第1話 森の闘い 4
第一小隊長はあらためて槍を握り直した。目の前の男を油断のない眼でみつめる。
試しに軽く、しかし十分なスピードをもって槍を繰り出してみた。男の右手が動いて槍がはじかれた。軽くはじいたように見えたが槍が持って行かれそうな重さを感じた。
“思い出した”
牢の責任者が、最後に加えたやつだ。10人では物足りないと言ったら、囚人ではありませんが、と言って連れてきた。おそらく逃亡奴隷でしょう、市門のすぐ外に倒れているのを見つけたもので、身分証を持ってませんでした。首輪も隷属紋もありませんでしたが、そう考えるのが自然でしょう、そう責任者は言ったのだ。
レフはナイフを構えながら目の前の男を観察していた。いかにも戦士といった体格の男だった。背が高く、胸板が厚く、太い腕で重い槍を軽々と扱っている。ほかの兵士が持っている槍よりも一回り大きく、おそらく士官の特権で装備している私物だった。レフの口元に微かな笑いが浮かんだ。
“面白い”
さっきの戦闘より手応えがありそうだ。そして先ほどの経験が、レフの対人戦闘に対するためらいを消していた。むしろ手強い相手を歓迎するような気持ちがあった。自分の技量がどれほどのものか、確認することが出来る。
左手を少し後ろに引いた。そしていきなり左手の短剣を男に向かって投げた。短剣は男の眉間を狙っていた。男は槍を少し引いて柄で短剣をはじき飛ばした。槍が動いた瞬間に右手の短剣を投げた。男はわずかに体勢を崩しながら上体を後ろにそらせてよけた。そのほんの少しの隙でレフには十分だった。後ろ腰に差していたもう1本の短剣を右手で抜くと男の懐へ飛び込んだ。ほとんど男が目視できない迅さだった。本能的に慌てて飛び退こうとした男の左の頸動脈を切り裂いた。ドクンドクンと傷口から大量の血が吹き出した。十分な手応えを感じてレフは跳び下がった。口を悲鳴の形に変えてそれでも声を出せずにいる男の顔から見る見るうちに生気が失せて、そのまま仰向けに倒れ、数度手足を痙攣させて動かなくなった。レフは男の服で血の付いた短剣をぬぐい、倒れた兵士達を見回した。むせるような血の臭いが充満していた。しかし今度はえづきがおそってくることはなかった。
“これで12人か……”
倒すべき敵があとまだ12人いるはずだった。改めて兵士たちの懐を探り、背嚢の中身をあらためた。金と、食料は全部もらった。全部集めればかなりの金額になった。特に士官は何枚かの小金貨まで持っていた。丈夫そうな布の袋を持っていた兵士がいたので、その袋をもらうことにして、食料はその中に入れた。投擲用のナイフは回収した。そして弓と矢も手に入った。一番貴重なのは魔法使いが左手に握りしめていた短杖だった。両手で握って丁度隠れるくらいの長さの杖の頂に魔導銀でできた小さな輪が付いていた。主には遠隔通話の補助具として使われている。あらかじめ同調させた短杖を両方の魔法使いが持っていれば通話距離が短杖なしの場合よりほぼ倍に伸びる。同調させて無くても2~3割は伸びるのだ。軍に居る魔法使いにとっては必需品と言ってよかった。もちろん魔法と相性がいい魔導銀は他にも使い道があった。
第2小隊の小隊長と2人の魔法使いは目の前の戦いを感情のこもらない目で見ていた。これで6人目の処理だった。
“第1小隊は手こずっているようだが……”
第2小隊長は普段武技でも戦闘指揮でも、どうやっても勝てない第1小隊長のことを多少の意地悪さを含みながら考えていた。魔法使いの情報では主力から分かれて行動した3人がやられたようで、主力が慌てて駆けつけている。
“ここであいつが味噌をつけるようなら、上の覚えも変わってくるかもしれない”
同期で、しかも同じ地位にありながら、ここしばらくはずっと下風に立っている。この
そんなことを考えているとき、小隊長の横に並んでいた2人の魔法使いが同時に息をのんだ。1人は思わず声を出していた。小隊長が不審そうに振り返った。
「どうした?」
「第1小隊のゲイザック魔法士との通心が切れました」
魔法使いの1人が答えた。若い女の声が震えていた。長時間継続して遠隔通話を保っている状態を“通心”と称する。もう1人は目をつぶって懸命に魔法探知を行っていた。
「通心がきれた?どういうことだ?」
魔法使いは答えるのをためらった。しばらく逡巡してようやく口を開いた。
「この切れ方は、ゲイザック魔法士が死んだとしか………」
魔法探知をしていたもう一人の魔法使いが口を挟んだ。
「3人動かなくなりました。1人は魔法士です。残りの5人が円陣を組んで、小隊長殿がその周囲を警戒されています」
「敵の気配は察知できるか?」
「いいえ、察知できません」
「攻撃されているのに敵の気配を察知できないのか?逃げているのか?」
「分かりません、遠ざかる気配もありません」
遠くて探知に引っかからないのか?鎧の仕掛けに気づいた男だ。なにか探知を弱める方法を知っているのかもしれない。容易ならざる事態だった。しかし考えている時間はなかった。小隊長は
「おい!さっさと片付けろ!第1小隊を助けに行くぞ」
第1小隊長がまだ残っている。だったら親衛隊でも1、2を争うあの男の腕だ、そう簡単にはやられることはないだろう。自分たちが駆けつけて戦士と魔法使いの補充ができれば十分に盛り返すことができる。それが第2小隊長のもくろみだった。
馬をつないであるところまで戻って馬で行くのが早いか、このまま駆けていくのが早いか微妙な距離だった。結局馬で行くことを選んだのは、この距離を全力で走ったらすぐには戦闘に入れないくらいに息が上がるだろうと判断したからだ。そんなときに襲われたら目も当てられない。その代わり敵は自分たちが近づいているのに容易に気がつく。騎馬の立てる物音の方が遙かに大きいからだ。
馬をつないであるところまで駆け戻って人数の確認をしようとしたところで、魔法使いが第2小隊長におずおずと告げた。周りに聞こえないように小声だった。
「第1小隊長殿が動かなくなりました。他の5人もです」
「なんだと!?殺られたというのか?」
思わず大声になりそうだったが辛うじて声を抑えることができた。
「はい、恐らくはそうだと……」
この短時間で…。どうする?ずいぶん手強い相手だ。馬で反対方向に走れば逃げられるだろう。一瞬そう考えたがすぐにその考えを捨てた。これで逃げ帰ったら上の評価は散々だろう、親衛隊から追い出されるかもしれない。
“それに……、あの第1小隊長がむざむざ殺られたとは信じられない。相手に手傷くらいは負わせているだろう。それにこちらにはまだ魔法士が2人いる。早々と魔法士を殺されて索敵を封じられた第1小隊とはちがう…”
第2小隊長は騎乗した兵士達を大声で叱咤した。
「第1小隊は危機的な状況だ!我々の力を見せてやれ」
壊滅した可能性は伏せた。魔法使い達も何も言わなかった。情報をどう扱うかは指揮官の責任だからだ。
「応!!」
兵士達は武器を高く掲げて応えた。
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