第3話(花鳥風月!3の4)

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 人間が精霊人せいれいびと本来人ほんらいびとに分類されるように他の生物はもののけと本来生物に分類される。

 二十年以上を生きた猫は猫又になるとも言われる。留美音が今激戦を繰り広げているモグラのもののけも、同様にレベル向上により変化したものだろう。

 だが、弱い。留美音は疑念を抱いていた。

 留美音に対して弱いわけではない。一進一退の攻防を繰り広げている以上、ほぼ互角と言える。

 だが、ずっと上位レベルのはずの光宙みつひろが、なぜこんな敵に重症を負わされたのか? 激情と冷静が混濁する中、考える。

 瀕死の光宙みつひろを発見する直前、コロボックリに会った。このコロボックリを、もののけは気にしていた。

 もののけがコロボックリに危害を加えようとし、それを光宙みつひろが助けに入った。

 おそらく、光宙みつひろが持つ攻撃技はあの桁外れのものしかないのだろう。使えばコロボックリをも巻き込む恐れがあった。無策に飛び込んだ結果、コロボックリを逃がせたが、自らが犠牲になった。

 留美音はおおよその事情を理解した。

 モグラのもののけが牙をむき出しに詰め寄ってくる。だが、留美音との距離は縮まらない。月は追いかけるムーン・チェイスで相対位置を固定しているからだ。

 留美音は敵の横へ回る。もののけが身体をよじって正面をむこうとするが、留美音も一緒に動く。そのさまは、犬が自分の尻尾を追ってグルグル回るかのようだ。

 留美音は腰を落として地面へ踏ん張る。途端、もののけは身動きが取れなくなる。勝手に駆け出そうとして、飼い主にリードを引っ張られるペットのように。

 光宙みつひろにはあっさり破られたが、同レベルまでならこのように自分にのみ有利な立ち回りが可能だ。

月精三日月衝クレッセント・インパクト!」

 悲鳴が上がる。ヒットアンドアウェイで攻撃を繰り返しているが、敵は巨体に見合うだけのタフさがある。

 モグラのもののけは、上体を起こした。前足を大きく振り上げ、地響きとともに地面へ叩きつける。

 地面を引き裂きながら、衝撃波が走る。間違いなく神通力の乗った攻撃だ。

 だが、留美音には効かない。留美音は宙に浮いていた。

月は空を渡るスカイムーン。私に対地攻撃は効かない」

 言葉が通じるとも思えないが、留美音はもののけへ宣言した。

 レベル自体は同格の敵だが、戦いは留美音が圧倒し始めていた。相手はしょせん一般的な動物から変化したもののけにすぎない。対し留美音の神通力は、戦闘に特化している。

 なにより、留美音は怒っていた。

「月卿雲客──どっかん屋、片岡留美音。本気で行きます」

 静かに、留美音は構える。

 溜め[#「溜め」に傍点]に少々時間がかかるが、敵は身動きが取れない。

 夜空を渡る月は時に、一等星をも隠すことがある。星食というこの現象が、もののけには見えていたかもしれない。

月精星食波スター・エクリプス!」

 月精三日月衝クレッセント・インパクトを大きく凌ぐ光の束が、敵を飲み込んだ。


         *


 ──あいつを助けなきゃ。

 あの時、光宙みつひろは無我夢中で、何をしたのかよく覚えていない。

 気づいた時、あいつは泣いていた。怪我をしていないことに安堵はしたが、彼女を怯えさせてしまったことを、ひどく後悔した。

 家族も同然の同い年の少女。光宙みつひろはそれを守りたい一心だった。

 八年前。風鈴と未来、その祖母の家でともに暮らしていた頃の出来事だった。


「う……」

 自分のうめき声に気づき、光宙みつひろは目を覚ました。

