第3話(花鳥風月!3の2)

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 そして金曜日。

 光宙みつひろは窓の外を眺めている。いつもなら悪巧みでもしているのだろうと思う花丸だが、ここのところの動きから、どうも物憂いげに見えてしまう。

 ふと、ぶーん、ぶーんという音が聞こえた。教師の声のみの授業中だから、隣の席の花丸にははっきり聞こえた。上着の内ポケットから、光宙みつひろがスマホを取り出す。

「おい、授業中にスマホは……」

 と注意しかけた花丸が、突如のけぞった。光宙みつひろが血相を変えて立ち上がったからだ。イスがガタンと音を立て、教室中の注目を浴びる。

 光宙みつひろはクラスの注目など気にもせず、もう一度スマホを見、そして勢い良く教室から飛び出していった。

「ま、待て! 光宙みつひろ!」

 花丸は教師に一礼してから、続いて教室を出た。

光宙みつひろの様子が変だ! どっかん屋、出動!」

 3組の風鈴、5組の美優羽と留美音に緊急呼び出しをかけ、校庭へ向かったであろう光宙みつひろの追跡を開始した。

「何があったの?」

「よくわからんが、スマホにメールが届いたんだろう、それを見た途端に血相を変えて出ていった」

「問い詰めるしかないわね。とりあえず外へ!」

 授業中に廊下を走る4人に注目が集まるが、気にせず渡り廊下から階段、ロッカーでシューズに履き替えて校庭へ躍り出る。

 どっかん屋は校庭の奥の方、先週の落とし穴事件のあったあたりに光宙みつひろを発見した。


 校庭は校舎より低い位置にある。やや見上げる形で、光宙みつひろは小さく舌を打った。もう来やがったか。

 どっかん屋の後方から駆けつけてきた人影に、彼女たちは足を止めた。いきもの係が合流したようだ。

 彼女たちが近づいてくる前に、光宙みつひろは神通力を展開する。まずは地下の確認だ。”障子に目あり”の応用で、地下深くまで透視する。

 影響範囲に生き物がいないことを確認し、光宙みつひろは高くジャンプをした。低い校庭から飛び上がったにも関わらず屋上が見えるほどの跳躍だが、ここまでは高レベル精霊人なら驚くようなことではない。


