一章 雨白島 3話

ー久遠が町長の家へ向かう時間より一時間程前ー


 天恵国軍雨白島駐屯地。時計台のあるその大きな建物の中央の扉を開けて中に入る。美奈は見た目よりも広く見える建物内を見渡した。天井からいくつも下げられた明かりは室内を煌々と照らしだし、手続きの種類に分けられたカウンターは一つ一つをパーテーションで区切られている。丈夫そうな木でできたベンチが並べられ、10人程の受付待ちの島民たちが腰掛けていた。待ち合い側のスペースに数人の軍人が警備として立っていて、カウンターの向かい側に座っている担当者もやはり軍人だ。


 美奈は右奥に移住手続きと書かれたカウンターを見つけると真っ直ぐに歩き出す。カウンターには黒の短髪に温厚そうな目の20歳くらいに見える青年が座っていた。真剣に書類を読んでいたが美奈に気づくと青年はにっこり笑って正面の椅子を進めてきた。


「移住手続きですか? どうぞ、お掛けください」


 美奈は一礼をして椅子に腰をかけると改めて青年を見た。太めのしっかりした眉毛と左目の泣きボクロが印象的だった。


「はじめまして、ようこそ雨白島にお越し下さいました」


 青年は丁寧にお辞儀をして柔らかく笑った。


「白川宗一郎と申します。まあ気負わず、リラックスしてください。……ではまずは、お名前をお伺いしてもよろしいですか?」


「はい、浪川美奈といいます。よろしくお願いします」


 美奈がぺこりと頭を下げると宗一郎はにっこり笑って見せた。






一章 雨白島 3話






 宗一郎は丁寧に手際よく手続きを進めていく。その上柔らかい対応に美奈も最初の緊張を忘れ安心して手続きを終えていく。概ね必要な書類を書き終えて、最後に雨白島での住所で筆が止まる。移住では珍しくないのか、宗一郎の対応はやはりスムーズだった。


「まだお住まいは決まってないのですか?」


「あ、はい……。決まってない、というか……」


 言い淀む美奈に宗一郎は少し首を傾げるがそのまま待つ。美奈は少し悩んだ末、カバンから1通の手紙を取り出した。


「実は雨白島を紹介してもらった恩師から手紙を預かってるんですが、宛名がないんです。恩師には着いたら使いが来るはずだって言われたんですけど、名前も顔もわからないのでどうしていいのかわからなくて」


 困っている様子の美奈に宗一郎も苦笑を漏らす。しかし驚いたりする様子は無かった。


「魔道士の方がたまに渡す手紙ですね。少しお借りしてもよろしいですか?」


「はい」


 宗一郎は美奈から手紙を預かるとカウンターの奥へ向かった。厳しい顔つきをした上司らしき人に少し話すと手紙を持って美奈の元に戻って来た。


「お待たせしました。魔道士の者に確認してもらったのですが、魔法で見えなくなってるということも無いようです。ご自身で探してもらうしかありませんね。お役に立てずすみません」


「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」


 美奈は丁寧に返された手紙を受け取ると折れないようにそっとカバンに戻した。宗一郎は少し考えて口を開いた。


「宛がわからず探すのは大変でしょうし、雨白島の町長に話を聞いてもらうといいかもしれませんね。家を教えますので尋ねてみてください。きっと心当たりを教えてくれますよ」


「はい! ありがとうございます!」


 美奈は深くお辞儀をする。そして住所が空欄の書類をどうしていいのか悩んでいると、宗一郎は躊躇いもなく書類を封筒に入れて美奈に渡した。


「住所が決まったら書いて持ってきてください。1週間以内ならこのまま手続きが出来ますので焦らなくて大丈夫ですよ。お忘れはないようにお願いします」


「はい、助かります」


 美奈が封筒をカバンに入れると宗一郎は地図を取り出した。現在地から町長の家までの道筋を書いて説明してくれる。


「この島の東側にある港の近くですよ。中央広場から東の道へ進んでください。少し奥まった所にあるので曲がる角を間違えないように気をつけてください。奥の道に行くと質が悪いのが溜まっていますので」


「わかりました、ありがとうございます」


 美奈は地図を受け取って立ち上がると丁寧にお辞儀をする。宗一郎もまたお辞儀を返した。荷物を持って外へ出るとすっかり雨は上がっており、雲もまばらになって空が見えた。


 地図に従い東側の港へむかう道に入ると先程までの広場や北港とは一転して静かな住宅街となった。大きな1本道をまっすぐ歩き、幾つ目かの角で奥の道に入っていく。細い道に入ると先程までとはまた一転して複雑な道が入り組んでいる。美奈は地図を確認するのに集中していると筋を1本通り過ぎてしまった。しかし本人は気づくはずもなくそのまま進んでいく。