 地べただが、しばらくここで眠っていたためか、それほど冷たくは感じない。いや、脇に体温を感じる。

「み、光宙みつひろ……良かった……」

 息を荒らげ、花丸が上気した顔でそうつぶやいた。

 見ると、花丸は全裸で大汗をかいて自分の隣に横たわっている。何やら満足げな顔にも見える。

 自分もパンツ一丁で、疲労感が残るものの何かから開放されたような心地よさが全身に染み渡っている。

 光宙みつひろは額に指を当てて考える。

「あのな、光宙みつひろ。実は……」

 ぽくぽくぽく、ちーん。この状況から、光宙みつひろはひとつの結論に達した。

「ありがとうございました」

「まあ待て」

 正座して背筋を伸ばした45度の角度での正式なお辞儀に、花丸は光宙みつひろに問うた。

「私は確かにお前に感謝されることをしたかもしれんが、その礼は何に対するものだ?」

「どう見ても童貞卒業です。本当にありがとうございました」

「やっぱりそっちかあ!? あのな、この状況は確かに誤解するかもしれんが、私は」

「お前、意外に着痩せするタイプだったんだな」

「そ、そうか? 私は幼児体型だと常々気にして、ってそうじゃなくて!」

「心配すんな。責任は取るから」

「嬉しいけどそれでもなくて!」

「じゃあ二回戦行こうか」

「だからちょっと待てっつうに!」

 しどろもどろの花丸の肩に手をかける。まじで二回戦かと身をこわばらせる。そこで神通力を展開した。

「おおっ?」

 感嘆の声が上がる。

”空中クレヨン”で、花丸にドレスを着せた。ファッション雑誌にはまめに目を通しているので、このくらいはお手の物だ。

「見た目だけだから、今のうちに服を着とけ。真っ暗とはいえ素っ裸じゃ俺の眼に毒だ」

「あ、ああ」

 脱ぎ散らかしてあった制服を着、改めて光宙みつひろは花丸へ頭を下げた。

「もののけにやられた俺を助けてくれたんだろう? ありがとうな」

「そ、そうか。わかっているならいいんだ」

 打って変わっての真摯な態度に、花丸も少し気恥ずかしくなってしまった。一瞬見つめ合い、なんとなく笑いだしてしまう。


         *


「壁ドンなら任せて!」

 意気揚々と、美優羽は空中へ舞い上がった。高レベルなら、彼女の背に翼が生えたのが見えるだろう。

「烏鳥私情! どっかん屋、寿美優羽。本気で行きまーっす!」

 風鈴に惚れ込んでいる彼女は、命令とあれば喜び勇んで全うする。巨大なもののけなど意にも介さず、天井に張り付いた。

「キツツキ! オラオラオラオラオラオラオラオラ!」

 ドカドカドカと、豪快な音を立てながら、ひたすら天井を殴り続ける。本来人なら手を痛めてしまうところだが、神通力の乗った拳なのでその心配はいらない。

 てゆうかキツツキとか言いながらオラオラって。あと壁ドンというか天井だから天ドンか? そんな思考逃避をしかけたとき、もののけの巨大な手が美優羽に迫っていることに気づいた。

「美優羽、右へ!」

「ォライ!」

 とっさの指示にも、彼女は忠実に従う。敵の攻撃をすんでのところでかわした。

「オラァッ!」

 あ、最後は頭突きなのね。キツツキの術名は守ったか。またしても一瞬思考逃避する風鈴。

「くーずれーる、ぞおぉーーっ!」

 美優羽は宣言と同時に翼をはためかせ、大通りへ舞い戻る。風鈴の脇へ着地するのに合わせるかのように、もののけの頭上の岩塊が崩れだした。

 瓦礫がぶつかりあう轟音とともに、砂埃が舞う。しばらくすると、もののけが引っかかっていた通路は完全に埋められ、通行不能となっていた。埋もれるのを免れたとしても、これならこっちには来られまい。