 次の瞬間、閃光と爆音と振動が、彼女たちの視力と聴力と平衡感覚を奪った。


 この場に居合わせない者なら、爆弾か隕石でも落ちてきたかと思っただろう。咄嗟におっぱいにしがみついていた美優羽を払い除け、風鈴は変わり果てた校庭へ目を向けた。

 直径十メートルほどの、見事に真円の穴。しかし轟音の割に、土砂の巻き上げはほとんどない。

「なんだ今のは……? あやつにあんな攻撃技が? 風鈴、知っているのか?」

 花丸の質問に、風鈴は答えない。ただ、こわばった顔で光宙みつひろを睨みつけている。

 穴の底は、ここからは窺い知れない。その穴の淵に立ち、光宙みつひろは中の様子をじっと窺っている。

 ふと、彼はどっかん屋の方を見た。皮肉めいた笑みを浮かべると同時に、

「にゃあぁーーーーー!」

 無数のコロボックリが穴から飛び出してきた。

 十匹二十匹どころじゃない、まさに無数だ。爆音を受けて飛び出してきた生徒たちが、後ろでざわついている。

「どっかん屋! こいつらの面倒を頼む!」

 一方的に叫び、光宙みつひろは穴の中へ飛び込んだ。

「待ちなさい、光宙みつひろ!」

 百匹、いや二百匹か、まだコロボックリは湧いて出てきている。にゃーにゃー言いながらどっかん屋を取り囲み、追いかけるのもままならない。生徒たちも混乱状態だ。

「コロボックリのみなさーん! ちょおっと移動をお願いするっすー!」

 突如、木質の蔓が、大量に校庭に広がった。

 いきもの係の、響あすなろだ。コロボックリたちを次々と捕らえ、校舎の方へ手際よく運ぶ。

「校庭は立入禁止ですー。生徒のみなさんも下がってくださいー」

 少し間延びした声が続く。小鹿山吹の神通力で、校庭へ戻ろうとしたコロボックリ達が階段を滑り登っていく[#「滑り登っていく」に傍点]。

「はいはいはいはい! 下がった下がった! 近づくと危ないぞ!」

 手のひらに浮かべた炎で威嚇するのは、都島ひばち。

「どっかん屋! ここは私達に任せて、みっくんを追って!」

 最後にやってきたのは、いきもの係リーダーの開平橋上江。手振りでメンバーへ指示を出しつつ、どっかん屋へ片目をつむってみせる。

 迷っている暇はない。風鈴は頷いた。

「よし。みんな、光宙みつひろを追うわよ!」


         *


 どっかん屋の四人が穴の中へ飛び降りていったのを確認し、まだまだ湧いてきては校庭外へ追い出されるコロボックリを尻目に、上江は今度は校舎へ向かって走り出した。

「じゃ、任せたわよ! 私はちょっとトイレ!」

「おおい!?」

 ひばちの文句を背で聞き流し、上江は一人、手近のトイレへ飛び込む。手洗いの蛇口を回して勢い良く水を出し、そこへ手を突っ込む。しかしそれは手を洗うためではなかった。

 神通力”せせらぎ”。水道は海につながっている。交信開始時には水を介する必要がある。

 海の遥か向こうにいる”彼女”へ、上江は語りかけた。声にする必要はないのに不慣れなのかつい言葉に出てしまうが、構わず無人のトイレで上江は早口に叫ぶ。

「みっくんが動き出したわ。お願い、力を貸して!」


 レベル50台で重力操作ができる私って、結構有能なんじゃないかしら? 山吹はそう自負していたが、今回は使い所を間違えたかも、と思った。

 使った神通力は”ぬりかべ”。指定した空間内にかかる地球重力を、最大90度曲げるというものだ。校庭と校舎側を隔てる坂に沿ってこの神通力を展開した。

 重力を校舎側へ向けることにより、坂へ足を踏み入れれば突如絶壁へ変わったように感じることだろう。校庭へ踏み込むことは叶わなくなる。実際それは思惑通りなのだが……。

 コロボックリがキャッキャ言いながら階段へダッシュ、弾き返されては喜んでいる。

 生徒たちは、なにこれおもしれえとか言いながら、結界へ石やボールを投げては奇妙な軌跡を描いて跳ね返っていくさまを面白がっている。

「遊んでる場合じゃないんですよぅ、結界から離れてくださーい! 石投げるのもやめてぇ、困りますー!」

「そーら、高い高ーい!」

「にゃー!」

「あすなろまで何やってるんですかー!」

 蔓で次々とコロボックリを結界へ投げ飛ばすあすなろだが、一緒になって遊んでいるようにしか見えなかった。

 そんな中、学校沿いの道路へ目を向けたひばちが驚いて声を上げた。

「おいおい、大事になってきたぞ」

 サイレンを鳴らしながらやってきたのはパトカーではない。赤色灯をつけているがもっと大型の、バスにも似たごつい車両だ。

 大きなタイヤで舗装道路には似合わない、緑色の大型車両も混じっている。

 機動隊と自衛隊がやってきたのだ。

 ただならぬ事態に生徒たちもふざけるのをやめ、不安げにざわつき始めた。

「こんな事態だってのに、リーダーも篠原先生も一体どこ行っちまったんだ?」

 と、ひばちがぼやいたその校庭の地下深くに、篠原未来教諭はいた。


 神通力というのは程度の差だけで、誰もが持ちうるものである。

 レベル10未満は、発動すること自体、また発動してもそれが観測されることはまずない。

 レベル10台は、無意識のうちに発動したものが心霊現象として観測されることがある。

 レベル20台は制御の難しい段階で、不安定期とも呼ばれている。

 レベル30台でようやく自分の意志で制御できるようになる。本来人と精霊人との境目が、おおむねこの段階だ。

 神通力の効力はレベルとともにリニアに上がっていくが、レベル50台にもなると、運動能力や五感機能にも顕著に違いが出てくる。

 例えば未来教諭が持っているこの本。「土門セレクション」というタイトルで、土門さんが主役のちょっとエッチなラブコメディ。オビには悶度セレクション最高金賞受賞とかよくわからないアオリが掲げられているが、本来人なら完全な暗闇であるこの洞窟内でも、しっかりと内容を読むことができる。

 パラパラとめくりながら、未来の思考が少しばかり現実逃避をし始めていた時、紫藤清夢精霊幕僚長が大声を張り上げるのをようやくやめ、通信機を切った。ようやく声をかけることができる。

「あ、終わりましたか。負傷した隊員を地上へ送り届けてきました」

「ああ、騒がしくてすまなかったな」

「いえ、随分な剣幕でしたけど、やはり相手は大臣で?」

「まあな。あんまり言い訳がましいから怒鳴りつけてやった。約束を破って『扉』を調査しようとした挙句にもののけを逃した上、隊員に甚大な被害を与えやがったんだ。それでいて責任を俺に押し付けようとしやがる。あの野郎、ぜってー大臣の椅子から引きずり下ろしてやる!」

