一章 雨白島 11話
その家の扉の左側には『Weasel's burrow(イタチの巣穴)』と書いた札が掛かっていた。久遠は鞄から鍵の束を取り出し、そのうちの一本で扉を開けた。久遠に招かれて中に入ると6畳程の部屋に大量の木箱が乱雑に置かれている。その間に人が一人通れるくらいの道がつくられていて、その道を進むと階段の前に出た。階段の向かいには小さなキッチンがあったが、そこもまた小さな木箱が積まれていて使われている様子はない。
久遠に続いて二階へ上がるとまた6畳程の部屋に出る。ここにも木箱が積まれているが1階程の量はなく、奥にあるベッドの周りは片付けられていた。久遠は鞄とランプを角にあったテーブルに置くと窓を開け、ベッドを軽く叩いた。特に埃が舞うことも無く使用に問題ないことを確認すると、いくつかの木箱を動かした。箱の奥からは暖炉が姿を現し、久遠は手早く火を入れた。暗かった部屋はたちまち明るくなる。久遠はようやく美奈を見た。
「散らかっていてすみません。今日はこのベッドで休んでください」
「え? でもそれじゃあ、久遠さんはどこで眠るんですか?」
「家で寝るので大丈夫ですよ」
返ってきた言葉に美奈が首を傾げると久遠は話を続けた。
「これでも商人なので、売り物が家に納まらなくなって最近この家を借りたんです。まだ散らかっていてすみません。一階も軽く片付けておきますね。何か必要なものがあれば出しておくので言ってください」
「売り物、最近……? じゃあ、下のキッチンとか、まだ使えないんですか?」
「水と火は使えますよ。電気は……ああ、魔法電灯ならあった。今日はあれを出せばいいのか」
久遠はそう言って近くの箱を探り、目的のものが入った箱を開けた。中から少し大きめのランプを取りだし、その周りに貼られていた紙を剥がした。
「……それ、もしかして売り物ですか?」
「はい、この前取り寄せたものです。一回試しに点けてみましたけど、結構明るくていい品ですよ」
「だ、ダメです! 使えません!」
「一晩くらいなら問題ありませんよ、ご遠慮なく」
久遠は遠慮する美奈にランプを渡す。勧めるもなかなか首を縦に振らない美奈に、久遠は少し考えて口を開いた。
「じゃあ、こうしましょう。せっかくなので使った感想を教えてください。人によって感覚も違うと思いますし、こちらの利益にもなりますからね」
久遠の申し出に美奈は恐る恐る頷くと、久遠は少し笑って見せた。そして美奈の手元にあるランプの底に手を当てると魔力を注いでみせる。美奈の手にも少し熱が伝わったかと思うとランプは煌々と光り始めた。
「……きれい」
思わず言葉を零した美奈に久遠は小さく頷く。
「底に手を当てると、三矢の形をした突起があります。突起に指を触れて魔力を流し込むイメージをしたら電気が点きますよ。一定数の魔力が貯蔵されて1時間ほどは持つので、切れたらまた魔力を注いでください」
「わ、わかりました」
美奈がおずおず頷くと久遠は一息ついて、テーブルに置いたランプとかばんを持つ。
「キッチンの隣の棚にコップやタオルを置いているので好きに使ってください。湯浴みは明日用意するので今日は我慢してもらっていいですか?」
「あ、はい。大丈夫です」
美奈の言葉に久遠は笑って見せると、部屋の角で荷物に埋もれていた箪笥から服を一着取り出して美奈に渡した。それは美奈の住んでいた智朱より東の都で部屋着として着られている浴衣だった。
「寝間着に使ってください。まだ新品ですし、背丈なども問題無いでしょうから」
「え、いや、服ならありますしそこまでお世話になる訳には」
「荷解きをすると明日が大変でしょうから、お気になさらず。それに、お詫びも兼ねてますので」
久遠に引く様子は無く、美奈はおずおずと浴衣を受け取った。「他に必要なものは無いですか?」と聞く久遠に美奈は首を横に振った。久遠はにこりと笑って見せ、引き出しから小さな紙を取り出すと鞄を置いている机の上で何かを折り、完成したものを美奈に渡して鞄とランプを持つ。
「もし何かあればそれを窓から投げてください。駆けつけますので」
美奈は渡されたものをまじまじと見る。鳥の形が象られていた。
「それじゃあおやすみなさい、ゆっくり休んでくださいね」
「はい、おやすみなさい。ありがとうございました」
久遠は丁寧にお辞儀をして階段を降りていく。美奈は少しぽかんとして渡された紙の鳥を眺めたが、我に返ると服から浴衣に着替えて暖炉の側に寄る。魔法電灯はまだ煌々と部屋を照らしているし火を付けたまま寝るのは危ないので消そうと考えたが、すぐにその必要が無いことがわかった。暖炉からわずかに魔力を感じる。どこかで似たものを見たことあると考えて、少し前までいたギルドの暖炉を思い出した。
「これって確か、災い避けの術式だよね?」
あまり見かけない魔法に首を傾げたが強い眠気がして考えることをやめた。明かりが確保されて火も消さなくていいとわかったならば早く久遠の言う通りに休んだ方がいいと美奈はベッドに潜る。まだ新しいとわかるベッドに少し申し訳ない気持ちになりながらも、程なくして美奈は眠りについた。
柔らかいものが頬を撫でている。その心地よさに浮上してきた意識がまた落ちそうになるが、眠りの誘惑を振り払って美奈は目を開けた。そこには美しい毛並みを惜しみ無く披露しているイタチがいた。見覚えのある姿に何度か瞬きをしているとイタチはピョンと美奈の体から離れていく。
