第13話(中秋名月!1の1・後編)
*
防衛省は新宿にあり、複数の高層ビル──庁舎が林立している。
その庁舎の一角に、精霊幕僚長こと指導清夢の執務室があった。
精霊自衛隊はまだ新しく小さな組織のため、幕僚長ながら清夢は外回りが多く、この執務室にこもることはむしろ珍しいことである。
「ガイアか? 俺だ。明日の自衛隊と合同の復興支援、問題ないな?」
清夢の電話相手は、日本国と条約を結ぶ四人の超高レベル精霊人の一人、土のガイア。
執務室には清夢一人なので、二人だけでの会話のはずだが、実はこれを盗み聞きしているものがいた。
防衛省の別棟に、極秘に設けられた諜報チームがある。
ほぼ首相のゴリ押しで新設の幕僚長へ就任した清夢を、政府はもとより省内にも快く思っていないものは多い。
5月のだいだらぼっち事件で大臣はまだ入れ替わったばかりなので、陸海空のいずれかもしくは手を組んで、自衛隊内部で独自に編成されたチームのようだ。
清夢の電話相手はガイアで、これを盗聴していたチームだが、彼らは今困惑していた。
「明日の自衛隊と合同の復興支援、問題ないな?」
「わん」「ん?」
「ばう」「ああ」
「わん」「うむ」
「わんわんばうばう」「なるほど、それで?」
犬の鳴き声(女性の声ではある)と清夢の相槌ばかりで、まったく意味がわからない。
暗号だろうか? それとも神通力を介してのものか?
隊長が部下へ視線を送るが、精霊人の部下は首を横へ振る。
「いえ、神通力を使った形跡は感じられません」
高レベル精霊人も含む優秀な(はずの)諜報チームだが、清夢とガイアの会話の内容をまったく把握できない。
神通力を使っている様子もない。盗聴されてることに気づいてでたらめな会話をしているのだろうか?
だがその予想も、次の会話で否定される。
「わんわわん!」
「なんだとお?」
「きゃいん!?」
「いやすまん、お前に怒ったんじゃない。ちょっと待ってろ文句言ってくる」
保留音のメロディに切り替わった。諜報チームは端末を操作して、清夢の電話の後を追う。別の番号へかけているようだ。
端末に出てくる番号は、国土交通大臣のものだった。
大臣が通話に出ると同時に、清夢が一気にまくしたてる。
「ああ大臣、ちょっと小耳に挟んだんですが、沖ノ鳥島を沈まないようにしてほしいとガイアに打診したとか? ……いーや、ごまかしたってダメです。超高レベル精霊人は国家紛争に発展しそうな案件には関与しないと条約に明記されてることくらいご存知でしょう、先生!」
先生とはこの場合は、政治家への敬称。年齢も年上だが、しかし清夢は容赦なかった。
沖ノ鳥島は日本最南端にある無人島だが、近年の地球温暖化の影響か、年々徐々に沈みつつある。そう遠くない将来、沖ノ鳥島は海底へ沈んでしまうだろうといわれている。
沈むと領土としてはみなされなくなり、領海も狭まる。そのため、コンクリートで補強するなどで凌いでいるが、このような対応は世界各国から批判されている。
領土問題はどの国も一番神経をとがらせる、デリケートな問題だ。
これをさらに神通力で、それも立場上は友好国として扱われる超高レベル精霊人の力を借りようなどというズル[#「ズル」に傍点]などしようものなら、各国が騒ぎ出すのが当たり前だ。
そんな小言が延々と続き、諜報チームは顔を見合わせる。
「録音、続けますか?」
「いや、大臣に不利な話のようだし、もういい」
と、隊長の忖度により、盗聴は断念された。
なんであんな犬の鳴き声と相槌で会話が成り立つのか、まったくわからず首をひねる諜報チームの面々であった。
ガイアとの会話に神通力を使ってはいなかったが、清夢は盗聴されていることを知っていた。腐っても鯛、非公式でも超高レベルである。
「諦めたみたいだな、もう普通に喋ってもいいぞ?」
「わん」
ガイアこと、
犬語を続ける瞳嬢に、ちょっと鼻白む清夢。
「……まあその喋り方でもいいけどな、言ってることはわかるから」
「わんわん」
「なんでわかるのかって?さあなあ、お前が初めて臨戦霊装を会得したとき、犬語しか喋れなくなって困ってるのを見て、なんとなくだなあ」
当時のことを思い出し、懐かしげに語る清夢。受話器の向こうでは、少しばかり照れているような感じが見受けられた。
「くーん」
「ん? お婿さん募集中? ああ、お前の実家はでかい専業農家だったな。跡継ぎと男手がほしいんだな。良い男が見つかるといいな」
(……なんでこういうところだけ鈍いのかなあ)
最後だけ日本語でぼやく瞳嬢ことガイアであった。
「あ、なんだって?」
「わん(なんでもない)」
「そうか。で、なんか俺に話があるんじゃなかったのか?」
「わんわん」
改めて、ガイアは本題に入った。
「ああ、次の週末に大統領が国賓で訪日するらしいな。……なに、スコーピオが一緒に?」
*
本殿とその周辺、鳥居までは修復された。
しかし亜界はまだまだ復興途中。神社の敷地の外には、えぐれた地面が延々と続く。
平安装束の美女、オモイカネはその荒れ果てた大地を、宮中の廊下のようにしずしずと歩む。ただしその速度は獣よりも速い。
超速の歩みを止め、オモイカネはあたりを見渡す。
「4割だとじれったいですね。完治まで、もう数日かかるでしょうか」
彼女が歩んだあとには草木が生え、泉が湧く。小鳥のさえずりも聞こえてくる。
先月の玉藻前事件で手痛く荒らされた亜界を、オモイカネはたった一人で修復していた。
現在の亜界は4割しか機能が開放されていない。
「
高位の神といえど、彼女はこの亜界の主ではない。
かつての主、タカミムスビはもうおらず、
「少し休憩にしますか」
手を振るうと、茅葺き屋根の建物と赤い日傘、長椅子が現れる。江戸時代の茶屋のようだ。
湯呑を手のひらの上で回しつつ、空を見上げる。
亜界にも太陽と月、青空は実界と同様にある。
今日は新月だ。
新月の時期、陽光に隠れて人の目には見えないが、月は太陽のすぐそばにひっそりと付き従っている。
オモイカネは青空の中の、人には見えぬ月を見上げながら、なにかに思いふけっていた。
「……なにやらまた、賑やかなことが起こりそうですね」
ポツリとしたつぶやき声。
オモイカネたった一人でたたずむ亜界。
月を見上げ、わずかに目を細める彼女の心情を計り知れるものはいなかった。
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