第2話 街の争い 1

 3人が市壁の近くまで戻ったのは既に真夜中近くになった頃だった。2里ほど離れた所で馬を放した。騎乗したままで近づくことは出来なかった。親衛隊のものだということを示す焼き印が押してあるから見る人が見ればばれてしまう。1里ほど離れた小高い丘の上から月の光の下で見る市壁は、大人の身長の5~6倍の高さでぐるりとアンジエーム市街を取り囲み、黒くうずくまっていた。壁の周囲半里ほどは隠れるところがないように整地されており、幅広い道が、市壁の上にさらに高く望楼を積み上げた門に向かって続いていた。門は日の出から日の入りまでしか開いておらず、今は閉められていた。門のすぐ外には、日の入りまでに門をくぐり損ねた人たちが数十人、馬車を交えて夜明けを待っていた。王族でもなければ夜中に門が開くことはない。閉められた門の外で何が起ころうと門衛達は気にしない。たとえ彼らが盗賊に襲われても、助けに来ない。出てくるとすれば助けるためではなく、盗賊を討伐するためだ。


「市の東門だ」


 エガリオが門を指さしながら言った。


「日が昇るまでは開かないわ。それに開いても身分証を持たない人間は通れない」


 シエンヌが言ったのはこの街に住む人々の常識だった。しかしエガリオはシエンヌを見て、にやりと笑った。


「ところがそうでもない」


 シエンヌは眉をひそめてエガリオを見た。エガリオは平気な顔で、


「こっちだ」


 2人を案内するように先に立って歩き始めた。市壁を遠くに見て、整地されたところに沿って坂道を上下しながら南に下っている。月明かりの小道の足下はおぼつかなかったが、3人とも昼間と変わらない速度で歩くことができた。半里も歩かないうちにエガリオが立ち止まった。小さな雑木林の中だった。3人の前に太い枯れ木が倒れていた。


「この向こうだ」


 エガリオは枯れ木を乗り越え、その陰にある大きな岩に手をかけた。レフとシエンヌが不審そうな顔でエガリオを見た。


「ちょっとこつがいるんだ」


 エガリオは岩のくぼみに手をかけ少し上向きに力を入れて左へ押した。すーっと岩が動いて大人1人が通れるくらいの穴が見えた。シエンヌが息をのんだ。


「やっぱり、こんな通路があったんだわ」


 市の警備隊でしばしば言われていることだった。正規の出入り口だけではなく、堂々と出入りできない輩が使う通路があるのだと。そんな噂は親衛隊にも聞こえていた。仲間内で話題になったことがあったが、まだ実務に投入されてない候補生ひよこ達にとっては時間つぶしの話題たねに過ぎなかった。


「見つけたら大手柄だぜ」


と誰かが混ぜっ返して皆で笑って終わる話題だった。


 エガリオは2人を促して先に穴の中に入らせた。はしごが立てかけられていて10段ほど降りると底だった。続いて降りてきたエガリオがはしごの途中で手を伸ばして動かした岩の底面に何か操作をしていた。岩がまた動いて、小さく見えていた夜空がぴたりと閉じられた。あたりが真っ暗になった。

 エガリオは降りてくるとそのまましゃがみ込んで、壁の一部を探っていた。すぐに戸が滑る音がして、何かを取り出す動作をした。ボウッとエガリオの顔が明かりの中に浮かび上がった。手燭を持っていた。


「多少のでこぼこがあるから躓くなよ」


 エガリオが先導して、大人がやっと2人ほど並んで歩けそうな細い通路を歩き出した。


「この道は市門とは逆に日の入りから日の出までしか使っちゃいけないことになっている。明るいうちは入り口に近づくのも御法度だ。どこから誰が見ているか分からないからな」

「あんたらの大事な秘密って訳だ。いいのか俺たちに教えて?」


 レフの声にいくらかからかうような響きがあった。エガリオが生真面目に答えた。


「それくらいの力は持ってるからね、俺だって」


 土の下をただ掘っただけの通路だった。ところどころ軟らかい地盤を支える板が渡してあり、支持のための柱が立っていた。5ファル四方ほどのちょっとした広間に出たのは1里ほど歩いた後だった。広間には2人の男がいて、通路から出てきた3人を見ていた。この通路の見張りだった。そのうちの1人がびっくりしたような顔をして、