 またメラメラと怒りが湧いてきたのか、トーンが上がっていく。さすがに引き気味の未来に、清夢は咳払いをひとつ。

「いや、ボヤキが過ぎたな。コロボックリは全員無事か?」

「はい、光宙みつひろ君が校庭に穴を開けて逃してくれました。今は教師といきもの係が対応にあたってくれています。……それで、逃げたもののけは?」

 清夢は懐からスマホを取り出した。議員会館とを結ぶ専用通信機とは別の、彼の私物だ。

 清夢は神通力を展開する。彼も光の精霊人で、展開した術はそのまんま”念写”。先程これと同様の写真を、短文を添えて光宙みつひろにも送った。二枚の写真を、未来にも見せる。

「一体はレベル50台だから、どっかん屋でもなんとかなる。だが……もう一体がやばいな」

 一歩を踏み出しかけた未来の肩を、清夢が掴む。

「よせ。条約上、超高レベルが戦闘に力を行使するのは、戦略兵器の使用に該当する。どっかん屋にやらせるしかないんだ」

 背中越しに、葛藤が伝わってくる。未来が生徒で清夢が教師だった頃とは違う。今は超高レベル精霊人と精霊幕僚長だ。気に入らなければぶん殴って済ます事ができたあの頃とは、立場も力量も何もかもが違う。

 やり場のない感情が、放電となって彼女から放たれる。臨戦霊装を纏うときの前兆と似ているが、これは葛藤から来るものだろう。諦めたように身体から力が抜け、未来は真っ暗な天を仰いだ。

「歯がゆいですね……。守るための力なのに……」

 清夢は未来の肩から手を離し、たたいた。優しく、そして力強く。

「大丈夫だ、そのために作ったんだろう? 二つのチームを」

 教師という立場になっても、力量で逆転されても、彼女は清夢の教え子だ。迷っている時、挫けそうな時、自分が支えにならなければいけない。

 不安は抜けなくても、未来には清夢の気遣いが心にしみた。

「……はい。今はあの子達を信じます」


         *


『2体逃げた。コロボックリを狙っている。校庭の下まで誘導するから逃がせ』

 精霊幕僚長から送られてきたこのメールには、短文に添えて二枚の写真が貼り付けられていた。神通力による一種のコラージュであることはすぐに見抜いたが、それが真実であることも光宙みつひろには分かった。

 見上げると、遠くに空が見える。校庭に開けた大穴の底に、光宙みつひろは降り立っていた。

 すぐに行動を開始しないと、どっかん屋が追いかけてくる。いつまでも迷っている自分が招いたミスだ。自分で何とかするしかない。

 しかし、どうするか。王になるとか最奥部の施設を継ぐとかは後回しだ。二体のもののけをなんとかしないと。

 光の精霊人である光宙みつひろは、照らすまでもなく昼間と同様に周囲を見渡せる。ここへさらに神通力を展開し、壁をも通り越して遥か遠くまで見渡す。

 ……いた。かなりの奥に、特高レベルのもののけを発見した。写真で見たとおりの不気味な外見だ。

 特高レベルだが、光宙みつひろなら十分対処できる。政府の目の届かないこの洞窟内で片付けないと。

 道順を探る。もののけに動きはまだない。だがすぐにコロボックリのいる地上を目指し始めるのは間違いない。

 一度後ろを気にし、どっかん屋がまだ来ていないことに安心してから、光宙みつひろは奥へ向かって走り出した。


「────?」

 聴力はレベル相応だが、光宙みつひろは微かな鳴き声に気づいて足を止めた。

「にー! にー!」

 今度ははっきり聞こえた。コロボックリがいる。逃げ遅れたのがまだいたのか。

 瓦礫に挟まれている。泣き疲れたのか、声はか細い。だが光宙みつひろに気づいたようで、こちらを見て必死に声を上げている。

「待ってろ、今助け──」

 光宙みつひろは見逃していた。特高レベルの方に気を取られ、どっかん屋の追跡に気を取られ、道順を確認したあとは探索を怠っていた。

 コロボックリに向かって唸り声を上げる、もう一体のもののけがいた。前足の大きなネズミ、いやモグラだ。巨大なモグラ型のもののけが、コロボックリを威嚇している。

 光宙みつひろは咄嗟に駆けていた。あいつを助けなきゃ。その一心で。

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