第10話(風林火山!2の3)

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 第一高校の地下深く。

 コロボックリが住まうその洞窟の最奥部に、その広場はある。

 多目的ホールにでも使いそうな、だだっ広い部屋。天井は高いが、壁や床と同じ無機質なデザインだ。

 その一番奥に、ひときわ異質の物がある。

 鳥居だ。直線的でシンプルなデザインの、しかし大きく荘厳な神明鳥居。

 その鳥居は亜界へと繋がっているが、かつての主はもういない。

 代わりにこの亜界を守るは、オモイカネ。主によって一番始めに生み出され、主がここを去るまで、長く仕えてきた。

 鳥居の近くには、無機質な床には少々似合わないが、立派な作りの寝所が立てられていた。

 帳台と呼ばれる、四面を布で覆われた部屋の中にはむしろを何枚も重ねた八重畳が敷かれ、この上で少女が一人、うつらうつらと寝入りかけている様子だった。

「外界は楽しかったのじゃー」

 あこめという平安衣装を寝巻きに、うっとりとした様相で横たわる幼い子供。玉藻前である。

 昼間のときとは違い、頭部には狐耳、顔は絵の具でも塗ったかのような模様が描かれている。枕はないが頭のそばには、平安然とした部屋には異質な、プラスチック製のおもちゃが置かれている。