「ザ、ザラバティ親分?」


エガリオが右手を挙げて男達に挨拶した。


「よお、通らせてもらうぜ」


 男達が互いに顔を見合わせた。それからエガリオの方を向いて、


「そ、そっちの2人は?」

「俺の知り合いだ、身元は俺が保証する」

「親分さんの保証なら……、通行料はそっちの2人については1人銀貨5枚、親分さんは2枚でさ」


 高い通行料だったがそれだけ払っても正規の門を通過したくない場合がある。特にエガリオのような裏社会の人間にとっては。そしてこの通路はアンジエームの裏社会にとっては共同財産のようなものだった。エガリオがレフの方を見た。金は全部レフが持っているからだ。レフが1歩男達の方に近づいた。吊られてシエンヌも1歩出た。


 転瞬、


 レフがエガリオとシエンヌを横に突き飛ばして前に走った。ほとんど同時にドスドスドスと音がして、レフ達3人がいた地面に10本を超える矢が突き立った。レフに突き飛ばされて転がったエガリオは顔を上げるとまず、地面に突き立った矢を見て、次に見張りの男達の方を見た。男達は2人とも地面に転がって足を抱えて悲鳴を上げていた。その向こうに短剣を抜いてレフが立っていた。エガリオはゆっくりと立ち上がった。エガリオの表情が消えていた。


「なるほど」


 仕掛け弓は通路を守るためのものだった。見張りの操作で発動する。いろんな人間がこの通路を通る、中には歓迎したくない連中も混ざる。そういう連中をもてなすための仕掛けでこれ以外にもいくつかあった。どれも脅しではなく、確実に仕留めるのが目的だった。見張りの男達はエガリオを殺そうとしたのだ。男達はレフに膝を砕かれていた。悲鳴を上げながら転げ回る男達に、エガリオが短剣を抜いて近づいていった。近い方の男-さっきから口をきいていた方の男だった-のそばまで来ると、いきなり喉を切り裂いた。男は口から大量の血と泡を吹き出して手足をびくびくとけいれんさせて息絶えた。エガリオがナイフの扱いに手慣れていることを示す、鮮やかな手並みだった。


「説明してくれる口は一つでいいからな」


 そう言って残った男の横にしゃがみ込んだ。2人のうちではおそらくリーダー格であろう方を問答無用で始末して格下に恐怖を与える遣り方だった。それに格上の目がなくなればしゃべりやすくなる。男は恐怖に目を見開いて、エガリオから少しでも距離を取ろうと懸命に後ずさって、レフの足にぶつかった。いつの間にかレフとシエンヌもそばに来て男の横に立っていた。


「警備隊の奴らの手際がよすぎると思ってたんだ。踏み込んできたとき、俺の居場所を知ってるみたいだったし、逃げ道が全部押さえられていたし。売ったやつがいるんじゃないかと思ってたが、やっぱりか」


 エガリオは短剣の刃の腹でピタピタと男の頬を叩いた。


「おめえら、たしかバダガスんとこの若えのだったな」


 エガリオの特技の一つだった。見た顔は忘れない。それに付属する情報とともに。


「バダガスが裏切ったのか?」


 男はかくかくと頷いた。


「他には?」

「バ、バ、バダガス、お、親分、だけで…」

「嘘だ」

「嘘」


 レフとシエンヌが同時に言った。エガリオは二人の方を見て、男に向き直って、


「だとよ。他に誰だい?」


 男は助けを求めるように周りをきょろきょろと見回した。目がさらに見開かれ、口がぱくぱくと動いた。びっしりと冷や汗をかいていた。


「カ、カ、カ、カンティーノ親分が……」


 今度はエガリオがびっくりしたように口を開いた。そして、レフとシエンヌを見た。

 

 レフが頷いた。


「今度は本当」


 シエンヌは口に出した。


「くそったれ!」


 エガリオは短剣を力任せに男の胸に突き立てた。男はびくんと震えて、息絶えた。







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