第1話 森の闘い 6

 レフは長剣を納めて、魔法使い-シエンヌ-の右手を踏んでいた左足をあげた。シエンヌは立ち上がって、マントに付いた埃をはらった。ほとんどレフと同じくらいの背丈があった。シエンヌはフードを頭から外してまっすぐにレフを見、わずかに左足を引いて膝を曲げ、頭を下げた。顔を上げて、


「レフ様、それともマスターとお呼びしましょうか?」


 少しハスキーな、しかし耳に心地よい声だった。


「名を呼ばれるのは好きじゃない」


 自分の一部があらわになるような気がする。知らない人々の中で名を呼ばれるのは嫌だった。


「では、マスター?」


 それもしっくりこなかった。


「ご主人様?旦那様?」


 レフは首をひねった。どれもあまり感心しない。結局比較の問題だった。


「レフでいい」

「はい、レフ様」

「シエンヌは貴族なのか?エンセンテ一門の」


 エンセンテという一門名とアドルという家門名を持っている。エンセンテ一門はこの国でも指折りの名門で、巨大な勢力を持っていた。


「エンセンテの一門ですが、アドル家など末端の貧乏貴族です。そうでなければ娘を軍 ― 親衛隊になど出しません」


 軍は平民が成り上がる手段の一つだ。特に王宮親衛隊は他の軍から一目置かれる存在であり、王族に個人的に目をかけられる可能性も高いため、競争も激しく、入隊するのにかなりの才能を要求される。親衛隊は平時においては主に内宮-王族のプライベートゾーン-の警備と外出時の警護、戦時においては王の本陣の最後の盾がその役目だった。それだけ個人的に高い技倆が要求され、腕に覚えのある平民が応募してきた。そして出自にかかわらず、実力のある者が採用された。王に近いからこその実力主義だった。

 貴族は王宮に伺候する機会も多く、それなりの才能があれば国軍の士官から始めることができる。つまり最初から特権を約束されている。なにも競争の激しい親衛隊を目指すことはない。アドル家というのは貴族とは名ばかりの家で、そんな特別待遇を期待できる身分ではなかった。


「いくつだ?」

「17歳です」

「17?ずいぶん若いな」

「魔法士は15歳で候補生になれますから………。槍士や弓士、それに騎士は武器を持つ体ができあがるころの17~8歳で候補生になりますが、魔法士については軍で使えるほどの能力を持った魔法使いは少ないし、武器を振るう必要もあまりないことから15歳で募集されます。それだけ長く軍に在籍させることができますし。それに魔法の才能は15歳になっていればほぼ伸びきっていますし、男女差がありませんから……」


 シエンヌは何か吹っ切れたように饒舌だった。レフに隷属すればこれまでの生活と全く異なる生活が始まる、それとなんとか折り合いをつけたい、という意識がそうさせていた。


 レフは左手を上げてシエンヌに黙るよう合図をした。顔を右に向けて視線を移す。シエンヌが不審そうな顔で口を閉じたとき、レフの右手がさっと動いた。カツンと音がして、6~7ファルほど離れた木に短剣が突き刺さった。


「出てこい」


 シエンヌは何をしているのと言いたそうな顔をしてレフを見た。シエンヌの探知魔法には何も引っかかってなかったからだ。


「出てこないならこちらから行くぞ」


 短剣が突き立った木の陰からひょこっと男が顔を出した。シエンヌがびっくりしたのは、その男が自分の探知魔法に引っかからなかったことだけではなく、それにもかかわらずレフが気づいたことだった。シエンヌの探知魔法はかなりの技倆を持っており、見習いのレベルを超えて正隊員に混ざっても上位にランクされるはずだった。それをごまかす男と、ごまかされないレフ、レフ一人に殲滅された、見習いがほとんどとはいえ親衛隊の2個小隊、今日一日でシエンヌのこれまでの常識はズタズタだった。

