一章 雨白島 12話

 ようやく落ち着きを取り戻した久遠は美奈と二人で中央広場の方向へ歩いていた。あのあと宗一郎に銅貨を十枚を握らされ「朝食代だよ。こんなところで油を売ってないで早く食べてミカル師匠のところへいっておいで」と言って背中を押された。反論の余地もなく、歩きながら気持ちを落ち着かせる久遠を美奈はしばらく心配そうに見ていたが足取りが徐々に落ち着いてきた。そうして中央広場に入ると昨日と同じく賑やかだったがどこか様子が違った。

「わっ、朝から賑やかですね。でもなんか、雰囲気が違う?」

「……友達なんですから、敬語じゃなくていいで……、いいよ。普通に、話してくれれば……」

「は、はい! ……じゃ、なくて。うん、ありがとう、久遠さん」

「さんもなくていい、美奈さ……美奈」

 ぎこちない二人のやり取りを遠巻きに見ていた商人達はニヤニヤと笑っている。それに気付いた久遠が睨みつけるも睨まれた方は朗らかに笑うので久遠は赤面しながら広間を通り抜ける。

「この島は! 漁も盛んだから早朝から競りがあるの! 東と北と西の港から魚が上がって持ち寄るのがこの場所! それに合わせて近隣の店が朝食の屋台を出すから昼とは違うんだよ!」

「そ、そうなんだ……。えっと、大丈夫?」

「大丈夫! 大丈夫だからこんな場所早く抜けるよ!」

「あ、待って!」

 声を張るように話す久遠を美奈は心配したが、久遠は早足に広間を通り抜けた。美奈も慣れないながら人を掻き分けてあとを追いかける。北の港へつながる道へ入り、そこから百メートルほど進んだところで止まった。右側の建物に緑の看板がかかっており、赤い文字で『二階 朝食あります』とかいてあった。看板の右側に階段があり、久遠は迷いなくその階段を登っていく。美奈も続いて登ると赤色の木製のドアの前に出た。表の看板とドアに不思議な懐かしさを感じていると久遠がためらいなくその扉を開ける。

「おはようございます。テイさん、朝食二人前お願い」

 久遠の呼びかけに返事は無く、美奈が中を覗いてみた。人の姿は見えず、入って右側に扉がある。その奥からかちゃかちゃと何かがぶつかり合う音が聞こえたことで、奥に人がいることがわかった。

 内装は白い壁の店内にやはり赤をベースにした丸い机と丸い背もたれのない椅子のセットがいくつか置かれていた。天井からは紐に吊されたあらゆる飾りがつり下げられ、壁には赤い木でできた丸い窓と八角形の額に入った絵がいくつも並んでいる。美奈が驚いて固まっていると久遠が店の中に入っていく。そのあとを追いかけて店内に入ると嗅ぎ慣れた香が鼻孔に届く。さらに驚きながらも久遠に続き、窓の側にある机の椅子に座った久遠の後に続いて向かいの椅子に腰掛けた。足元を見ると竹で編まれた丸い大きいカゴが置かれており、久遠がその中に自分のバックを入れる。

「荷物はここに置くといいよ。小さい荷物はここに入れろってここの店主が用意しているものだから」

「あ、うん。……あの、久遠。このお店って……」

 美奈が続きを言いかけると入口の右側にあった扉が開いた。顔を上げてそちらを向くと、丁寧な刺繍がある橙色のアオザイを着た老婆が立っていた。手には大きな盆を持っている。

「珍しい客だね。今日はこの温暖な島で雪でも降るんじゃないだろうね」

「一応商人だし、人だし、朝に外でご飯を食べることくらいあるよ」

「はっ、この無愛想な婆の店にわざわざ寄り付く性じゃないだろうに」

 そう言って老婆はふたりの座っているテーブルに大きな急須と湯のみ、二人の前に大きなお椀を置いた。目の前に置かれた料理を見てついに美奈は固まってしまう。老婆は美奈をまじまじ見つめる。

