巡らし、それなりの門を構えていた。
「あの家だ」
エガリオは曲がり角で立ち止まって、4軒ほど先にある家を指さした。レフも立ち止まってその家の周囲の気配を探った。
「この家を監視しているのはこちら側に2人、向こうが裏になるのかな、少し遠いからはっきりしないがやはり2人いそうだ。」
“…こいつの気配探知にも距離的な限界はありそうだな、ここから裏門の向こうまで50ファル前後か。それくらい離れると正確ではなくなるのか。ただしこいつが本当のことを言っていれば、の話だが”
見張られていることは当然想定していた。だからエガリオの考えは他のところにあった。
“こいつの能力を出来るだけ正確に知っておきたい”
「どうするんだ?見張りを排除するのか?」
「いや、カンティーノは片付けたが、まだ騒ぎを起こすには早い。こっちだ」
表門が南に、裏門が北にある家の東側だった。エガリオがレフ達を案内したのは人がやっとすれ違うことができるほどの細い道に面した東側の塀の中程だった。
「ほう…」
一見何の変哲もない塀に見えたがレフには分かった。
「隠し扉か」
「やはりあんたには分かるか」
エガリオは苦笑しながら塀の一点に手を当てて魔力を注ぎ込んだ。すぐに、
「よし、開いた」
エガリオが押すと塀の一部に偽装された扉が開いた。エガリオの魔力に反応する鍵だった。ここは誰でもある程度の魔力を持っている世界だった。大部分は、火種に火をつける、体を触れていれば言葉に出さなくても簡単な意思疎通ができる、あるいは空気中の湿気から水を絞り出すことができるくらいのささやかな魔力だったが、各人に固有のパターンがあり、同じパターンを持った他人はいないとされていた。そのパターンに反応する鍵で、当然注文生産で結構な値がするものだった。
“この鍵はこいつに有効だろうか?魔力パターン認識の機構をすっ飛ばしていきなり解錠とか出来るんじゃないか?そんなことができるかどうかこいつに直接聞くわけにもいかないしな”
疑心暗鬼だった。
“もっと度胸があるつもりだったがな。だがとにかくこいつとはうまくやっていこう”
扉を閉め、南側に回り込んで玄関の鍵も同じように開ける。
「中に人がいるな、3人で、皆起きている」
レフがそう言って、シエンヌが頷いた。まだ夜明けには時間があった。普通なら寝ている時間だった。
「そうか」
エガリオは2人の言葉を聞いて、玄関から続く廊下をまっすぐ突っ切った部屋のドアに手をかけた。そのままドアを開く。部屋の中には女が2人、男が1人いた。髪の長い若い女と、髪をひっつめにし、紺の服の上にエプロンを着けた50歳前後の女、男はもう少し年を取っているようだったが、夜中にもかかわらずきちんと服を着ていた。ドアの開く音に気づいて掛けていた椅子から立ち上がって、エガリオを見た若い女の顔がぱぁーと明るくなった。
「エガリオ様!」
急ぎ足に駆けて飛びつくようにエガリオに抱きついた。そのまま確認するようにエガリオの胸に顔を埋めた。エガリオの手が女の背中を優しく上下する。
「心配を掛けたな、ミシア。だがちゃんと帰ってきたぜ」
「エガリオ様、ああっ、グローゼイア様、ありがとうございます」
グローゼイアというのは運命、生と死を司る神だった。男がエガリオに近づいてきた。
「エガリオ様、ご無事で何よりです。親衛隊に連れ出されたと聞いて、心配しておりました。若い衆が途中で親衛隊を襲ってでもエガリオ様を取り返そうと逸っておりましたが、どうやらカンティーノ様がうまくやっていただいたようで」
エガリオを顔が硬くなった。
「カンティーノが?」
「はい、カンティーノ様から使いが来て、自分がなんとかするから余計なことをするなと。レスラウがそう申しておりました。それに昨日は”通路”が厳重に固められていてとても通れなかったそうです」
「そうか、カンティーノの野郎、ふざけやがって」
エガリオの剣幕に若い女がびっくりしたように顔を上げた。
「カンティーノ様が助けてくれたのではないのですか?」
「それについては後でゆっくり話してやる」
エガリオは男に顔を向けた。
「ロットナン、レスラウとデハルバン、リントンに連絡しろ、すぐにここに集まれと。ただし、監視されているから、気づかれないように十分に注意しろと。それと、ここに入るのは横門を使うように言え、いま鍵を解除してきた」
男-ロットナン-は戸惑ったような顔をした。
「この時間にですか?」
「そうだ、できるだけ早く来いと伝えろ」
「分かりました」
ロットナンは目を伏せた。すぐにびっくりしたように目を見開いて、エガリオを見た。
「っ…遠隔通話出来ません!全く繋がりません」
眼が泳いで、声がうわずっていた。
「ああ、悪い、俺のせいだ」
少し離れた所からレフが口を挟んだ。
「ちょっと待ってくれ。すぐ通じるようになる」
レフが小さな声で何かを呟いた。
「っ、繋がりました」
ロットナンは不審そうな目つきでレフを見たが、すぐに目を伏せて、エガリオに命じられたとおりに相手、さっき名前を挙げた男達の下にいる遠隔通話が出来る魔法使い達にエガリオの命令を伝えた。
「旦那様」
レフとシエンヌはドアの外に立っていた。その2人の方を見ながら、エプロンを着けた女がエガリオに訊いた。
「そちらのお二人は?」
「大事な客人だ」
レフの方を振り返って、
「紹介しておこう、この家の家事を取り仕切っているクロエだ。それにロットナンとミシアだ。クロエ、この2人はレフとシエンヌという。くれぐれも粗略には扱うなよ」
執事風の男と、若い女がレフに対して頷いた。クロエはレフとシエンヌに向かって膝を曲げ、軽く頭を下げて、
「承知いたしました。クロエと申します。よろしくお願いいたします」
「さて、2人には何か軽く食べて、休んでいてもらおうか。この先は我々だけで対処する。クロエ、客用寝室に案内しろ」
レフとシエンヌは顔を見合わせた。互いに頷いて、
「そうだな、この先は俺が手出ししない方が良さそうだ」
「それでは客用寝室にご案内いたします。食べるものもそちらへお運びいたします」
レフとシエンヌがクロエに案内されて客用寝室に向かうと、ロットナンがエガリオに身を寄せてきた。小さな声で、
「あの2人は何者なのです?特にレフとか言う男の方は?私の遠隔通話を邪魔していたようですが、いったいあれは何なんですか?」
ロットナンが疑問を顔一杯に浮かべてエガリオに訊いた。
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