第3話


「どや? 何や最近、ツイてへん事があったんちゃうか?」


 そうさいわいなことりは言うと、カーテンレールの上から身を乗り出し、私を見下ろしてくる。


「ツイてへんって……」


 私の視線は、自然と机のノートパソコンへ流れていた。


「んん? 何やねん」


 私の視線に気付いたさいわいなことりは、ぱたぱたと羽音を立てると、ノートパソコンの前に着地する。


「小説の……賞? 何や、チャレンジでもしとったんかいな?」

「落ちたけどね」


 自分で言っておいてまた弱気になりながら、誤魔化すように乱暴に引き寄せた椅子に座った。


「今までより調子がよかったから、もしかしたらーて、おもてたんやけど」

「ほーん」


 話半分といった返事で、タッチパッドで画面を操作し始めるさいわいなことり。スクロールしたり、ページを読み込んだりと、私が落選した賞について調べている。


 少しの沈黙の後、画面を操作したまま、さいわいなことりは言った。


「賞獲りたかったんかいな」

「せやね」


 ノートパソコンに向かうように、頬杖をつくと答える。


 自慢じゃないけれど、勝負事に負けるという経験は、勝った経験よりうんと少ない。負けず嫌いだから。


 譲れないと思ったものには全霊を賭して挑み、大凡のものは勝ち取って来た。だから自分の人生を振り返った時に、敗北という言葉が浮かばないのだと思う。まるで、私の辞書から失せたように。


 なんだけれど。


 ここまで連敗が続く経験は、生まれてこの方初めてである。


 考え出すとまた落ち込んで来て、がっくりと項垂れた。


「はあ……」


 湿っぽくて、鉛のように重い溜め息が出る。性に合わない。


「成る程なあ。夢を追いかけてるっちゅうヤツなんやな」

「せやね……」

「ならおっちゃんが、その夢叶えたろう」


 勝手に身体が反応して、気付いたら顔を上げていた。


 胸の前にはこちらへ向き直ったさいわいなことりが、ぽんと胸を叩いて私を見上げている。


「おっちゃんはさいわいなことり。姉ちゃんの望みを、何でも叶えたる力を持ってんやで」

あやっしいわぁ……」

「ほな試しに、何か望みを言うてみ? お試しや。あれ食べたいとか、どれ欲しいとか」

「……ウッドマンクラブの1/350スケール、航空母艦飛龍ひりゅうの模型……?」

「足元見てみ」


 言われるままに椅子から下りると、机の下を覗いてみた。


 何とそこには、完全塗装済みの1/350スケール、超精巧な飛龍ひりゅうの模型(183,600円+送料2,500円)が!


「うっそぉ!?」


 驚きの余り身体が跳ねて、ゴツッと机に頭をぶつけた。然し痛みも忘れて腹這いになると、薄暗い机の下に佇む飛龍を眺める。


「カッコいい! めっちゃカッコいい!」

「ふふん。どうや? これがおっちゃんの力なんやで! このように姉ちゃんが望んだものやったらな、物体やろうが才能やろうが何でも欲しいもんを……」

「写真撮ろ! 夢かもせえへん!」


 ズボンのポケットからスマホを取り出すと、バシバシと飛龍を連写しまくる。


「って聞けやァ!!」


 おっと。


 はしゃぎ過ぎてしまった。みっともない。


 さいわいなことりの怒声に我に返った私は、スマホをしまうと机の下から這い出して立ち上がる。


 さいわいなことりは、疲れたように息を吐くと続けた。


「……まあそういう訳でや。何でも欲しいもんをプレゼント出来んねん。おっちゃんは」

「……そうみたいですね」

「何で急に敬語やねん」

「いや、今気付いたけど、代金請求されるんちゃうかなって……」

「せえへんわ夢の無い子やな。ファンタジーはお金とか絡まんねん。タダやタダ」

「はあ……」


 何が起きているのか分からなくて、間抜けな返事になる。


 さいわいなことりは、「ンンッ」とおっさんぽい咳払いをすると続けた。


「つまりはやな、こないな風に一個だけ、姉ちゃんの願いを叶えたる為にやって来てん。おっちゃんは」

「何でですか?」

「それが使命やからっちゅう事やなァ……。まァ、神様の使いとでも思っとってくれ。辛い世の中を少しでも幸いで満たす為に、おっちゃんは活動してるんや……」


 いい声で言われても混乱が増すだけで、別にカッコよくはなかった。


「――まあそれはええとしてや。姉ちゃんは最近ツイてへんみたいやったから、おっちゃんの目に留まったっちゅう事や。何やお願い、一個言うてみ。何でも叶えたんで。それ終わったら帰るわ」

「お願いって、急にそないな事言われても……」

「小説で受賞したいんやろ? ほな、小説の才能が欲しいですって言うたらええやんか」


 どっくんと、妙に心臓が跳ね上がる。


 そうだ。届く。今そう願えば。


 ずっと追い続けて来たものに、やっと。


「随分落ち込んどったけど、それは思い入れが強いっちゅう事なんやろ? 今まで、何回賞にチャレンジして来たんや?」


 私は記憶を辿ろうと、額に手を当てた。


「そんなん思い出されへん……」


 ある回数を越えてから、数えなくなった。落ちた数なんて覚えていても、悲しくなるだけだから。


 初めて送ったのは、15の時だったか? そこから段々、ゆっくりだけれど書くペースが上がって行って……。何回……? 一体もう、何度やってる?


 気付けば、私より若い受賞者が現れるような歳になった。


 気付けば、大人になっていた。


 届かないままずるずると、もう何年も時を過ごしている事に気が付いた。


 いつまでやればいいのだろう。そんな暗い思考が、すぐ側まで迫るようになった。


 意味なんてあるのだろうか。


 ふと時たま、そんな事も思うようになった。


「今日、この瞬間から、もうそんな苦痛からは、一生おさらば出来るで? そう姉ちゃんが、望みさえすれば」


 そう、さいわいなことりの言葉は続いて。



 長い沈黙の後、私は口を開く。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る