第2話 街の争い 3

 3人は裏口のそばの壁に身を寄せた。塀はなく、建物が直接通りに面している。街路から2段の階段を上って外開きのドアがある。レフがそのドアに体を密着させて、顔を伏せた。すぐに顔を上げてささやき声で、


「ドアを開けたところに1人いる。騒がれるとまずいな」


 エガリオがうなずいた。


「しかし他には表の玄関口しかないぞ」

「なにも律儀にドアを使って出入りする必要もないだろう」


 レフはドアから少し離れて、2階を見上げた。端からゆっくり動きながら窓を確認して行って、ちょうど家の幅の真中くらいの位置で


「この窓だな。中に誰もいないし鍵がかかってない。不用心なことだ」


 何をしているんだというような顔でついてきていたエガリオが、


「何だって、何でそんなことが分かるんだ?」


 レフはエガリオの質問には答えず、シエンヌを振り返った。何本かの短剣と縄を荷物から抜き出して残りをシエンヌに渡しながら、


「おまえはここに残れ。中で騒ぎが起こったら離れて隠れていろ。もし俺が戻らなかったら、シエンヌ・エンセンテ・アドル、おまえは自由だ。契約の神メリモーティアの名において告げる」


 シエンヌはびっくりした。隷属の契約は相手が死ぬときに解除を約束していれば、死後無効になって隷属者は解放される。解除されなかった契約は普通は誰か-契約者の身内か、親しい人間-に受け継がれるが、レフのように誰もいない場合、そのまま隷属者を拘束し続ける。そうなれば高位の隷属魔法の使い手に何とかしてもらわなければ隷属者はなにもできないまま死ぬ。だから隷属者は契約した相手を、命をかけて守る。自分の命だからだ。レフのように解放を約束することなど滅多にない。


“なぜ私の解放を約束するのかしら?”


 シエンヌは要領を得ない表情のまま小さく頷いて、壁際の闇の深いところへ身を移した。レフは少し下がって軽く助走をつけて、トンと飛び上がった。1.5ファルは高さがある窓枠にふわりと乗ったレフを、びっくりした顔でエガリオとシエンヌが見た。

 足場の悪い窓枠に器用につかまりながら、窓を開けて滑り込んだ。すぐに降りてきた縄につかまってエガリオが壁を上った。部屋は物置のようで、雑多な物が乱雑に置いてあった。部屋のドアを開けて廊下に出る。2階で不寝番をしている者はいなかった。明かりも付いてない廊下は外よりさらに暗かった。

 途中の部屋の中から大きないびきが聞こえた。レフとエガリオは気にもせず通り過ぎ、そのまま女の寝室の前に移動する。

 ドアの鍵を確認、さすがに閉まっていた。レフが両手を鍵穴をくるむように当てた。わずかな魔力がレフの手から鍵穴に注がれるのがエガリオにも分かった。待つ程もなく小さな音がして鍵が開いた。


“えっ?何だ、いまのは?”


 魔法で鍵を開けたのだとはエガリオにも理解できた。難しい鍵ではない。しかしこんな方法で解錠できることなどエガリオは初めて知った。さっき、鍵がかかってない窓を見分けてことといい、この鍵の開け方といい、こいつを侵入させないためにはどうすればいいんだ?


 そっとドアを開けて部屋の中に忍び込んだ。大きなベッドの端に女が小さく体を丸めて寝ていた。そしてベッドの中央には大の字になって太った男が寝ていた。腹が毛布の下で小山のようだ。その小山がいびきに合わせて上下している。

 レフが二重あごのひげを生やした男を指さすと、エガリオが頷いた。無造作とも思える歩き方でベッドに近づくと、細身の短剣を鞘から抜いた。刃の細い、鎧をまとった敵を相手にするときに使う鎧通しの短剣だった。鎧の継ぎ目や隙間を狙うための、刺突だけに特化した武器だ。レフは男の頭の横に身をかがめると、その短剣をすっと男の左の耳の穴に差し入れた。小山の動きが止まり、いびきが止まった。身動き一つせずにカンティーノは死んだ。女は何も気づかずに寝ている。ナイフを抜くと耳からわずかに血が流れた。それを拭き取って2人は部屋の外に出た。

 

 いびきの聞こえた部屋の前を通るとき、中から声が聞こえた。レフは身構えたが、寝言のようで意味の分からない言葉が続いた。立ち止まって聞き耳を立てていたエガリオがささやき声で


「こいつは…、しめたバダガスの声だ。レフ、こいつも頼む」

「全く人使いの荒いことだ、割増料金をもらうぜ」


 レフが口角をわずかに上げて同じようにささやき声で返した。部屋の鍵を開けて中に入る。豪華な家具がゴテゴテと置いてあり、部屋の中央に大きなベッドがあった。客用寝室だった。バダガスは上半身裸で毛布も掛けずに1人で寝ていた。バダガスを同じ方法で殺す。武闘派で、逞しく肉体を鍛え上げていたバダガスもこんな攻撃に抵抗するすべはなかった。

 バダガスの部屋を出るときにレフがドアのところで再度家の中の気配を探った。何の騒ぎも起きてなかった。


“たぶん明日の朝、誰かがこの2人を起こそうとするまで気がつかないだろうな”


 物置に戻って、エガリオは縄を伝って下に降りた。続いて縄を回収して窓を元通り閉めたレフが飛び降りた。2階から飛んだとは思えないほど静かな着地だった。闇に紛れていたシエンヌが近づいてきた。


「終わったのですか?」


 レフが頷いた。シエンヌの感覚にも家の中で2つ、命が消えたことが捕らえられていた。だからこの言葉は疑問ではなく、確認だった。シエンヌにはレフの建物内での移動が探知できなかった。この近距離で強烈な感情-敵意や好意、殺意などその最たるもの-をもって動いている生き物を感知できないなどということは、少なくとも親衛隊で訓練を受け始めてからはなかった。現にエガリオの動きは探知していた。それなのに個人として認識し、その名まで告げられているレフを感知できない、これは大きな驚きだった。


“レフ様はカンティーノに対して殺意や敵意といった強い感情を持ってなかったのかもしれない”


 それならある程度は納得できる。


 エガリオはレフを先導して街路を歩きながら、この先最も邪魔になるであろう2人を片付けてほっとしていた。しかし、一時の気持ちの高ぶりが収まると、背中を冷たいものが這い上がって来た。自分の後ろを歩いてくるレフにどうしようもない恐れを感じた。とんでもない腕利きの暗殺者だった。親衛隊を相手にしているときは、使っているのは短剣だったが、戦い方は戦場での身のこなしに見えた。しかし、今、カンティーノとバダガスを殺したのは暗殺者の遣り方だった。その気配探知能力も、家屋内への侵入も、これまでエガリオの知っていた水準を遙かに超えていたが、なによりあの2人の殺し方がエガリオを恐れさせるに十分だった。躊躇いもせず、冷静に、確実に、声も出させず片付けた。


“こいつに狙われたら助からないな”


 その思いが頭を離れなかった。カンティーノにとってレフの出現など想定外もいいところだろう。それにエガリオを始末したと考えて多少の気の緩みはあっただろう。それでもあれほど簡単に殺されるものだろうか?自分だったら逃げられただろうかと自問しても自信はなかった。狙われていると分かって、一瞬の油断もなく長期間警戒し続けるなど不可能だ。そしてレフにとってはわずかな隙で十分だろう。


“しかし、今のところこいつには敵対していない”


 これからもうまく遣っていかなければいけないし、遣っていけるだろう、そう思うことでやっと恐れをなだめることができた。





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