 先ほどまで、怪獣と戦車のおもちゃで、がおーがおーどーんどーんと楽しそうに遊んでいた。

「ぼろねえぜはおいしかったのじゃー、おもちゃをもらったのじゃー、主上も一緒に遊ぶのじゃー、しゅじょー……」

 寝言は寝息となり、玉藻前は眠りについたようだった。

 帳台のすぐ外にはオモイカネが控え、中の様子をうかがっている。

 その表情は、鉄面皮の彼女には珍しくも陰っていた。

 浄化を施し続けて、数年。力も記憶もほとんど洗われてなお、拭いきれない思いがある。

 オモイカネは寝息を立てる玉藻前をじっと見守っている。

「なるほど、昼間とはちょっと違うな。そっちが本来の姿か」

 そんな中に、光宙みつひろが現れた。

 特高レベルまでの者なら、彼がいつ現れたか察せなかっただろう。それくらい自然に、それくらい唐突に、オモイカネの前に立ち、帳台の中を覗き込んでいた。

「来ましたか」

「お前が呼んだんだろう? 昼間のときもさ」

「まあ」

 飄々とした様子の光宙みつひろに、オモイカネは表情を崩さずとも内心感心していた。

 右か左かで迷ったとき、右を選ぶようにそれとなくうながす。そのくらいささやかなものだったのだが。

「お前の方から頼ってくるのは珍しいからな。この前の借りもあるし、乗ってやってもいい。そのかわり……」

「そのかわり?」

「ここ[#「ここ」に傍点]の力、すこーしばかり借りるぜ?」

 光宙みつひろが浮かべた表情は、さしものオモイカネでも嫌な予感を覚えずにはいられない、いたずら小僧のそれだった。

「んー、誰じゃー?」

 上体を起こすも、むにゃむにゃと気だるそうな玉藻前。寝ぼけた様子が愛らしい。

 寝所へ一歩だけ入り、屈んで光宙みつひろは笑いかける。

「よう。ここじゃ退屈だろう。俺と遊ばないか?」

「んー…?」

 眠気まなこをこすると、玉藻前には光宙みつひろが別の人物と重なって見えた。


 そこは一面に広がる野山だった。

「こんなところに子狐とは珍しい」

 貴族だろうか。なにやら位の高そうな衣装の少年が、弓を片手に彼女を見つめていた。

「母親とはぐれたか? さびしかろう、儂と遊ばんか?」

 にかっとしたその笑顔は、一発で彼女のまぶたに焼き付いた。

 千年経っても忘れない、優しそうなその笑顔。

 第七十四代、鳥羽天皇との出会いである。


「しゅじょー! 主上なのじゃな! わー! わー!」

 ぱっと目を覚まし、はしゃぎだす。長い出張から帰ってきた父親を出迎える幼子のようだった。

「ん? 俺はそういうやつとは違うぞ」

 興奮した様子の少女に少し面食らった光宙みつひろだったが、二人称が必要だなと思い立った。

 両手を差し出す玉藻前を抱えあげ、

「そうだな、俺のことは父ちゃんと呼べばいい」

 兄と呼ばせようかとも思ったが、なんとなく清夢とかぶるのを避けたかった。


         *


 翌、金曜日。

 大社学園第一高校はあまり広くはないし外装も平凡だが、設備はそこそこ充実していたりする。

 連日の猛暑が続く中、終業式は炎天下を避け、体育館で執り行われた。

 空調がしっかりしているおかげで、体育館の広さをもってしてもさほど暑くはなく、校長の長話で生徒が倒れるというようなこともなく無事に終了した。

 設備の充実は、篠原未来教諭を始めとした超高レベル精霊人たちによる寄付金のおかげによるところが大きい。公式の超高レベル精霊人12人のうち、実に7名がこの学校の出身だそうだ。

 お姉ちゃん、お金持ちなのよね。一緒に暮らしてて実感ないけど。

 そんなことを思いながら、風鈴は他の生徒達とともに、体育館外への扉をくぐる──

「んきょお!?」

 ──と同時に、風鈴は素っ頓狂な悲鳴を上げてのけぞった。何事かと、周囲の生徒たちの耳目が集まる。

「風鈴、どうした? 首を絞められたニワトリのような声を上げて」

 花丸が駆けつけてきた。もっと良い例えはないのかと突っ込みたいが、風鈴は額に突き刺さったモノを引き抜くのに必死である。

「矢文とはまた古風な」

 実際に突き刺さったわけではなく、風鈴のおでこにひっつくは、折りたたんだ紙片がくくりつけられた、プラスチック製のおもちゃの矢。先端には吸盤が取り付けられ、風鈴の額に見事にストライクとなったようだ。

 スポンと引っこ抜くと、おでこにはピンク色の跡が残ってしまった。

「風リンのおでこにキスマーク! 不潔! あたしの唇で上書きしてあげるから!」

「おだまんなさい!」

 続いて飛びかかってきた美優羽をはたき落とし、矢から紙片を取り外す。

「誰からかは予想がつくが、なんだって?」

 いつの間にやらどっかん屋4人が勢揃いしていて、広げた手紙を覗き込む。

「えーと……」

 手紙の内容は、こうだ。


 は・ず・れ(はぁと)


「なんじゃこりゃあああぁぁぁ!?」

 びりびりと、ミリ単位まで細かく破り捨て、放り投げる。空調の風に流され、紙吹雪となった。

 周囲の野次馬たちはドン引きし、触らぬどっかん屋に祟りなしとばかりにそそくさと立ち去ってゆく。

 そして代わりにコロボックリが一匹、にゃーにゃー言いながらトテトテとやってきた。

「との!」

「誰が殿よ」

「手紙だって」

 折りたたんだ紙を渡そうという仕草を見れば丸わかりではあるが、留美音が一応訳してくれた。光宙みつひろほどではないが、彼女もコロボックリの言っていることがわかる。

「今度は本物でしょうね?」

 疑り深く、風鈴は慎重に手紙を広げる。文章が見えるので、今度はちゃんとした内容のようだ。

 手紙には、こう書かれていた。


 拝啓どっかん屋の皆さま、ぼくは光宙みつひろです。

 夏休みを期に、このたび科学部は”悪戯トリック班”を立ち上げました。ひいては貴女たちに挑戦したいのでご一報いたします。

 詳 し く は ま た 後 で !


「あんのやろおおぉぉ!」

 風鈴の手紙ビリビリ(2枚め)に、他メンバーがドン引き。

 その直後、


 にゃーにゃーにゃー! にーにーにー!


 土煙を上げながら、コロボックリが大挙として押しかけてきた!