「観光かい? 珍しいねぇ。道案内ならこいつよりマシな奴を紹介するよ」

「……しばらく島に住むんだよ。前は智朱にいたんだって」

「……ほう、なるほどねぇ。あんたが来た意味も得心がいったよ」

 老婆はにやりと笑う。

「初めましてお嬢さん。ここの店主のテイだよ。小さい店だが、そこいらの食べ物よりは口に合うだろう。まずは薬膳粥でも食べて落ち着きなさい」

 テイと名乗った店主はどこか嬉しそうな顔をして先ほどの扉の向こう側へ戻っていった。扉が閉まるのを見て久遠が大きくため息を吐く。

「一応客なのに、失礼な。さ、早く食べちゃお……う?」

 久遠が視線を上げて美奈を見て動きを止める。その目からハラハラと落ちる涙を見て、久遠は少しの混乱の後に慌て始めた。

「え、ど、どうしたの!? えっと、お腹でも痛い? それとも別の食事が良かった!?」

 心配する久遠に何が返そうとするも、美奈は嗚咽を零すばかりで上手く話せない。久遠が慌てふためいていると、他の料理を持ってきたテイが戻ってきた。久遠と美奈の様子を見て、迷わず久遠を睨む。

「何をしたんだい」

「何もしてない! 食べようって言ったら泣き出したの!」

「疑わしいね」

「失礼な!」

「ちが、違うん……です……」

 ようやく声が出た美奈は言葉に詰まりながら話し始めた。

「私、智朱を出てから……十日かかって、雨白島に来て……でも、離れるほど故郷とは変わってきて、寂しくて……」

 呆気に取られている久遠に変わり、お盆を近くに置いたテイが美奈の傍に寄って優しく背を叩く。美奈は少し落ち着きを取り戻し涙を拭う。

「ここ、智朱とよく似てるんです。お店の中も、お香も、料理も……。だから、嬉しくなって、でも寂しくなって……ごめんなさい、迷惑、かけちゃった……」

 言い終えて少し落ち着いた美奈は深呼吸をした。テイは優しく微笑むと美奈を抱き寄せて頭を撫でる。

「いいんだよ、ここは私たちの故郷から少し遠いからね。変わる街並み、人、食事、あらゆる物に寂しさを感じるさ。でも、安心していい。この島には同じように思った人は多いからね、理解して貰えるよ」

 テイの言葉に美奈が顔を上げるとニッと笑って返される。不思議と涙は止まっていた。

「寂しさこそ感じてたか疑問だが、そこの商人も苦労したからね。コネもそこそこあるし、宛にしていい」

「え?」

 美奈が久遠を見ると苦虫を噛み潰したような表情をしている。テイは美奈から離れて先程持ってきた料理を机に置いた。

「まあ、食べなさい。辛い時に腹が減ると気が滅入るからね。あんたの事情は知らないが、よく食べ慣れた料理ならこの婆がいつでも作ってあげるよ」

 テイはまたニッと笑う。美奈も落ち着いたようで笑って手を合わせた。

「はい。テイさん、いただきます」

 少し冷めてしまった薬膳粥を口に運ぶ。米の甘みと薬膳の味が口の中でホロホロと混ざりあっていく。美奈が頬張っている間に久遠は急須からお茶を注ぐ。美奈の前に置くと「ありがとう」と言ってゆっくり喉に流し込まれてた。







 朝食を食べ終わると湯のみ以外の全ての皿を下げ、食後にと杏仁豆腐が用意された。テイは近くから椅子を持ってきて座ると自身もお茶を飲んでいる。

「それで、今日ここを選んだのはご飯のためだけじゃないんだよね」

「ああ、華凰地区のコミュニティの紹介だね」

「え?」

 美奈は目を見開いた。華鳳地区とは、美奈の住んでいた智朱を含む地域の総称である。雨白島にそんなコミュニティがあるのかと驚きを隠せずにいた。美奈の様子を見て久遠が説明する。

「雨白島は昔、かつての戦争の影響で国を追われた人や避難してきた人の移住区だったんだ。その頃のこの島は今ほどの賑わいはなくて、今のように拠点とする商人が半分、中継地点として使う商人が半分くらいだったんだよ」

 久遠の説明にテイは頷いた。

「そんな島に戦争で逃げてきた人達が、慣れない地で暮らすのに助け合い必要だったのさ。生活習慣が近い方が助けを求めやすく、逆に手助けも出しやすい。だから地区ごとにコミュニティが出来上がったんだよ。必要としなかった奴らもいたがね」

