間章 - 3 《なきがら通り ~Lich Street~ 》

 その時、同じおそろしい方向から、毒々しい悪臭と冷たい風が押し寄せてきたのだ。続いて、私のすぐそば、あのひどい裂け目のある、人とばけものの眠る墓から、つんざくような鋭い叫びがあがった。

 ――H・P・ラヴクラフト『名状しがたいもの』




 牝ウシのコーディ のっそりコーディ

 暗い谷間で こんがりと

 父さん 川へざんぶりこ

 母さん 胸がはり裂けた


「なあ、イーサン。さっきから流してる、この歌はなんなんだ?」

 もときた道を走る車のなかで、ルークが聞いてきた。

「なんだ、お前は先祖代々この町の人間だろ。知らないのか」

「知らないな。うちの先祖がポーランドから渡ってきた100年前より昔の歌なんじゃないのか」

「まあ、実際そうなんだが……すこしぐらいは聞いていてもいいんじゃないのか」


 とはいえ、この町界隈でもかなりマイナーな民謡なので、知らなくても無理はないのだが。

 学生のころ、歴史クラブの活動で調べたものの一つだ。

 当時はまっていた、とある作家の小説が、この町につたわる伝承やうわさ話にもとづいていることを知った。

 物語の舞台……あの埋葬地ベリインググラウンドのとなりにあったという古い廃屋は、とっくの昔に倒壊していたが、町の記録をしらべたり、年寄りに話を聞いてまわると、予想外にいろいろなことがわかった。

