第3話(花鳥風月!3の3)

         3


 八年前。

 風鈴と光宙みつひろが小学二年生、姉の未来が高校一年生だったのが八年前。

 この頃、三人は隣町の祖母の家で暮らしていた。光宙みつひろのことは従兄弟だと聞かされていたが、孤児だと知ったのは小学六年生のときだったか。

 ともあれ、この頃三人は家族同然に暮らしていた。家族なら、一緒に海にだって行く。

 みんなで海へ行った時、あの事件は起きた。

 あの事件以来、いやあの事件のときだけで、光宙みつひろは攻撃技を使ったことは一度もない。なかった。

 八年前の光景が、脳裏に蘇る。

「大丈夫か、フウ姉──」

 手を差し伸べる、幼き日の光宙みつひろ──。

「風リィーーン! だぁいじょぉーぶぅーー!?」

「どわあっ!?」

 耳元に響く大声に、風鈴は反射的に肘鉄を繰り出していた。

「ふ、風リン……ひどい……」

 みぞおちへクリティカルに入り、うずくまる美優羽。

「それにしても暗いわね、ここ」

「聞いてないし」

 いつものことなので、美優羽のぼやきは無視。思考が過去へトリップしかけていたが、今は光宙みつひろの捜索が先決だ。

 光宙みつひろが開けた大穴から降り立った四人だが、そこは長い通路だったのでふた手に分かれた次第だ。

「留美音か花丸と組んだほうが良かったかしら」

 レベル相応に風鈴も美優羽も暗闇には対応できるが、ここまで暗いとプラスアルファが必要そうだ。

「ひどい! こんな暗くて狭くて怖いところにあたしを置いて行かないで!」

「嘘おっしゃい! あんた”フクロウ”で夜目が効くでしょうが! てか狭くないでしょここ」

 一般に鳥は夜が苦手とされるが、鳥の精霊人である美優羽は当然ながら暗闇に強い鳥の能力も持っている。

「ちっ、じゃあ風リン、あたしがリードしてあげる。性的な意味でと言いたいところだけど、夜道的な意味で」

 と、手をワキワキさせる美優羽。性的な意味満々ではないか。

「大丈夫よ、あたしも”風を読む”で暗闇には対応できるから」

 けど風リンって空気は読めないよねとかいう小声は徹底無視。風鈴は神通力を展開する。洞窟内の空気の流れが視覚に変換されて風鈴の目に映る。難点は、色が薄くなることか。

 ともあれ二人は奥へ向かったはずの光宙みつひろの追跡を開始した。


「しかし、学校の地下にこんな洞窟があったとは……」

 周囲を見渡しながら、花丸が嘆息する。

 埼玉の地下には首都圏外郭放水路という世界最大級の地下水路があるが、それを思い起こさせるほどに広い。

 通路の幅だけで十メートルほどはあるだろうか。ここは大通りのようなところらしく、細い分かれ道も散見する。総延長は窺い知れない。

「大通り沿いに進むか。明かりを追加した方がいいな」

 と、花丸は神通力を展開。手を振るうと淡く輝く粉があたりを漂い、地面に降りる。術名は”光苔”である。

月夜ムーンナイト

 術名だけ唱え、留美音も神通力を展開した。頭上に輝く光の玉が現れる。明るさは満月程度だが、”光苔”と合わせれば本来人でも差し支えないほどの光量を確保できる。

「にー!」

 一匹のコロボックリを発見したのは、探索を開始してしばらくのことだ。

「にー! にー!」

 花丸、いや留美音にか、必死に何かを訴えている。無言ながら腰を落として留美音が対応する。

「奥に? なにが?」

 留美音にも詳しくはわからないようだが、ふと奥の気配に気づく。

「なにかいる」

「にー!」

「お、おい!」

 奥を窺い、コロボックリは震えてまた逃げ出した。

 追いかけている余裕はない。気配の正体がわかったからだ。

 聞こえてくる唸り声。体長3メートルはあるか。巨大なモグラ型のもののけが、暗闇から湧き上がってきた。

 留美音が目を見開いた。花丸は息を呑んだ。もののけにではない。近くに倒れた少年を発見したからだ。

光宙みつひろ!」

 彼はうつ伏せに倒れ、動かない。いや、微かに呻いているか。モグラ型のあのもののけにやられたことは明白だ。もののけは光宙みつひろへ鼻を近づけ匂いをかぎ、興味をなくしたかコロボックリの逃げていった方へ顔を向け、花丸・留美音と視線が交差した。

