第1話 森の闘い 1

 レフは与えられた猶予の時間の1/3ほどを、道を走るのに使った。逃げている男達の中で最初に道から森の中へ入っていったのがレフだった。ほかの男達はまだ懸命に道を走っている。その背中が遠ざかるのを見ながらレフは左に折れた。下草を分けながら道とほぼ直角に進んでいくと、思った通り水の音が聞こえてきた。微かな水の臭いに気づいて道から外れたのだった。すぐに幅が5ファルほどの浅い川に突き当たった。


 川は歩いて渉れそうだった。周囲に人の気配がないことを確認してレフは着衣のまま川へ入っていった。川は深いところでも膝の上までしかない。流れの真中あたりで立ち止まった。皮鎧を脱いで流れの中へ捨てた。防具としてはほとんど役に立たないくせに、この鎧にはがしてあった。最初に手に取ったときにそれが分かったが、分かったことを他に気づかせるようなまねはしなかった。追われている男たちの中でも、気づかなかった者はそのまま着用しているだろう。容易い方を追いたがるのは追跡者の常だ。その分、レフに対する追跡が手薄になる可能性がある。こんなところで死ぬ気はレフにはなかった。そのために利用できることはすべて利用させてもらう。それが同じように逃げている男達を犠牲にすることであっても。鎧は浮き沈みしながら流れに乗って離れていった。流れていく鎧から目を離すとレフは服を脱いだ。服といっても膝の下あたりまである、目の粗い布で作られた丈の長いTシャツのような上着と紐で締めるトランクス型の下着だけだった。上着の腰のところに幅広の紐を回し、それに長剣を吊り、ナイフを挟んでいた。足には編み上げのサンダルをはいていたが、足の大きさにあってなかった。どれもこの世界の普通の庶民の夏の普段着だった。これに足首までのズボンを穿くこともあり、護送の兵士たちは皆、鎧の下はそういう服装だった。レフは後ろ手に手かせをはめられて2日間転がされていたのだ、着ていた服はいろんな意味で汚れて臭っていた。汚れはともかく、追っ手に犬がいる、においは落とさなければならない。レフは何度も洗っては絞る動作を繰り返した。納得できるほどにおいが落ちると、濡れたまま服を着た。もう一度周りを見渡し、長剣を抜いて、流れの中に立ったまま気配を消した。すぐにレフの足の周りを魚たちが泳ぐようになった。頃合いを見計らってすっと身を沈める。右手が素早く動く。立ち上がったとき、レフの長剣には2匹の大きめの魚が捕らえられていた。ナイフで鱗とひれを落とし、皮をむいて生のままかぶりついた。昨夜、固い小さなパンを与えられて以降、今まで何も口にしていなかった。そのパンも後ろ手に手かせをはめられていたため、ひどく食べにくかった。水は木の桶に入れたものが置いてあって、顔を桶の中に突っ込んで飲んだ。どんなひどい物でも食える物は喰い、飲める物は飲んでおかなければならなかった。

 調味料もない生の魚は旨くはなかったが、食えるところは残さずに食べた。火を使いたかったが、魚を焼けば匂いが犬を引きつける可能性がある。それに追跡してくる兵士達が現れるまでそんなに時間はない。食べられない部分を流れに捨てて、水を手にすくって何回か飲むとレフは川に足を入れたところに戻ってきた。そのまま川から上がり、たどってきた経路を踏み外さないように気を付けて戻り始めた。顔を上げ、軽く助走をつけて、川近くに生えている木の枝に跳びついて、体を引き上げた。枝の高さまでは2ファルほどあった。枝伝いに隣の木に移って、さらに3本ほど枝を上った。風向きを確かめる。概ね南からの風、つまり道のほうから川の方へ向かう風で、追っ手からは風下であることを確かめて、地上高5ファルほどの高さで幹に身を寄せて気配を消した。


