第1話 森の闘い 2

 レフは森の中の道を駆けていく10頭あまりの馬に気づいた。木が邪魔をして正確な数を数えることはできなかったが、兵士たちの半数が先に行ったと見当をつけた。


“逃がさないように挟んでくるつもりだ……”


 そのまま動かずに気配を消して樹上に身を潜めていたレフは、しばらくして下草を踏み分けながら近づいてくる何人かの足音に気づいた。レフが森の中に入り込んだ地点は犬が追跡の中に加わっていればすぐに分かる。跡をたどるのも容易だ。その先に魔法探知で川を流れている皮鎧の気配があると分かれば、鎧を脱ぎ捨てた者が近くにいるだろうと見当が付く。何人か、おそらく犬を連れて追跡してくるだろうとレフは考えていた。やがて木の間に見え隠れしながら、犬を先頭にした兵士たちが見えた。犬を連れた兵士-槍使いだ-、その後ろに同じく槍を持った兵士、最後尾に弓士がいた。犬は逸りながら槍使いをいっぱいに引っ張っているがうなり声は出していない。追跡と戦闘を訓練された犬だった。もう一度こちらが風上ではないことを確認して、そっとナイフを抜いた。3人の兵士と犬が、レフが身を潜めている木の下にさしかかった。やり過ごす選択肢はなかった。やり過ごせば風上になる。犬に気づかれるだろう。

 真下に来たときにレフは犬の首めがけてナイフを投げた。犬は鎧を着てない、鈍刀なまくらであってもナイフは柄まで犬の首にめり込んだ。ギャンッと悲鳴を上げて犬が倒れ込む。犬を引いていた兵士がびっくりしたように犬に視線を向けて前屈みになった。その瞬間、レフは長剣を両逆手に持って刃を下にしてその兵士の首めがけて飛び降りた。体重をかけた長剣は、兜と背嚢の間で兵士の首を貫いた。悲鳴を上げることもできず倒れ込む兵士から槍を奪い、後ろで呆然としてとっさの対応のできてない兵士の槍を跳ね上げる。大きくあいた胴に真正面から槍を突っ込む。槍をその体に刺したまま後ろに倒れ込む兵士に素早く近づくと、その腰から長剣を抜いた。ヒュッと風音がしてレフの頬を矢がかすめた。気配に気づいて頭をそらせなかったら危なかった。慌てて次の矢をつがえようとしている弓士に走り寄ると首をめがけて剣を突き出した。弓士は弓を引き絞る暇もなく首を貫かれて、口から大量の血を吐きながら後ろに倒れた。一呼吸する間もないほどの短時間の戦闘だった。レフの足下に3人と1匹の死体が転がっていた。3人とも戦闘の急な変化に対応できていなかった。経験不足だな、レフは死体を見下ろしながらそう思った。どの兵士もまだ若かった。弓士など十代に見えた。経験豊かな兵士だったら、犬が攻撃された時点でまず武器を構えて周囲を確認したただろう。犬がどうなったかなどはその後でいい。この茶番はそういう実戦を経験させるためのものだった。一度実戦をくぐり抜ければ、-それが茶番であっても-兵士として一皮むける。

 周囲に濃密な血の臭いが立ちこめていた。自分の身に起こったことを理解できないまま死んだ3人を見ているうちに、強烈なえづきがおそってきた。レフは急いで川の方へ引き返した。

 一足川に足を踏み入れたとたん、レフは胃の中のものを吐いた。さっき食べたばかりの生魚を全部戻して、それでも足りずに胃液を吐いた。吐くものがなくなってやっと吐き気が収まると、何度も口をすすいだ。返り血の着いた服を脱いで流れに捨てた。手や顔、髪の毛にも返り血が着いていた。どれほど洗ってもまだ血が付いているような気がした。何回も体を洗って、裸のまま戦闘の場へ戻った。レフも人を殺したのは初めてだったのだ。


“しっかりしろレフ!自分が生きることを最優先にすると決めたのだろう。これからも何人も殺すことになるのだぞ!それともあきらめて死ぬのか?”