 なにかがざわめく音がした。いや、音だったのかは定かではない。

 留美音が静かにもののけを見据えている。だが、明らかに尋常ではない。いつもの無表情に、異様な雰囲気を──花丸は確信した。逆上しているんだ、彼女は。

「花丸、みっくんをお願い。怪我してるから」

「ま、待て。あれとやりあう気か?」

「……私は、戦闘が専門」

 咆哮が、花丸の耳をつんざいた。寡黙な彼女が上げる感情任せの叫び声を、花丸は初めて聞いた。

 呼応するように、もののけが牙をむき出しに大口を開けて留美音へ飛びかかる。

 応戦している余裕はない。確かに今、光宙みつひろを治せるのは自分だけだ。花丸は怪我人を抱え、脇の細道へ逃げ込んだ。


         *


 風鈴・美優羽ペアも、もののけの気配に気づいた。

「なにかいるわね」

 ぎしぎしと壁が悲鳴にも似た音を立てている。なにか大きなもののけが、狭い通路にハマって難儀している様子だった。

 なんかマヌケなもののけに、風鈴の警戒心が緩んだ。

 しかし異様に大きい。人型のもののけが四つん這いでいるのだろうか?

 コロボックリのように比較的友好的なもののけもいるが、油断は禁物だ。近づく前に、危険度を確認しておきたい。

「美優羽、あれのレベル、わかる?」

「まーかせて! 鵜の目! 鷹の目!」

 美優羽は神通力を展開する。”鵜の目鷹の目”は、風鈴の要求通り、相手のレベルや属性を見抜く術だ。術名を叫びながら両手を「メガネ」にして眼前に構えるのは、術の展開に必要な動作なのか単なるウケ狙いなのかは判断に迷うところではあるが。

「91.4! 58.6! 88.8! すごい! ボン・キュッ・ボーン!」

「何を見抜いとるかああぁぁ! しかもミリ単位で!」

 風鈴渾身の素首落としに、美優羽はカエルのように地面に這いつくばった。

「冗談よ、冗談。風リンったらそんな怖い顔しないで。あ、数値は本当だけど!」

「どうでもいいから、真面目にやんなさい!」

「はーい」

 もののけは巨体を左右に揺らしながら、なんとか抜け出ようともがいている。美優羽は改めて「メガネ」をもののけへ向ける。

 そして総毛立った。

「風リン!」

「きゃあっ!? な、なによ?」

 抱きついたまま、来た道を戻ろうと足をバタバタさせる美優羽。風鈴は引き剥がそうとするが、彼女は本気で何かを怖がっている様子で、早口にまくし立てる。

「逃げよう風リン今すぐ北の果てまで根室まで!」

「ちょ、なんなのよ、根室は東の果てで北は稚内だけど!?」

「そうじゃなくて! あれは無理無理無理無理超無理無理!」

「だからなにが!」

 美優羽は風鈴から離れた。そしてもののけを指差し、

「あれは特高レベル!」

 彼女の宣言と、もののけが通路の壁を崩しながら抜け出てくるのは同時だった。


 ドカバキドカバキといった物騒な音が遠ざかっていく。もののけと激闘を繰り広げる留美音が、気を遣って戦場を変えたのだろう。

 さて。学校の廊下ほどの広さの通路に横たわらせた光宙みつひろを花丸は改めて診察に取り掛かった。

 光宙みつひろは苦しそうに呻いている。意識はないか、朦朧とした状態のようだ。

 上着を脱がし、花丸は呻く。主に打ち身のようだが、素人目でもわかるほどに酷い。これは骨も折れてるだろう。

 両の拳を前へ出し、念を込める。神通力”玉露”。平時は飲み物へ砂糖代わりに混ぜる程度にしか使いみちのない術だが、こういう時は我ながら頼りになる。

 手のひらに熱がこもり、粘性の高い液体が分泌される。舐めれば甘いだろう。それを軟膏の要領で塗りたくる。

「くっ、まずいな……」

 光宙みつひろの痛そうなうめき声は収まらない。大して効いていない感じだ。呼吸は小さく、荒い。地上へ連れて行く余裕はない。

 どうする? これ以上に効果の高い術となると……。花丸はこのとき二人の少女の顔を思い起こした。一人は風鈴、もう一人は留美音だ。

 風鈴がこいつに好意を持っているのは、見ていればわかる。本人は気づいていないかもしれないが、だからこそ花丸は彼女をたきつけて恋文を書かせたりもした。

 留美音がこいつを好いているのは意外だったが、あの逆上っぷりを見れば、本気だと嫌でもわかる。

 身体の奥から熱が込み上がってくる。顔が火照ってるのがわかる。花丸は神通力の展開を始めていた。

 風鈴と留美音には悪いが、今光宙みつひろを救えるのはこの術しかない。

 花丸は制服を脱ぎ捨てた。暗闇でよかった。花丸はいわゆる幼児体型で、スタイルにあまり自信がない。いやスタイルとかじゃなくて!

