第10話(風林火山!2の2)

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 ゴゴゴゴゴ、とテーブル席に座る4人から、地響きが伝わってくる。

 てゆうか、彼らの後ろにゴゴゴゴゴ、と効果音を示すエフェクトが浮かび上がっている。

「その子供が玉藻前か?」

 劇画調で、紫藤清夢しどうきよむ少年が凄む。

 なお彼の席ではバニラアイスの乗っかったメロンソーダがシュワシュワと泡を立てている。

「ねえ」

「うまいのじゃー、『はんばあぐ』もうまいのじゃー」

 しゃべりこそ可愛いものの、玉藻前も劇画調になっているのであんまり可愛くなかった。

「ほら、こぼしてますよ」

 同じく劇画調のオモイカネが、ナプキンを幼女の口にあてがって汚れを拭き取る。

「もったいないのじゃー、おばけがでるのじゃー」

 ドッキャーン、とかよくわからない擬音が浮かび上がり、エレキギターのような効果音が響く。

「ねえ、不破くんってば」

 腕組みをして渋い顔でこれを眺めている光宙みつひろに、桃子がたまりかねて割って入った。

「一応真面目な会話みたいなんだから、お馬鹿な神通力はやめてよ」

「いや、俺じゃねえって」

 渋い顔のまま、光宙みつひろはこのいたずらエフェクトを否定した。

 確かに光の神通力を駆使したこのエフェクト、いかにも光宙みつひろっぽいいたずらではあるが、本人にはとんと身に覚えがない。

 となるとあそこで涼しい顔をしているオモイカネがやっているのか、さもなくば彼女が張ったこの結界が、そういうイミフな性質のものなのか。

 見た目は真面目な気質としか思えないオモイカネがそんな訳のわからないことをしているのだろうかと、光宙みつひろは難しい顔をして悩んでいたのだ。

 いや、真顔でイミフは前からか。光宙みつひろは頭を振って悩むのをやめた。

 どこかの司令官のように、清夢はテーブルの上に肘をついて顔の前で手を組んで、迫力を醸し出していた。

「しかし、なぜこの店に……」

「でざあとも頼むのじゃー!」

 劇画調とはいえ、子供姿ではいまいち迫力に欠ける。彼の質問は、はしゃぐ幼女の甲高い声にかき消された。

「おもちゃー、おもちゃがもらえるのか?」

 メニューに挟まれたチラシを手に、玉藻前が言う。

「誕生日だともらえるようですね」

 同じく、清夢を完璧に無視して、オモイカネが応じる。

「誕生日ごとにもらえるのか? なら1000個はもらわんとな!」

「お前ら、人の話を聞けやあぁ!」

 きゃっきゃとはしゃぐ玉藻前に、半ギレの清夢が腰を浮かせてバンとテーブルを叩いた。メロンソーダが一瞬宙へ浮くが、なんとかひっくり返らずには済んだ。

 子供形態とはいえ、彼が怒鳴るのは珍しい。

「ふぇ……」

 キョトンとしていた玉藻前が、じわじわと目に涙を浮かばせた。泣き出す寸前だ。清夢も、やばっ、という顔になる。

「ほら、ちーんしなさい」

「ちーん」

 助け舟はオモイカネから出された。ナプキンを差し出し、鼻をかませる。

 見た目は完璧に親子である。

「ちっ」

 聞こえよがしに舌打ちし、清夢はどっかと腰を下ろした。

 まったく、これでは話が進まんとふてくされてしまった清夢を前に、オモイカネは隣の玉藻前にごしょごしょと耳打ち。

 玉藻前は拝むように手のひらのしわとしわを合わせ、

「おにー、怒っちゃヤ!なのじゃ」

「うぐぅ」

 途端に、清夢のしかめっ面が緩んだ。

 畳み掛けるように、幼女は猫なで声でもじもじと、

「あとー、わらわはー、ぱふぇが食べたいのじゃー。なー、おにー?」

「仕方ないな」

 ちらりと見上げると、すでに清夢はカウンターへ追加注文に向かっていた。

 背を向けているが、その顔面は緩みきっていることだろう。

 さすがはオモイカネ、清夢との付き合いはほとんどないはずのものと思われるが、彼の弱みを完璧に把握している。

(こうかはばつぐんだ!)

