第1話 森の闘い 7

 人の群れに紛れて隠れることができるほど大きな町は、アンジエームでなければ徒歩で3日以上かかる距離だった。住人の少ない村などは見知らぬ人間は目立って仕方がない。この先どうやって生きていくかを考えると、人里離れたところでひっそり隠れて暮らすのでなければ大きな町の人混みに紛れてしまうのが一番だった。


「なぜ俺たちに新しい身分が必要になると思うんだ?」

「あっ、いやつまり…、あんたが荷馬車に乗せられるとき、牢役人が逃亡奴隷だろうと言ってたのを小耳に挟んだんだ……、それであんたは身分を保証するようなものを持ってないんだと見当をつけたんで…。そっちのお嬢さんが軍にいられなくなったのはさっきのやりとりで分かるんで、二人とも新しい身分が必要かと見当をつけたのさ」

「あんたにその手配ができると?」

「ああ、まあウルビのエガリオっていえば多少は顔が利く男だからな」


 シエンヌが顔をしかめた。ウルビと言うのはアンジエームの中の歓楽街だった。男が求めるもの-酒と女-を提供し、治安の悪い場所だった。シエンヌもそれくらいのことは知っていた。休暇のあと、仲間の候補生達が前夜の武勇伝を自慢げに話すことはよくあった。その中に頻繁に出てくる名前だった。


「よし、分かった。あんたにそのあたりのことを頼もう」


 エガリオはあからさまに安心した顔になった。これで少なくともすぐには殺されない。名前を知られたためマーキングされてしまった。レフがその気になれば逃げ切れない可能性が高い。特にこの森とその周辺では。その上、そばにいる魔法使いも探知が得意だ。この2人に一つの人格として、認識されてしまえばさっきのように隠れるのも難しくなる。だがいろいろ役に立つところを見せれば殺されることはなくなるだろう。


「あんたにも手伝ってもらおう」


 レフは視線を巡らせて、周囲に倒れている男達を見ながらエガリオに言った。


「こいつらの荷物から金目のものと役立ちそうなものを頂く」


 エガリオが頷いた。


「あはっ、なるほど、町ってのは何かと金がかかるからな、死人が持っていても使いようがないものの有効利用って訳だ。」

「シエンヌ、おまえも手伝え」

「えっ」

「嫌か?」

「……いえ、やります」


 顔見知りの死体や所有物を物色するのはつらいかもしれない。しかし、これまでの生活とはっきり切れたことを芯から思い知らせるには、いい方法だった。自分に従うのなら、これまでとは全く違う生活が始まることを知ってもらわなければなるまい、レフはそう思っていた。




 金と金目のもの、食料、それに何かに役立ちそうなものを回収して、レフは川の方へ向かった。もう一度返り血を洗い落として、着替えをしたかった。浴びた返り血がレフの体温で暖められて、臭いを放っていた。シエンヌとエガリオは黙って着いてきた。河原に荷物を置くと、無造作に裸になって脱いだ服を持って川の中に入っていった。何度も水を浴びてこびりついた血を洗い落とした。濡らした服を絞って体を拭いた。髪の毛がごわごわだった。きれいに洗い流した後もしつこいほど繰り返した。いくら洗っても血の臭いが消えないような気がした。


 シエンヌは女の前で平気で裸になるレフにびっくりしたが、何も言わずレフが置いた荷物のそばに立っていた。自分の荷物もその横に置いた。周りの気配-特にエガリオ-に注意を払いながら、レフをみていた。やせた体だった。仲間の訓練生の体に比べると貧弱と言っていい体だった。だがその体で2ヶ小隊の親衛隊を-ほとんどは候補生ひよこだったとはいえ-倒したのだ。槍士や第2小隊長は頸動脈を切り裂かれていた。最小限の力で致命傷を与えるためのやり方だったが、それでも彼らの首は半ばまで切断されていた。見かけだけで判断してはいけない、シエンヌはいつの間にか唇をかみしめていた。

 エガリオも注意深くレフを観察していた。エガリオはレフが戦うところを見ていた。信じられないような迅さだった。相手が何も反応できないうちに終わっていた。少なくとも見かけ通りの力だと思ったりすると大けがをする。あの迅さを出せる筋肉にはとても見えないが。エガリオは返り血を洗うレフの表情にかすかな嫌悪感があるのに気づいていた。それに必要以上に丁寧に洗っているようだ。


“人を殺すのが好きって訳じゃないんだな”


 しかし必要とあればためらわない。あまり怒らせるようなまねをしない方がいいな、少なくとも当面は。腕に覚えがないわけじゃないが、とてもあの迅さにはかないそうもない。

 返り血のしみこんだ服を川の流れに捨てて河原に戻ってきたレフは兵士から奪った服に着替えた。やはりレフには大きかったが元々きちんとサイズを合わせて着るような服でもなかった。ベルト-これも兵士からいただいたものだったが-を締め、短剣を1本だけベルトに差した。着替えが終わると荷物のそばから後ろに下がったシエンヌと少し離れたところに立っていたエガリオに


「じゃあ、行こうか」


声をかけて森の入り口の方へ引き返し始めた。陽がそろそろ傾き始める頃だった。


 森から出ようとするところで、森の外に繋いである馬の番をしている小者と御者の一人の姿が見えた。

 森へ徒歩で入った第一小隊の馬だった。エガリオが嬉しそうに声を上げた。


「馬だ、もらっていこうぜ、街まで結構あるからな。歩いていたら明日になっちまう」

「ああ…、だが番をしている男がいる」

「排除すればいい」

「まあ、そうなんだが…」


 レフの態度に逡巡があった。不思議そうな顔でエガリオがレフを見た。レフが言い訳がましく、


「あいつら、兵隊じゃない」


 エガリオがあきれたような顔をした。


「だから可哀想だってのか?ここまで俺たちを連れてきたんだぜ、ここで何が起こるか知っていて」


 それでもためらう気配を見せるレフに、エガリオが小さく舌打ちをした。


「ここで待ってな、俺が馬を連れてくるよ」


 エガリオがするすると離れていった。


“明確な敵でないと殺すのをためらうのか。基本的にはお人好しだな。だがあの腕はたいしたものだ。そばに置いておけばなにかと役に立ちそうだな”


そう思いながら。















 

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