「あ……」
思わず視線で追いかけるとイタチは階段の前でおとなしく座る。階段から足音が聞こえてきて美奈は体を起こす。階段から久遠が顔を覗かせ微笑んで見せた。イタチは久遠の肩に乗ると心地よさそうに鳴いている。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「おはようございます。おかげさまで」
美奈は笑って見せて腕をグッと伸ばした。寝起きのだるさが抜けていき、意識が覚醒して来る。
「着替えたら朝食を食べに行きましょうか。外で待っています」
美奈が頷くと久遠は手に持っていたカップを机において「お茶を置いておきます。ゆっくりで大丈夫ですよ」と言って階段を降りて行った。美奈はテキパキと身支度を始める。服を着替え終えて久遠が置いて行ったカップを手に取る。カップはほのかに暖かく、よく知っている香りがして美奈は驚いた。智朱で日常的に飲まれている青茶の香りだ。雨白島とはそれなりの距離があり、飲めるとは考えていなかったため、慣れた味と香りにとても安心した。
お茶を飲み終えて鞄を持ち、少し悩んで寝巻をベッドの上に置いた。階段を下りるとすぐ側にある流し台の前に立つ。蛇口と右側に取っ手がついており、それを捻ると水が出た。智朱ではギルドでしか見たことのない水道が設備されているようだ。この家がそうなのか、雨白島全体がそうなのかはわからないが珍しいものを見た気持ちになり美奈の心が弾んだ。カップを洗い近くのテーブルの上に置くと部屋の外に出る。ドアを開くと強い潮風が美奈を迎え入れた。勢いがついた扉を久遠が掴み驚いた表情を見せる。
「あ、ありがとうございます。お待たせしました」
久遠は二回瞬きをして小さく頷いた。
「大丈夫ですよ。でも、次からは扉を開けるときは気をつけてくださいね。この島は風が強いんです」
「はい、気をつけます」
美奈が頷いたのを見て久遠は昨日と同じ中央広間の方へ歩き出したので後ろを離れないようについていく。
「あの、コップは洗って側にあった机に置いています」
「あ、洗ってくれたんですか。ありがとうございます」
「いえ、でも寝巻は畳み方がわからなかったので、シワにならないように広げてベッドの上に置いておきました」
「そうでしたか。助かります」
久遠の丁寧な言葉の半面、少し距離感を感じた美奈は恐る恐る「あの」と声を出した。久遠はピタリと動きを止めて振り返ると大きなアーモンド型の目を美奈に向ける。しばらく口ごもって決心したように言い放った。
「私と! 友達になってくれませんか!?」
美奈の思いきって言った言葉に久遠は驚き瞬きをした。それを見た美奈は焦りながら言葉を紡ぐ。
「えっと……私、まだ島に来たばかりで不安だし、これからわからないこともたくさん出てくるでしょうし! 島の人はいい人ばかりですし教えてくれると思うんですが!」
そこまで話すと大きく深呼吸をする。そして久遠の目を見据えた。
「それでも、久遠さんが友達でいてくれたら心強いなって思うんです。だから、畏まってじゃなくって、もっといつも通り、話したいなって!」
そこまで言い切るとはっとなって美奈は赤面した。さきほどまでの声が嘘のように縮こまっている。
「ご、ごめんなさい。急に言われても迷惑、ですよね」
美奈は恥ずかしくなって下を向いてしまう。久遠からもなかなか言葉が返ってこないので恐る恐る視線をあげると、今度は驚くことになった。視線の先には顔を真っ赤にして魚のように口をぱくぱくと動かしている久遠がいる。呆気に取られて見ていると後ろから昨日も話した人がやってきた。その人が久遠の肩に手を置くと体を大きく跳ねさせる。
「すいませんね。そういうことを言われ慣れてない上に、真っ向から言われたのなんて初めてなのでびっくりしたみたいです。でも、久遠にそんなことを言ってくれる人ができるなんてうれしいなぁ」
久遠はぎこちなく視線を後ろに向ける。爽やかに笑う宗一郎の顔を見ると頬を引き攣らせた。
「宗……にい……」
「白川さん! おはようございます!」
宗一郎は美奈ににこりと笑って「おはようございます」と返したあと、久遠に視線を移してさらに笑みを深くする。久遠の肩がまた跳ねる。さきほどから百面相を披露しているところに、極めつけとばかりに目に涙を浮かべた。
「この通りとても混乱しているので代弁させていただくと、初めてそんなことを言われてとてもうれしいのでよろしくお願いします、だそうです」
「ちが……」
「なおこの通り、非常に天邪鬼で本音をなかなか言えないけど僕も仲良くしたいと思ってました、だそうですよ」
「宗にいさ……!」
「さ、お馬鹿な久遠。せめてご挨拶くらいはちゃんとできるよな?」
美奈からはとても爽やかに見える、久遠にはとても圧のかかる笑顔を宗一郎は浮かべる。「ひっ」と小さく悲鳴をあげた久遠は涙を堪えて視線を美奈の方へ移した。恐る恐る手を差し出して震える声で言う。
「……ょ、よろしくお願いします……」
久遠の小さな声に美奈は花の咲くような笑顔を浮かべ、差し出された手を取った。
「こちらこそ! よろしくおねがいします!」
震える久遠に何かを感じ取ったのかバックから顔を出したイタチがいたが、目の前の光景を見てなにやら嬉しそうに鳴いてバックに戻っていった。
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