 いいや、死ぬ気はない。いぎたなく生き続けてやる。俺が死ぬのを待っている奴らを満足させる気はない。レフの目に冷酷な意思が宿った。2度とこんな醜態はさらさない。


 レフは倒した兵士たちの身と背嚢を探った。背嚢の中には食料、水、着替え、予備の武器、それに個人的な持ち物が入っていた。まず着替えだった。3人の中で一番小柄な弓士-それでもレフより背が高かったが-の着替えをもらった。上着も下着もレフには大きすぎたが、元々厳密に大きさを合わせて着るような服でもない。それにそれまでレフが着ていた服より清潔で乾いていた。サンダルも3人が履いていた物の中から自分に一番あったものに履き替えた。見つけた食料-固いパン-を食べながら、倒れている兵士達の体を探った。犬を連れていた兵士の腰には巾着袋が下がっており、中に、何枚かの銀貨、銅貨が入っていた。後の二人もそれよりは少額だが金を持っていた。その金と、食料と水、短剣、長剣、予備の武器-犬を連れていた兵士が背嚢の中に投擲用のナイフを10本入れていた-を自分の物にした。体格の近い弓士の皮鎧が使えるだろうかと手を触れたとき、その鎧にも魔法探知にかかりやすい仕掛けがあることに気づいた。念のため後の二人の鎧にも触れてみたが同じだった。レフ達に渡された鎧とは区別できる、波長の違う仕掛けだった。つまり、兵士達の中にいる魔法使いには、逃げている男達と、兵士達の現在地が分かるのだ。


“こいつらを殺ったことはすぐに気づかれる……”




 2人の男を9人の兵士が囲んでいた。2人は傭兵崩れだった。それなりの腕を持っており、いつもコンビで活動していた。だから今回も2人で組んで逃げていたのだ。隠れて追っ手をやり過ごそうとしたが、鎧の仕掛けに気づいていなかった。簡単に見つかって、潜んでいた藪から追い出された。兵士のうち戦闘に加わっているのは7人だけだった。小隊長は腕を組んで見ていたし、魔法使いはフードを深く被ったままその横に立っていた。多勢に無勢、武器の質も段違いで、それは戦闘というよりむしろ嬲り殺しに近かった。2人の男は血塗れになっており、肩で息をしながらやっと立っていた。1人の男の背中には矢が突き立っていた。それでも何人かの兵士には浅手を負わせており、返り血と自分が流した血で結構すごい外観になっている兵士もいた。2人の戦い方は巧妙で互いにカバーしあい、弓士と自分の間に槍士を置くような位置を取って戦っていたが、所詮は時間の問題だった。矢を受けている男が力尽きたように膝をついた。とたんにその体に2本の槍が突き立った。ほとんど同時にこめかみに矢を受け男は倒れた。一瞬倒れた仲間に気を取られたもう1人の男にも槍が突き立った。男は自分に槍を突けている兵士を睨むと、槍の柄を左手で握りしめ、兵士に向かって長剣を振り下ろそうとして、倒れた。倒れた男にとどめを刺すように矢が突き立った。動かなくなった男達を兵士が囲んだ。槍先でつついてもどちらの男もぴくりとも動かなかった。兵士達の顔が緩んだ。兵士達も肩で息をしていた。初めて対人戦闘で相手を殺したのだ。肉体的な疲労以上に疲弊していた。膝に手を当てて前屈みになっている兵士もいた。


 第一小隊長は腕を組んだまま、満足そうに口の端をゆがめた。今回の人狩ハンティングりの獲物ゲームの中で一番手強いと見当をつけていた2人を最初に仕留めたのだ。浅手を負った者はいるが、この後の戦闘にも十分耐えられるほどの負傷でしかない。この見習ひよこ達を2年間鍛えてきたのだ。最初に150人ほどいた候補生が最終的に20人余りに減った。訓練中に死んだ者や回復できない怪我をした者もいたが、ほとんどは彼と第二小隊の隊長をしている士官の要求水準に達することができず退団していったのだ。ここにいるのは彼が鍛え、選別した王宮親衛隊候補生であり、技量は満足すべき水準に達していた。足りないのは実戦経験、特に敵を殺す経験だった。そのための人狩ハンティングりであり、この人狩りが正規の親衛隊士への最終関門だった。どうやらそれも乗り越えられそうだ、と彼は考えていた。







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