 ポータブルプレイヤーに入れてあったこの歌も、そうやってあつめた資料の一つだったのだ。


「作家……わかった、ランドルフ・カーターだろ。

 大学のころはお前、ずいぶん入れあげてたからな」

「ご名答。グローブボックス開けてみろよ」


 ボックスを開けたルークは、そこから一冊の雑誌をとりだした。

 20世紀前半に流行した、いわゆる「パルプ・マガジン」と呼ばれていた通俗雑誌だ。

 表紙には不気味な廃屋と、おどろおどろしい怪物の顔が書かれ、その上に『ウィスパーズ』という雑誌名、その腋にはちいさく『Jan, 1922』と書かれている。

 その下には、

屋根裏の窓アティック・ウィンドウ ランドルフ・カーター作』

という文字が、大き目のフォントで並んでいた。


「この短編に出てくる怪異が、この町に――17、8世紀から伝わる伝説を下敷きにしてるらしいんだな。

 カーターの作品を読み込んだり、ミスカトニック大のカーター文庫で彼の日記やら覚え書きを読んだりして、背景を洗い出そうとしたもんさ」


 車は草が丘メドウ・ヒルを過ぎ、クライスト・チャーチ墓地にさしかかる。

 ハンドルを切りながら、あのころに調べ突き止めたことをかいつまんで話して聞かせる。


 コットン・マザーの著作にも取り上げられていたという、あるけもの――おそらく牝ウシ――が人獣を産み落としたこと。

 その片目が産まれつき、つぶれていたこと。そっくりな目をしていた鼻つまみものの男が、首吊り人の丘ハングマンズ・ヒルで処刑されたこと。

 そのばけものは、ある老人――おそらくは、絞首刑にされた男の父親――の家の屋根裏にかくまわれ、人知れず生きていたこと。

 夜の野原や窓辺に、片目のつぶれたばけものが目撃されるようになったこと。

 クライマックスは、老人が死んでからしばらくして、牧師の館が襲われて、住人はひとり残らず食い殺された、という凄惨な事件だろう。


「話のキモは、その半獣のが、いつしか幽霊として、あの古い埋葬地に出没するようになったことなんだ」

の幽霊か。ジョークみたいな話だが、やっぱり不気味だな」

「不気味に思うのか? ウシと人間の混血なんてあり得えないんじゃなかったのか?」

「そりゃ合成生物だけでも不可能なのに混血なんてまああり得ないがね。

 幽霊ばなしの合理性と不気味さとは別だろ。

 そんな異常な存在の怨念が、どんな凄まじいモノとして化けて出るのか、あまり出くわしたくはないな」

「ははっ、カーターがのこした覚え書きにも、そっくりそのまま、そんなことが書いてあったよ。

 あの古い埋葬地ベリインググラウンドに、自然から外れたものの霊がさまよい出るなら、果たしてどんな名状しがたいものとして顕現するのか、ってな……」


 そう言いながら、大学通りカレッジ・ストリートへと曲がらずそのまま直進した。


「おい、大学通りを通らないのか」

「せっかくだ。なきがら通りリッチ・ストリートのほうを通ろう。

 その埋葬地のわきを通って帰るのも面白いだろ」

「まったく……本当に好きだな、お前」


 なきがら通りは、大学通りカレッジ・ストリートのひとつ向こうにある通りで、埋葬地の南を通っている。

 ミスカトニック大学へと戻るなら、ほとんど距離に違いはない。


「待てよ、イーサン。

 そういえば、あの歌は、その話とどういう関係があるんだ」

「ああ、あの歌じたいは町に古くから伝わる民謡ってだけなんだが。

 歌われてる内容が意味ありげだろ。

 埋葬地ベリインググラウンドの怪談と、なんか繋がりがあるような気がしてな。町のばあさんに歌ってもらったのを、録音してたんだ。

 気になって、こうやって時々、聞いてるんだよ」

「はは、ジャーナリストのカンってやつかよ」

「まあな。じつは今回、この町にもどってきたのは、それについて調べ直したいってのもあってな――」


 言いながらハンドルを左にきる。

 と、なにかが左のポケットからこぼれた。

 そのまま左足にそって転がり、足元へごろりと落ちる。


「おっと。マリア様セント・メアリーが落っこっちまった」

「おいおい、そりゃやばいだろう」


 助手席から、あの黒い石を――聖母セント・マザー像に似た石をひろいあげ、冗談半分に十字を切ったルークがこちらを向いて。

 その視線がおれの頭を通り過ぎた。


「おい、あそこ。誰か立ってるぜ」


 その言葉に、ついブレーキをかけた。

 見わたす限り、あたりに一台も自動車が走ってないこともあって。


「ああ? このへんは、ミスカトニック大のキャンパスの中みたいなもんだ。

 学生がまだうろついてたって――」


 言いかけて、ルークの視線の先にあるのがあの埋葬地ベリインググラウンドだと思い出した。

 肝試しでもなけりゃ、さすがに、夜中に立ち入る場所じゃない。

 そっちを見たが、誰の姿もなかった。

 いやにつめたいLEDランプが、柳の木立と墓石の群れをを照らすだけだ。


「誰もいないぞ」

「おかしいな。たしかにそこに、黒い服の女が立ってたように見えたんだが……」

「黒い服の女?」

「……考えてみれば妙だな。

 やたらすその長い、まっ黒な服を着て……頭から黒い布を……ヴェールっていうかな、かぶって……」

「……よせよ」


 それじゃまんま、その黒いマリア様セント・メアリーじゃないか。

 車を路肩へよせ直して、あらためてブレーキをかける。


「……見に行くのか」

「一応な。こんな時間に、女がいていい場所じゃない」


 ルークもシートベルトを外して車から出た。

 黒い石のマリア様セント・メアリーはシートに置きっぱなしにして。

 そういえば、この石も、昼間、ここで拾ったんだった。

 あの小説の舞台になった廃屋の跡地をぶらついてたとき、茂みのなかに転がってたんだ。

 不意にわいた不気味な思いを振り払ってドアを閉める。

 どこからか、女のふくみ笑いが聞こえた気がした。




「あの女が立ってたの、このあたりだと思ったんだがな」

「やっぱり誰もいないじゃないか。見間違いさ」


 埋葬地ベリインググラウンドのただ中で、二人そんな会話を交わした。

 埋葬地は改装されてはいたが、このあたりは古い墓がそのまま置かれているようだった。

 大きな柳の切り株にふみ潰された、なぜか墓碑銘のない古い墓。その向こうには、えらく大きなひびの入った、やはり古い墓がある。


 不意に、風が吹いてきた。


 秋の夜にしても冷たい、冷凍庫をおもわせる風だった。

 何より、ひどい臭いだった。動物の死骸が腐りはてたような、ぞっとするような毒々しい臭気だった。おれたちは二人そろってよろめいた。


 その時。


 ひびの入った墓石から、悲鳴のようなするどい叫び声があがった。

 なぜか俺は、ウシの悲鳴と人間の絶叫とがまざって、ほとばしっている様を思った。

 墓石から、ねばねばした霧のようなものが噴き出してきた。

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