(なにが?)

(はっはっは、わからないならそれでいい)

 結界の中なので普通に話しても聞こえはしないだろうがなんとなく、光宙みつひろと桃子はひそひそ話をしていた。

 不思議がる桃子だが、このあたりは天然か。

 しかし清夢、あんなわざとらしいのでも通じるとは、どんだけ兄たがりなんだ。


 うまいのじゃー、うまいのじゃーと、またも口の周りを汚しながらパフェに夢中な玉藻前を放っておいて。

「さて、いい加減本題に移らせてもらおう」

 子供の姿ながら、清夢の迫力が増す。

 結界は解かれてはいないようだが、いつの間にか劇画調は直っていた。オモイカネも少しは真面目に応じる気になったということか。

 そういえば、子供形態の清夢の素顔を見るのは初めてである。改めて見ると、鋭い眼光は子供離れしていて、やはり彼は幕僚長にして精霊人の長なのだと実感する。

(やっぱり、この子が玉藻前とは、にわかには信じがたいわね)

 桃子は、玉藻前に注目しているようだった。

 確かに、晴れ着の少女というだけで、もののけっぽさはまったく感じられない。

 伝承上の玉藻前は時の帝をたぶらかしたというほどだから完全に人間へ化けることもできるのだろうが、彼女から神通力はほとんど感じられない。

「その子供は、本当に玉藻前なのか?」

 今まさに二人が思っていたことを代弁するかのように、清夢が言った。

「俺、いや俺たちの知っているのとはだいぶ違うが」

「神通力もほとんど感じられません」

 清夢の隣に座る、シエルもうなずく。

「光の亜神よ」

 鉄面皮をそのままに、口調も平坦で感情が全く感じられないながらも、オモイカネのその言葉に、清夢もシエルも光宙みつひろも桃子も、息を呑んで背筋を正した。

 ちょっと変わった女性という先ほどまでの様子は消え失せ、威厳に満ちた迫力がそこにはあった。

「光の亜神、あなたの要求通りに連れてきたこの子こそが玉藻前です。不服ですか?」

「亜神……神に準ずるとは光栄だな」

 緊張の汗をにじませながらも、清夢も負けじとにらみ返す。ようやく交渉に応じる気になったかとつぶやく声が聞こえた。

(なるほど、幕僚長のおっさんがこの子供形態になったのは、オモイカネとの交渉のためか)

 アメリカが世界をリードし、中国が台頭してきたように、外交においては経済力だけでなく軍事力も重要だ。このことは精霊人においても同様なのだろう。

 光宙みつひろの分析の一方、桃子も彼らのやり取りを分析していた。

(紫藤先生が篠原先生に隠して話を進めているのは、シエルが関わっているからのようね。あの二人、あまり仲が良いとはいえないから)

 桃子の小声は聞こえてはいたが、光宙みつひろは特に返答はしなかった。

 シエルを見やる光宙みつひろの表情に陰りが見えるが、しかし桃子は気づいていなかった。

 ふと、清夢とシエルの視線がこちらへ向き、光宙みつひろの心臓がぎくりとすくむ。桃子も一瞬たたらを踏んだ。

 だが、彼らに気づかれたわけではないようで、その視線は店内を一通り巡るだけだった。

「ここを指定したのはなぜだ? ここだと人目につきやすい。いつも利用している居酒屋の個室のほうが都合が良かったのだが」

 オモイカネは黙して答えなかった。彼女は料理を注文していなかったようで、水を含んだだけでコップをもとへ戻す。

 光宙みつひろには、なんとなくわかった。彼女がここへ現れたのは、光宙みつひろたちがここへ来ることを予期したのだろう。

 いや、無意識のうちにここへ来るよう誘導したのか。学校でなんとなく感じた違和感はそれか。

「まあいい」

 と、清夢は質問を変えることにした。

「しかし、急に交渉に応じたのはなぜだ?」

「あの領域へ勝手に踏み入れられては困りますゆえ」

 一言ずつでのやり取りだが、これは桃子にも光宙みつひろにも察しはついた。

(前に先生は、シエルの神通力と人工衛星を利用して、地表に存在する亜界を探査していると言っていたわ)