 深呼吸を三回。花丸は全裸。光宙みつひろも下着一枚を残して全部脱がせた。身体からこみ上げてくる熱と動悸は、神通力によるものだけではないだろう。光があれば、彼女のしなやかな肢体から滲み出す蜜に、艶やかで美しいシルエットを浮かび上がらせていたはずだ

「花顔柳腰──どっかん屋、綾瀬川花丸。本気で行く」

 静かに、花丸は祈るように膝をつく。

 花丸とてこいつに好意がないわけではない。でなければこんな術を使えるはずがない。だが、好意とかそれ以前に、友人であるこの少年を救いたい一心だった。

「大丈夫だ、光宙みつひろ……、お前は私が必ず助ける!」

 神通力”甘露”。全身から分泌する「蜜」で、対象を完治させる。

 暗闇の洞窟の中、花丸は瀕死の光宙みつひろに覆いかぶさった。


 神通力というのは程度の差だけで、誰もが持ちうるものであり、その効力はレベルとともにリニアに上がっていく。

 レベル50台にもなると、運動能力や五感機能にも顕著に違いが出てき、高レベルと呼ばれるようになる。

 この上に、特高レベルと呼ばれる段階がある。そのしきい値は70。

 今でこそゲームのように「レベル」で表現されるが、そもそもは神通力で扱うエネルギー量を対数表記したものである。デシベルとも呼ばれる。

 エネルギー量は、レベルが10上がると10倍、20上がれば100倍になる。

 つまり、今追いかけてきている特高レベルのもののけは、風鈴や美優羽の100倍強い換算になる。もちろん単純計算だし、エネルギー量がそのまま強さに反映されるわけではないが、二人に逃亡を即断させるには十分すぎるレベル差だった。

「逃げなきゃダメだ逃げなきゃダメだ逃げなきゃダメだ!」

「わーってるわよ、んなことは! 黙って走りなさい!」

 けど、まずいわね。風鈴は内心舌を打つ。

 通路まで逃げるが、もののけは追ってくる。巨体のためか四つん這いで、手足が壁にぶつかって攻撃しあぐねている。明らかに二人へ敵意を持っている。

 そして二人は大通りへ出た。ここへ出すのはまずい。真正面から戦って勝てる相手ではない。

 しかし校庭まで戻るにしても、追ってこられたら地上へ化け物を引きずり出すことになる。

「風リン、早く校庭へ! ──風リン?」

 またしても通路に引っかかっているもののけを前に、風鈴は足を止めた。

 狭い通路にいるうちに迎え撃つしかない!

 大通りに向けて、もののけの長い手が伸びてくる。風鈴は覚悟を決め、丹田に力を込めて神通力を展開する。

「鎌鼬!」

 術名通りのカマイタチ。真空の刃に手のひらを切り裂かれ、もののけは悲鳴を上げてその手を引っ込めた。

 八年前に見た術とは比べ物にもならない、幼稚な攻撃技だ。あの時、光宙みつひろはどんな思いであの術を放ったのか。そして今日、校庭に大穴を開けた時、どんな思いだったのか。

「大丈夫か、フウ姉──」

 あの時のあいつの顔を思い出し、風鈴は歯を食いしばってその思いを断ち切った。

「迎え撃つわよ」

「ちょ、風リン?」

「あたしは!」

 声を張り上げる風鈴に、美優羽は驚いて後ずさった。

「あたしは、どんなに恐ろしい力を目の当たりにしても、二度と怖気づかないって決めてんのよ! だから、あいつはここで食い止めるわよ!」

「うんわかった風リン大好き!」

 ゼロ秒で手のひら返して飛びついてくる美優羽。

「なんでそうなんの!?」

「風リン格好良すぎ濡れた! なあスケベしようや!」

「いいから離れなさい!」

 口をタコにしてファーストキスを奪いに来る百合娘を必死に引き剥がそうとした際、ふと天井に目が行った。

 幅が狭くて天井は高い。もののけは肩がつかえて身動きが取れずにいる。狙うならあそこしかない!

「美優羽、あの壁を殴って! 全力で!」

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