「よし、ひとまず地上へ戻るわよ!」

「ラジャー!」

 二人はきびすを返して駆け出した。


 光宙みつひろを確保した花丸も、地上へ戻ることを決意した。

「よし、そろそろ戻るか。風鈴から”風の噂”が来ないと連絡がつかないのが難だな」

 って、どっちが出口だ? と今さらながら迷子になっていることに気づく花丸。

「まずいな、まだ近くにもののけがいるとも限らん……、光宙みつひろ?」

 光宙みつひろは手を上へかざし、円を描くように一回転する。何をしているのかと思ったら、神通力の流れを感じた。

「戻る前に、ちょっと付き合ってくれないか?」

 何をだ? と聞く前に、術が展開する。花丸は思わず声を漏らす。

「”テクスチャ剥がし”とでも名付けるか」

 壁が、床が、天井が消え失せた。その淵だけが線画として残され、まさにゲームにおけるワイヤーフレームのような光景になった。

 一種の透視術か。だが、規模がやたらとでかい。遥か上空には、青空すら見える。あの遠さからして、ここは地下百メートル近くありそうだ。

 少し離れたところに、留美音がいるのも見える。向こうからは見えないのか、気づく様子はない。ちょうどモグラのもののけを倒したところのようだ。

 やや上方には、風鈴と美優羽がいる。もののけと戦っていた様子だが、壁を崩して埋め立てたか。助太刀に行ったほうがいいかもしれない。

 だが、光宙みつひろはそちらには興味が無いかのように、下方をじっと見つめていた。

「……あそこか」

 光宙みつひろは探り当てた。この洞窟の最深部、幕僚長に呼び出された場所、そして『施設』への入り口。ゆっくりと、そちらへ手を向ける。

 よくわからずに様子をうかがっている花丸へ、光宙みつひろは静かに聞く。

「なあ花丸……俺達は友達だったよな?」

 質問の意図がよくわからないが、花丸は正直に答える。

「ああ。中学時代からの付き合いだな」

 もっと正直に言えば友達以上の感覚も少しはあるが、ここでは伏せておく。

「そうか。じゃあちょっと見ててくれ」

 そう言うと、手のひらにかすかな光が灯る。

 待て、何を……花丸は言葉を紡ぐことができなかった。それよりも早く、光は展開した。

 轟音、閃光、そして激震。先程も受けた衝撃が、今度は眼前で起きた。

 一瞬意識が遠のく中、寸前に彼がぼそりと呟いた術名を、花丸は聞いていた。

 すなわち、”陽子砲”と。

 振動は、数分にも感じたが、実際のところはわからない。わからないが、振動が収まった時、彼はこちらを見ていた。寂しそうな笑みを携えて。

 彼の後方には、トンネルが形成されていた。はるか地下へ向けて、”テクスチャ剥がし”をもってしても霞んで見えるほど遠くまで。百メートル単位なのは間違いない。

 どう考えても、レベル50台で可能な破壊力ではない。

 遠くを見つめ、光宙みつひろは語りだす。その声は自嘲に満ちていた。

「堪えるもんだよなあ。親友、いや兄弟とすら思っていた奴に怯えられるってのはさ……。花丸、お前はこれを見て、どう思った?」

 親友……太郎右衛門のことだろうか? いや、違うような気がする。彼に兄弟はいないから、他にそれに匹敵するほどの友人というと……。

 思い当たるふしもあるが、花丸は答えることが出来ない。

 口の中が乾いて、声が出せなかった。足がすくんでいた。踏ん張らなければ、腰が抜けそうだった。花丸は、いやどっかん屋はこの男を何度も追いかけ回した。彼はその気になれば反撃できた。この攻撃が、自分たちに向けられたら……。

 花丸は、自分がどんな顔をしているのか自覚していない。硬直したままの彼女を見つめ、光宙みつひろはうつむき、小さく息を吐いた。

 そして背を向け、トンネルの奥へ向かいだした。

「……っ!」

 花丸は気力を総動員し、足を叩く。頬を叩く。何を考えているんだ私は!

「待て光宙みつひろ! 勝手に先へ行くな!」

 声を絞り出し、花丸は追う。追いかけなければ、このまま二度と会えなくなりそうな気さえした。

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