「ここを左に曲がって……」


 美奈が気づいていないのは間違えた道だけではなく、後ろから追ってきている怪しい影もだった。その影はニタリと笑い、懐からナイフを取り出した。








「……は? 来ていない?」


 久遠は東側の道に入ると先程までとはうってかわりスムーズに町長の家へ来ていた。しかし町長には今日の客人はないと言い切られてしまう。


「そんなはずないよ。宗兄さんが町長の家を教えたって言ってたよ」


「しかし来ておらん。……考えたくはないが、道を間違えたんじゃないのか。その子は来たばかりなのだろう、こんな複雑な場所を間違えてもおかしくはない」


「そう思えるならいい加減大通りの家に引越しなよ。こんな辺鄙な所じゃなくってさ」


 久遠は言葉にわかりやすく棘を込めて言い切ると眉を寄せて身を翻した。


「待たんのか?」


「町長が道を間違えたとか言ったんでしょ。とりあえず探してみる。もし訪ねてきたら引き止めといてね」


 久遠はそう言い残すと町長の家を出た。先程晴れた雨雲がまたかかり始めている。


「……確か、ティーノに頼んだ配達先がこの辺りだったね。見つけてくれてたりしないかな」


 久遠は来た道を戻りながら周囲に探し人がいないか見渡した。










「……あれ?」


 美奈は行き止まりにあたり首を傾げる。


「えっと、どこで間違えたんだろう……」


 美奈が地図を見ながら再び歩き始めると人にぶつかり、慌てて顔を上げる。


「ご、ごめんなさい、大丈夫です、か……」


 言い終えたところで美奈は閉口する。目の前にはいかにもガラの悪い、ナイフを持った大柄の男が立っていた。1歩、2歩と後ずさるも男は同じように詰め寄ってきて、ついに背が壁に当たってしまった。男は下卑た笑いを浮かべる。


「なんだ、意外と可愛い顔してんじゃねぇか。こりゃあ荷物だけと言わずネェちゃんごと連れてったほうが良さそうだな」


 男の手が伸びてくるが、美奈は恐怖で腰が抜けてしゃがみこんでしまい身動きが取れない。目をつぶり歯を食いしばった。




ガゴンッ


 頭上で鈍い音が響き恐る恐る目を開けると男は額を抑えてしゃがみこんでいた。唖然としている美奈の手が引っ張られ強引に立たされる。


「お姉ちゃんこっち!」


 声の主を見ると港で会ったティーノがいて、強い力で引っ張られ走りはじめる。


「ティーノくん!?」


「逃げるよ! 早く!」


 ティーノは迷いなく複雑な路地を走っていく。後ろから男の怒声が聞こえてきた。


「……っんの、クソガキがぁあ!!!」


 右、左、右、右、左……、何度も角を曲がり、路地を迷いなく走り、あと少しで大通りに抜けられると思った時、進行方向に壁が現れた。元々あった壁ではない。地響きをあげながら地面から生えるようにして壁が現れたのだ。突然現れた壁に全速力で走っていたティーノが止まれるはずもなく派手に全身でぶつかった。


「ティーノくん大丈夫!?」


「いっつつ……大丈夫」


 ティーノは呻くも怯むことはなく後ろから追ってきた男を睨みつける。美奈も恐る恐る振り返ると男は先程より狂気を剥き出しにして迫っていた。


「ガキ共が……もう逃がさねぇ……」


「それはどうかな。こんな薄い壁錬成したくらいじゃ俺は捕まんないよ」


 ティーノは壁を振り返ると拳を握り壁に向かって思い切り振りかぶった。拳が当たったところから壁が崩れ、人一人分通れるくらいの穴が空いた。


「それは……強化魔法?」


「お姉ちゃん先に通って!」


「そんな……!」


 ティーノは言い淀む美奈を穴へ押し込んだ。仕方なく美奈が急いで穴を抜け、振り返るとティーノはゴロツキと戦うでなく相手のナイフを避け続けている。しかし何度かナイフが服をかすったようで所々切れており、被っていたキャスケット帽もいつの間にか地面に落ちている。美奈はティーノに手を伸ばす。


「ティーノくん!」


 男から逃げ回っていたティーノが穴へ飛び込もうとした時、肉を割く鈍い音が響いた。ティーノの体から力が抜ける様子が鮮明に映り、美奈の顔から血の気が引く。


「……い……、いやあああああ!!!!」


 路地一帯に美奈の悲鳴が響いた。








ゴゴゴゴゴゴゴゴ


 雷ではない鈍く響く音が聞こえ、久遠は音の方角を見た。久遠は小さく舌打ちをするとローブを脱ぎ捨て、持っていた傘の柄をしっかりと握った。


「……めんどくさいなぁ、もう」


 降り始めた雨に濡れた道を蹴りあげ、音の発信源へと向かった。

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