「とのとのとの!」

「でんちゅうでござる! てがみでござる!」

「やまぶきいろのおかしでござる!」

「とのー! おたわむれをー!」

「あー、うっさーい!」

 耳を抑えて金切り声を上げるが、大量発生コロボックリたちの鳴き声の前には無力だった。次々と手紙を押し付けられ、紙くずの中に埋もれてしまいそうな勢いだ。

 多分、手紙の内容は同じだろう。

「ねえねえどっかん屋さあ。みっくんからメールがきたんだけど」

「小生もっす」

「ですぅ」

「科学部が悪戯トリック班を立ち上げるとか……って風リンさん?」

 いきもの係がやってきたが、彼女たちには普通にメールの様子。

 むきー! と癇癪を起こして風鈴はコロボックリをなぎ倒している。加減はしているようで、コロボックリたちはきゃっきゃとはしゃいで飛びかかっては放り投げられている。

「いやー、おちょくってるっすなあ」

 苦笑いのいきもの係の面々であった。


         *


 夏休みに向けて、光宙みつひろたちの方針は決まった。

 その準備を進めたいのだが、部室では太郎右衛門がふてくされてしまい、作業が進まなかった。

 女の子のような整った顔立ち。しかし今は頬を膨らませてすねている。

「彼女の正体を聞くまでは、協力はできないよ」

 ぷいっと顔を背けながらも少々こわばっていて、少しばかり怯えていることがうかがえる。

 彼の前に立つは光宙みつひろと、ワルキューレ。

 先月のどっかん屋との対決のときに突如現れ、全世界を騒がせる騒動の後、いつの間にやら科学部に居座っていた。

 彼女からはもちろん、事情を知っているであろう光宙みつひろからも詳しい話は聞けず、しかし二人は妙に仲がよい。

 太郎右衛門は光宙みつひろと中学時代からの友人関係で、隠し事をされるのはもちろん面白くないし、他の子と仲良くして自分だけのけ者にされるのはもっと面白くない。

 どうしたものかと光宙みつひろは答えあぐねていたが、意を決したようにワルキューレはうなずいてみせた。

「ワカッタ、教エヨウ」

「いいのか?」

「アア。超高れべるの正体ヲばらソウトシタラドウナルカクライワカッテルダロウシナ」

 5年ほど前に”もののけ事変”が解決されたあと、超高レベル精霊人たちは彼らへの批判・差別に抵抗し、政府要人・大手マスコミ幹部から個人ブロガーに至るまで徹底的に鎮圧した。

 もちろん殺傷はしていないが、廃人になるまで追い詰められた者は多数に上る。

 そうすると今度は、超高レベルを神と崇める輩や、差別から開放された反動で調子に乗ってテロまがいの行為まで始める精霊人が現れ始めた。

 超高レベル精霊人たちは、これも徹底して粛清してきた。

 結果3年ほど前には、超高レベル精霊人は安穏とした普通の生活を求めているだけだ、という彼らの主張は本当のものだと理解され、差別や過度の批判、正体を探るような行為はタブーとして浸透していった。

 その後も現在に至るまで不用意な行いは散発しているが、そのたびに粛清されている。

 最近ではトールの正体をバラそうとした研究所が報復を受けている。

「そ、そんなことしないよ」

 声を震わせる太郎右衛門。彼も特高レベルではあるが、超高レベルとの実力差くらい重々承知だろう、怯えた様子からもよく分かる。

「マア、オオムネ見当ハツイテイルダロウガ……」

 白い戦闘服がゆらぎ、薄まって空間に溶け込んでゆく。

 代わりに見えてくるは、白いブラウスと紺色のオーソドックスなスカート。第一高校の女生徒の夏服。

 金髪は黒髪へ、仮面も消えて浮かび上がる素顔は、太郎右衛門もよく知った女生徒だった。

「……私よ」

 静かに太郎右衛門を見据え、桃子は言った。

 これで全て合点がいった。先月の事件後、記者会見に出つつも学校に彼女がいたのも、超高レベルならではのトリックがあったのだろう。

 太郎右衛門はうなずき、笑顔を見せた。

「そうか、やっぱり……。わかった、協力するよ」

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