(なるほど、その中から玉藻前を発見したんだな)

(みたいね。もののけ事変で玉藻前は消息を絶ったけど、生きているであろうことは、私たちは確信してた)

 発見した後、オモイカネが玉藻前をかくまったのだろう。なるほど、彼女ならヴァルハラをもってしても見失わせることは可能だ。

 かつての主を失い、現在はオモイカネが代理人として守護している、学校地下にある亜界。あそこにかくまわれているとふみ、調査へ乗り込もうとした。

 そしてやむを得ず、オモイカネは交渉に応じることにした。

 そういったところだろう。

「私からも、聞きたいことがあります」

 オモイカネの、平坦な口調。先程と同様、いやそれ以上の威圧を感じた。

「この無垢な子供を、あなた方はどうしようというおつもりですか?」

「無垢とはよくぞ言ってくれたものだな」

 清夢も、負けてはいなかった。

「8年前の”もののけ事変”を知らぬはずがあるまい。玉藻前は、その首謀者の一人だ」

「なあなあおたー、なんの話じゃ?」

「なんでもありませんよ。ほら、このちらしになぞなぞが書かれているから、これでもやっていなさい」

「のじゃー」

 オモイカネが玉藻前へ向ける目は慈愛に満ち、まさに母親が子へ向けるものであった。

「この通り、力も記憶もなくしてしまっています。……今一度聞きます。あなた方[#「あなた方」に傍点]は、この無垢な子供をどうしようというおつもりですか?」

 必要以上の情報を出さず、事実のみを突きつける。しかも、良心の呵責を巧みに誘う。

 交渉はオモイカネのほうが一枚上手のようだった。

 オモイカネは、清夢のバックに国連がいることを知っている。あなた方とはそういうことだ。

 参りましたとばかりに、清夢は嘆息した。

欧州連合EUに圧力をかけられているんだよ」

「すみません、私のミスで」

「いや、あれは運が悪かった。仕方ない」

 ぽそりと謝るシエルをなだめ、説明を始める。


 人工衛星の無断使用がEUにばれ、圧力をかけられている。

 収集したデータは清夢が所持するUSBメモリにのみで他はすべて隠滅済みだが、政府高官に情報の一部を知られた。

 それが、玉藻前の存在。

 第一高校周辺を走査した際には存在が確認できていた。

 EUと政府からの要求は、玉藻前の引き渡し。玉藻前は、もののけ事変における最重要人物の一人である。


「この子から得られる情報はありませんよ?」

「EUや政府にとっては、その子が玉藻前ということ自体が重要なんだ。拘束したとなれば、大手柄だからな。むしろ力を失っていたほうが都合がいい」

「今は浄化の終盤に差し掛かっているところですので引き渡しには応じられません」

 きっぱりと、彼女は言った。

「他人の手にかかれば最悪、力を取り戻す恐れがあります」

 世界を混乱に陥れ、猛威を奮った玉藻前。超高レベル精霊人たちによって粛清され力を失い、今はオモイカネによって無害なもののけへと浄化されつつあるというのが現状のようだ。


 交渉は行き詰まり、難しい顔をした清夢が小さくうなるばかりになってしまった。

 そんな中、ここまでほとんどしゃべっていなかったシエルが遠慮がちに手を上げた。

「あの、ひとつ気づいたことがあるのですが」

 些細なことでもヒントがあるかもしれない、渡りに船とばかりに清夢は応じた。

「なんだ、言ってみろ」

 清夢・オモイカネ・玉藻前と順番にみやり、彼女は最後に自分を指さした。

「この中では私が最年少ではないでしょうか?(えっへん)」

「やっぱりお前は黙っていろ」

 心底疲れ果て、清夢はあっちへ行けとばかりに手を振った。

 基本的には真面目なのだが、天然だかわざとなのかわからないボケをたまにかますのが、彼女の難点だ。

(相変わらずね、シエルは)

(まったくだ)

(……ん?)