 男は背が高く、痩せていた。垂れ目の、一見人の良さそうな印象を与える顔だった。茶色の髪は頸の後ろで束ねている。目の下にたるみができかけている顔は、40歳前後だろう。長い足をヒョコヒョコと動かして近づいてきた。


「そこで止まれ」


 2ファルほどの距離になったとき、レフが命じた。男は敵意がないことを示すため両手を胸の高さまで上げて、手のひらを見せていた。それをじっと見ていたレフが、


「懐の短剣を捨てろ、長剣はそのままでいい」


 男はびっくりしたようにレフを見つめた。確かに懐に短剣を隠していたし、男にとって長剣より短剣の方が使い慣れた武器だった。うまく隠しているつもりだった。ゆっくりと右手を懐に持って行って短剣に触れたとき、このまま引き抜いて襲いかかろうかという気が一瞬した。しかし、レフの目が鋭くなったことに気づいて、そのまま鞘ごと短剣を懐から出して投げ捨てた。全滅した第1小隊の隊員が持っていたものだった。レフが移動してから回収したのだ。


「おまえも鎧の仕掛けに気づいたのか?」


 レフの問いに、


「けっ、あんな間抜けな仕掛けなど、引っかかったりはしない」


 男は横を向いて、地面につばをはきながら答えた。


「なぜこんなところをうろついている?」


 できるだけ遠くへ逃げるのがふつうではないのか?


「鎧を脱いでしまったら魔法使いには見つからない自信があったからな。あとは風下を取って犬をなんとかごまかすことができれば逃げ切れるだろうってのが胸算用だった。あいつらだってまさか獲物が引き返してくるなんて思わないだろうから」


 レフはにやっと笑った。確かに男の隠形はたいしたものだった。レフでなければ気がつかなかっただろう。レフにしても、男が動かなければ気づかなかった。男は、おそらくもう見るだけのものは見たと思ってこの場を離れようとしたのだろう。そのわずかな身動きがレフの探知に引っかかったのだ。


「名は?」

「えっ?」

「名はなんと言うんだ?おまえ」


 男は頭をボリボリとかいた。唇をゆがめている。目をすがめながら、


「言わなきゃ-……、いけないか?」

「俺たちの名を聞いていただろう、おまえが言わないなら」


 レフは視線に殺気を込めた。


「ひえっ。…全く容赦する気はないってことか」


 男は頸をすくめて、


「俺は…エガリオ、エガリオ・ザラバティーだ。そっちのお嬢さんと違ってごたいそうな一門名は付いてない。由緒正しい平民だぜ」


「エガリオ……?」


 本名のようだ。


「嘘はついていないと思います」


 横からシエンヌが補足してくれた。魔法士は尋問の訓練を受ける。その時の被験者のわずかな動き、心拍などから真偽を見分ける。病的な嘘つきか、あらかじめ嘘をつくことを予定している場合以外、何か徴候が出るものだ。


「いいだろう、じゃあ好きなところへ行け」

「えっ?」


 今度は間の抜けた顔になった。ぽかんとしている。


「ここからずらかろうとしていたんだろう?だったら好きなところへずらかればいい」

「ちょっ、ちょっと待ってくれ。背中を向けたとたん、ぶすってのは嫌だぜ」


 レフは笑った。実際かたづけておいた方がいいのではという気持ちが多少はあった。


「簡単にぶすっとやられるようなタマか?おまえ」


「お、俺は隠れるのは得意だけど、得物を振り回すのは苦手で、あんたみたいな手練れを相手にした日にゃ命がいくつあっても足りゃーしない。……そうだ、アンジエームの町へ引き返すんだろう?あの町なら俺の縄張りであんたとそっちのお嬢さんが隠れるくらいの場所なら提供できる。それに新しい身分を手に入れる手伝いも」


 アンジエームというは今朝方荷馬車に乗せられて出てきた町だった。そこの牢にとらわれてはいたがレフは町の中については何も知らない。











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