 兵士たちは昼食を食べていた。荷馬車から背嚢を降ろして、中から携行用の食料を出したのだ。焼きしめた小さい固いパンにチーズか燻製肉を挟んだだけの簡単なものだった。飲み物は水しかなかった。それでも十分だったのはこの世界では人々は基本的に朝、夕の2食だったからだ。昼食をとるのは軍人と貴族だけだった。それも夕食までの簡単なつなぎであることが多かった。短時間で食べ終わった兵士たちは、武器の点検をしたり、軽く素振りをしたりしていた。猶予時間があと少しというときになって、2人の士官が犬を連れた2人の兵士と、魔法使いの3人を呼んだ。7人は三々五々たむろする他の兵士たちと少し離れて、地面に地図を広げ、その周りを囲んだ。


「どうだ?」


 士官のうち背の高い方が、魔法使いに訊いた。3人の中で一番大柄な魔法使いが答えた。顔を伏せ気味にしていて、深く被ったフードの下の顔は見えなかった。


「2人気づいたようです。1つの反応はさっきから全く動きませんし、1つは反応が見え隠れしながらゆっくりと動いています。地図と照らし合わせるとたぶん川に投げ入れられて、浮き沈みしながら流れていっていると思われます。水面下に沈むと反応が弱くなりますから。他の9人は追跡できています」


 魔法使いは追跡魔法の結果を説明しながら、今、鎧が探知される場所を地図で示していった。鎧が捨てられた地点はそれぞれにかなり離れていて、2人が組んでいると考えにくかった。既に道を走っている男はいなかった。森の中を転でばらばらの方向に動いている。森の中は歩きにくく、それほど距離を稼げている者はいなかった。


「2人だけ組になっていて、他はばらばらだな。第2小隊はリガの三叉路まで馬で行って奴らの退路を断ちながらこちらへ追い込め」


 地図を棒で指しながら背の高いほうの士官が命じた。リガの三叉路は森の入り口から5里ほど中に入ったところにある。一番遠くまで逃げている男でもその半分も行ってなかった。鎧の仕掛けに気付いた者がそれより遠くまで行っている可能性を考えて、慎重を期したのだ。背の低い方の士官-第2小隊長-と犬を連れた兵士の1人、魔法使いの2人がピンと背を伸ばした。


「了承しました!」

「行け」


 4人は敬礼すると、背の高い方の士官-第1小隊長-からきびきびと離れていった。


「第2小隊、集合!」

「第1小隊、集合!」


 すぐに声が響いて、背嚢を背負った兵士たちが整列した。


「奴らの追跡に移る。おまえ達の初めての実戦だが、無様なまねをした者は親衛隊に採用されることはない!心してかかることだ」


 第1小隊長が短く訓示して、第2小隊の兵士たちは馬をつないであるところへ戻り、第1小隊の兵士たちは犬を連れた兵士を先頭にして森の中へ入っていった。




(参考:この世界で使用される単位について)

 ファルは長さの単位で、初めて中原に統一帝国を建設した英雄、ガイウス・フェリケリウス大帝の名から取られている。彼は自分の身長と同じ長さの神聖剣を軽々と使ったと伝承され、その長さが1ファルだった。そんな古代の剣がフェリケリア神聖帝国に残されており、皇帝の玉座の真後ろに飾られている。金属ではない、刃が真っ黒な剣であるという。成人男性の平均身長を軽々と超える長さを誇っている。ファルの100分の1をデファル、1000ファルを1里としている。大隊規模以上の軍の行軍速度は1日15里が基準で、兵士が最初に訓練されるのは2ファルを5歩で歩くことと、完全武装で1日に15里を歩くことだった。重さの単位もフェリケウス大帝の体重から来ていて、フェリケウスの体重が100フェランであったと伝承されている。ただし重さの基準になる何かが残されているわけではない。フェランの100分の1をデルフェランという。時間の単位は日の出から日の入りまでを等分に6つに区切って、一区切りを1刻とする。つまり夏と冬とで1刻の長さが異なる。半刻は1刻の半分、小半時は1刻の四分の一、四半刻は八分の一である。時計のない世界ではそれ以上細かい時間の単位を使うことは少ない。夜も同じように日の入りから日の出までを6つに区切っている。



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1ファルは約2m、1フェランは約1kgと考えてください。






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