レフ ―異人伝―

真木

プロローグ

 ギギッギーと錆びた音がして、馬車が止まった。

 レフは家畜の臭いのする荷台に腰を下ろしたまま、周りを見渡した。周りに同じように座り込んでいる男達の体から、すえた臭いが立ち上っている。車輪の振動が直接ひびいてくる馬車の、ここまでの乗り心地は最悪だった。凹凸のひどい道は少し先で森に続いている。畑地から森に入る前の広めの草地、というのがこの場所らしい。

 レフと同じ馬車に乗せられてきた男たちも、のろのろと首を動かして周りを見ていた。どの男も疲れた顔で、中には目の周りにあざを作っている男や破れた服の下に鞭で打たれたミミズ腫れを見せている男もいる。ここまでの彼らに対する扱いは決して優しいものではなかったのだ。

 前には黒々とうずくまる森、左右は所々に灌木を生やした草地、通り過ぎてきたのは刈り入れを終えたばかりの麦畑と所々に建つ農具小屋、畑を耕す農民たちの集落はかなり離れたところにあった。レフはもう一度周囲を確認した。時間は昼に近い。初夏の陽がほぼ真上からじりじりと照りつけている。朝早くに町外れの牢で馬車に乗せられて、半日かかってここまで来たわけだ。その間水も食料も与えられなかった。


 馬車の四囲は隙間だらけの木の板で囲まれていた。前方、御者との間は大人の背丈ほどもある高さで、残りの三方は胸ほどまでの高さだった。馬車を囲んでいるのは24人の騎乗した兵士たち、そのうちとりわけ体格のいい2人がリーダー格のようで、先頭と最後尾にいる。兵士たちは兜をつけ、要所を鉄で補強した揃いの皮鎧を着用している。籠手と、すね当てのついたサンダル、騎乗はしているが装備は歩兵のものだった。腰に吊った長剣と、槍を持った兵士が15人、リーダー格の2人もこの装備だった。この2人だけが兜の頂に羽根飾りを付け、皮鎧の上から短いケープを羽織っている。つまり士官ということだった。槍の代わりに弓を持った兵士が6人、フード付きの長いマントを着て、そのフードを深く被っているのが3人、こいつらは魔法使いだろう。獰猛そうな犬が2匹、先頭を行く士官のすぐ後ろの2人の兵士が1匹ずつ綱を引いていた。レフが乗せられている馬車以外にもう1台、荷を積んだ馬車が付いてきている。完全武装の兵士以外に、馬車の御者が2人と、武装していない-それでも腰に短剣を差していたが-使い走りのような男が1人、男達を運んできた馬車の御者の横に乗っていた。


 バタンと馬車の横の板が外側に落ちて開いた。


「降りろ」


 使い走りの男が命じた。誰もすぐには立ち上がろうとしなかった。バシンッと馬車の床がたたかれた。使い走りは身長ほどの長さの棍棒を持っていた。


「次はてめえらをぶったたくぞ」


 レフは、長時間がたがたと揺られ続けたため固くなった膝をなだめながら立ち上がった。周りの男たちも同じように立ち上がった。何回か膝の屈伸をして、馬車から飛び降りる。荷台から地面まで大人の背丈の半分ほどの高さだったが、後ろ手に手かせをはめられているため、バランスをとるのが難しかった。何人かの男たちは飛び降りた拍子に転んでしまった。飛び降りたところでひとかたまりになった男たちに、士官の2人が近づいてきた。小脇に抱えた槍が日の光を反射してぎらぎら光る。


「手かせをとってやれ」


 2人のうちでも先頭に立っていた背の高い方が御者たちに命じた。2人の御者と使い走りが手分けして男たちの手かせを外していく。レフは固くなった関節をほぐすため肩をぐるぐる回しながら手を前に持ってきた。手首は手かせをはめられていたところが赤くこすれて、一部皮膚が破れて出血していた。


「装備を渡してやれ」


 同じように命じられて、御者たちがもう一台の馬車から無造作に投げ落としたのは武器と防具だった。それを男たちのところまで持ってくる。


 どさどさと男たちの目の前に、無造作に武器と防具が投げ出された。男たちは-全部でレフを入れて11人いたが-互いに顔を見合った後、それぞれ手近の武器と防具を取り上げた。武器は長剣とナイフ、防具は上半身だけの皮鎧、どれもちょうど人数分だった。レフは手にした長剣を、少しだけ鞘から出して調べてみた。見た感じも指で刃に触れてみても、どうしようもない鈍刀なまくらだった。皮鎧は傷だらけで体格に合っておらず、補強に縫い付けられている鉄も一部が欠け、さびが浮いていた。


 “それに……、こいつはなんとまあ”

 

 レフはわずかに顔をしかめて、合わない鎧を身につけた。11人の男たちがノロノロと装備を身につけるのを、彼らをここまで護送してきた兵士たちが囲むように轡を並べて見ていた。男たちに与えられたものとは比べものにならないきちんとした防具は、レフが手にした長剣やナイフでは文字通り刃が立ちそうもなかった。


「おまえたちに小半刻の時間をやる。その間にできるだけ遠くへ逃げることだ」


 男たちは一瞬、あっけにとられたような顔をしていたが、そう言った背の高い方の士官が鋭い目で彼らを見ているのに気づくと、互いに顔を見合い、しばらく躊躇った後バラバラと森の方へ駆けだした。彼が纏っているのは紛れもない殺気だった。こいつら-兵士達-は俺たちを殺す気だ、男達にはそれが分かった。見通しのきく草地へ向かう男や道を引き返していく男はいなかった。皆、少しでも隠れるところの多い森を目指していた。レフも男たちに混じって森へと入っていった。小半時-一刻の1/4-は短い、その間にできるだけ遠くへ逃げなければならない。


 森の中はひんやりとしていた。下草が丈高く生えていて、こぶだらけの木が密生していた。男たちは森の中まで続く道を駆けていた。道を行く方が距離を稼げる。しかしそんな距離など、兵士たちが馬を駆けさせればすぐ追いつかれる。だからどの男も適当なところで、道のない森の中へ入っていくだろう。レフはそう思っていた。集団にはならない。全員が固まっても兵士たちの半数にも満たないし、そもそも装備が違う。個々の技倆も集団としての訓練も段違いだろう。男たちの中にもいかにも傭兵崩れといった剣呑な雰囲気を持ったものもいた。しかし所詮は集団行動もできない烏合の衆だった。たとえ同数で戦ったとしても勝てるわけがなかった。だから見つかりやすい集団でいるよりもばらばらでいる方がいい、それがレフを含めた男達の考えだった。







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