 テイは言い終わるとまたお茶を啜った。一息つくと美奈を見た。

「家は決まっているのかい?」

「いいえ、まだ何も。昨日は久遠の……家? 倉庫? を借りて寝ました」

「……倉庫?」

 テイが久遠をギロリと睨むと「新品のベッドと寝巻きも貸した。用途が倉庫なだけでちゃんとした家」と補足した。テイは何が言いたげな様子だったが黙ってまた美奈を見る。

「じゃあ一先ず、今日からは私たちの持つ家にしばらく住むといい。一部屋貸してあげよう。家賃は、そうだねぇ……畑仕事はできるかい?」

「はい。ギルドが大きな農地を持っていたので、よく手伝ってました」

 自信を持って答えた美奈にテイは「よし」と言って手を叩く。頬の皺を寄せてニヤッと笑う。

「じゃあまず一ヶ月、部屋を貸そう。その間は裏の畑仕事を手伝っておくれ。もし事情ができた時は早めに言ってくれればいい。その後は自分で家を探すなり、住み続けるなり決めなさい。住み続けるなら改めて家賃は取り決めよう」

「はい、ありがとうございます!」

 美奈は立ち上がって深々とお辞儀をした。そしてふと気づいたようにテイを見る。

「……でも、そんな簡単に決めてしまっていいんですか?」

 間の抜けたような美奈の表情にテイは「ククッ」と笑った。

「構わないとも。なんたってコミュニティの代表はあたしで、その家と畑は私の管理下にあるからね。同郷の相手は可能な限り助けるさ」

 美奈はまた驚いたように瞬きをして動きを止める。テイは構わず店の奥に戻り紙を二枚と万年筆を二本、インクを持ってきた。簡易的な契約書を書き上げると美奈の前に差し出す。

「確認をしてサインをしなさい。他を当たってから決めたいならそれも構わないが、その時はあたしの家まで来ておくれ。久遠に案内をさせるといい」

「大丈夫です。すぐ読みます」

 美奈は契約書に目を通した。テイは美奈が読んでいる間に同じ契約書をもう一枚書き上げる。美奈がサインをするとその書類を受け取り書き上げたもう一枚を差し出してそちらにもサインをさせる。契約書が二枚になったところで今度は久遠の前にそれらを置く。

「同席者の確認とサインを」

「わかった」

 久遠は契約書に目を通し『両者の取引・及び契約に同席し、同意の元に契約は成立したことを確認しました』と一筆を添えてサインをした。二枚の契約書をテイに返し、テイは一枚を美奈に渡した。

「これで契約成立だ。あたしは一時頃に家に戻って部屋を用意してるから、その頃に来るといい。久遠、案内を頼んだよ」

「はいはい」

 久遠は雑に返事をするとバックを持って立ち上がった。美奈は契約書をカバンに入れ、代わりに昨日貰った書類入りの封筒を取り出す。

「あの、住所だけ先に教えて頂いていいですか? これを出してこないといけなくって」

 美奈が住所が空欄の書類を見せた。テイは「いいよ」と言って受け取り、住所をサラサラと書き美奈に返した。少し待ってインクが乾くと封筒に戻し再びカバンの中に収める。

「ご馳走様。はい、朝食代と仲介料」

 久遠が先程宗一郎から貰った銅貨十枚と財布から銀貨三枚を渡す。テイはそこから銅貨だけを受け取って銀貨は久遠に返した。久遠が顔をしかめるが、テイは気にせず首を横に振った。

「これで十分だよ。どうせ用事があるんだろう。面倒になる前に早く済ませておいで」

「……はあ、ありがとうございました」

 久遠はバックを背負って先に外へ繋がるドアの方へ向かう。美奈はカバンを持って立ち上がり、テイにお辞儀をした。

「ご馳走様です。お部屋も、ありがとうございました」

「うん、気をつけていっておいで」

 美奈は顔を上げると久遠を追いかける。店を出て階段を降りると久遠はため息をついた。

「久遠、大丈夫?」

「大丈夫、あの人が少し苦手なだけだよ。じゃあ家も決まったし、師匠の所へ行こうか」

 カバンを持ち直し、中央広場を通って西へ向かう。その途中、美奈が久遠を呼び止めた。

「あの、書類出してから行ってもいい?」

 美奈はカバンから先程の書類が入った封筒をのぞかせる。美奈の意図に気づいたが久遠は首を横に降った。少し残念そうに美奈は眉を下げる。

「心配しなくていいよ、師匠のところに行ったら渡せるから」

 久遠の言葉に首を傾げるも、とりあえず頷いて後を追いかけた。

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タイムラグ・チューニング 黒川 禄 @krokawa6

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