(……ん?)

 微妙な面持ちでつぶやく桃子に、まったく同じ顔色の光宙みつひろは、一瞬顔を見合わせた。

「仕方ない、出直す」

 シエルのボケがきっかけとなったか、清夢は席を立った。

「いいんですか?」

「ああ。俺も無害な子供を無理に連行するのは本意ではないからな。最初の交渉はこの程度でいい。国連には適当に報告しておく」

「はい」

 足早に二人は去っていった。

 ぱっと見には年の少し離れた姉弟のようにも見えるが、さっきのボケの通りシエルのほうが年下だ。


 もともと人気の高い店というわけでもなく、昼時もすぎれば店内に客はほとんどいなくなる。

 店員の注意も向いていない中、光宙みつひろと桃子は景色が元通り色づいたことに気づいた。

 どうやら結界が解かれたようだ。

「おい、オモイカネ──」

 声を掛けるもオモイカネはお辞儀だけして玉藻前を連れ、静かに店から去っていく。

 のじゃー、のじゃーという幼い少女の可愛い声を残して。


         *


「しかし参ったね」

 手持ち無沙汰に指の上に立てたストローのバランスを取りながら、光宙みつひろはぼやいた。

 二人だけが残された店内、注文を取り直して今度は喫茶だけである。光宙みつひろはアイスコーヒー、桃子はアイスココア。


 オモイカネがここへ現れた理由。

 彼女が光宙みつひろをここへ呼び寄せた理由、

 そして姿を消してまでして、この交渉の様を光宙みつひろへ見せつけた理由。

 彼女は多くは語らなかった。

 だが、彼女が光宙みつひろへ何を託そうとしているのかはだいたいわかった。

 精霊人が本来人との共存を望んでいることくらい、オモイカネだって知っている。

 だからこそ、知らぬ存ぜぬと突っぱねず、交渉の場に出てきたのだ。

 だが彼女は結果を保留した。

 玉藻前の処遇をどうするのか。主(仮)あるじかっこかりたる光宙みつひろに、その判断を委ねているのだ。

 面倒な事を押し付けやがって。

「参ったねと言いながら、なんだかニヤついてない?」

 ニヤついているのは、桃子もだった。

「さあどうすっかねえ。ああ、夏休みの予定も決めないといけないしなあ」

 光宙みつひろの脳内は、絶賛計算中である。この状況をどう活用しようか。

 少なくとも、難しいことは考えない。為せば成る、なさねばならぬ、何事も。

 ──と。

「ん、どした?」

 桃子が硬い顔をして、胸元から取り出したスマホへ視線を釘付けにする。

 だがそれは重要な情報を読んでいるというよりも、何かをごかますような仕草に思えた。

 そしてその理由はすぐにわかった。

光宙みつひろくん」

「ああ、ライ姉か」

 自然を装いつつも、光宙みつひろも少々驚いていた。

 清夢たちとはまさに入れ替わりで、未来がやってきたからだ。

 桃子は、未来には正体を隠しているんだったか。髪型と眼鏡の有無程度でしかごまかしていないから、まじまじと見られると気づかれる可能性がある。彼女が視線をそらしたのもそのためか。

 しかし幸い、未来は桃子のことはあまり機にしていない様子だった。

 店内をぐるりと見渡し、

「今、清夢さんが……いえ、気のせいね」

 頭を振り、未来は微笑を投げかける。

光宙みつひろ君、デートかしら?」

 はは、と愛想笑いだけで光宙みつひろはそれ以上は答えない。

「明日は終業式よ。早めに帰りなさいね」

 注文を取ることなく、未来はすぐに出ていった。ほっと桃子が息をつく。

 まあ、なんだ。

 女の勘は恐ろしいといったところか。

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