第2話(花鳥風月!2の5)

         5


 アーケード二階の居酒屋は全国に展開するチェーン店で、普通の食事も楽しめる。

 その個室をひとつ借りきり、篠原未来は連れの男性と向かい合わせに座った。掘りごたつ式のテーブルだが、ひとまずは正座である。

 運ばれてくるのは、刺身の盛り合わせと焼き鳥、それとビール。休日とはいえ昼間なので、ビールはノンアルコールのものだ。

 差し向かいの男性のコップにビールを注ぎ、形式的な乾杯。ちなみに未来は下戸なのでウーロン茶である。

 男性がビールを一杯飲み干して一息ついたところで、未来は彼へ笑顔を向けた。

「まずは、就任おめでとうございます。紫藤清夢しどうきよむ精霊幕僚長」

 四十絡みの男性、清夢は歳相応に皺の刻まれた目尻を苦笑の形にし、ぱたぱたと手を降った。

「よせやい、こんなのお飾りだ」

 今度は自分でグラスにビールを注ぎながら、清夢は苦笑する。

「実権握ってるのは防衛大臣だ。じゃなきゃ、ありきたりな高校教師を特高レベルってだけでいきなり抜擢なんかするもんかい」

 未来は刺身を一切わさび醤油につけ、丁寧に口に運ぶ。とろけるような舌触りを味わいながらも、口調は至って真面目だ。

「いえ、私たち精霊人はどういうわけかまつりごとに無関心な傾向にあります。人間社会で暮らしたがっているにもかかわらず、ね。国家と交渉できるだけの神通力を持ちながら、心は俗人なんです。政府との橋渡しを引き受けてくれた紫藤さんには感謝の言葉もありません」

 清夢は焼き鳥を一串横からかぶりついて一気に引き抜く。豪快に食いながら、未来の感謝の言葉を一通り聞き、ひとつ息を吐いた。

「同期の連中と離ればなれになってしまったのは、すまなかったな」

 国家規模の神通力を持つ超高レベル精霊人は交渉の末、国際条約を結び、勢力均衡のために世界各国へ分散している。未来は日本に残ったが、当時の同級生たちとは散り散りになった。彼らもまた、個人でありながら国家と対等の立場にある。条約上、基本的に秘密裏に会うことはできない。

 面倒くさい縛りをもうけやがって、とぼやく清夢に、未来は微笑を携えてウーロン茶を一口。

「その気になれば、彼らとはいつでも会えますから」

「条約など、あってないようなものか」

「条約は有効ですよ。私たちは今の生活を手放したくありませんから」

 個室でありながら、どこか遠くを見つめるように、

「……それに、あの子たちもね」

「コロボックリの件か」

 本題を切りだされ、未来は頷いた。

「はい。政府側から回答はありましたか?」

 清夢の顔色は、極めて渋いものだった。

「あの施設の調査を望んでいる。……言ってみれば、オーパーツだからな」

 コロボックリの洞窟を最初に発見したのは未来である。しかしすぐに政府に感づかれ、清夢を通して交渉が続いていた。

 洞窟が自然由来のものでコロボックリも自然に住み着いたのなら良かったのだが、話はそう簡単には済まなかった。

 洞窟の最深部にはかなり厳重に封じられた部屋があった。

 おそらくは、すでに絶滅したとされる古代の精霊人による施設。

「コロボックリたちを統制できれば良いが、今のままでは害獣扱いで駆除に乗り出しかねない。もちろんそんなのは、施設を手に入れるための方便だがな」

 苦々しく、清夢はうめく。現在は政府と未来との牽制のしあいで、どちらもうかつにあの施設に手が出せない状況だ。

 そのために政府が難癖をつけてきたのが、たいして被害も出ていないコロボックリの件だ。

「王を立てるというのはどうなった?」

「彼からの返事はまだありません。相当迷っているようです。私としても、まだ学生の彼に頼むのは本意ではなかったのですが」

「条件に合うのが彼だけではな」

 コロボックリは、あの洞窟の主に仕えていたとみられる。主人を改めて立てれば、コロボックリたちの気ままな悪戯は収まるというのが未来の見立てだ。

 光宙みつひろが洞窟に迷い込んできたのは計算外だったが、施設の解錠に必要な神通力を持つのは彼だけである。

 ……いや、もう一人いるにはいるのだが。

「紫藤さんが受けてくれれば、子供を巻き込まずにすむのですが」

 わらにもすがるような未来のぼやきは、すぐさま却下された。

「政府介入を防ぐのが目的なのに、幕僚長おれがなったら本末転倒だろうが」

「ええ……すみません」

 ただでさえ、政府との仲介役を任せてしまっているのだ。これ以上、彼には負担をかけられない。本来なら自分一人で何とかしなければいけない案件である。未来は気を強く持つよう務めることにした。

「とりあえず、あと一週間が限度だろう。それまでに結論を出してくれ」

「……はい」

 話に一区切りがついたか、清夢は急におどけてみせた。

「どうだ? 暇なら少しぶらつかないか?」

 彼なりの気遣いだと、未来にはわかっている。誘いに未来は微笑で応え、

「ええ、少しなら。あまり遅くなると妹が料理を始めてしまうので」

 途端、清夢はものすっごく微妙な顔色になった。

「……あー、姉妹揃ってなのか……」

 なんか色々気の毒そうな表情に、心外とばかりに思わず未来の声が裏返る。

「わ、私は克服しましたよ!? 今では普通に料理が出来ます」

「俺が仕込んだんだしな」

「いえ、まあ、その」

 妙におっさんじみた笑みに、しどろもどろの未来。

 レベルだけは自分のほうが上になってしまったけど、やはりこの人にはかなわないな。未来は諦め混じりに頭を振る。

「それじゃあ、本屋によっていきたいですね。新刊が出てるので」

「ああ、変なタイトルの小説を集める趣味、まだ続いてたのか」

 雑談混じりに、二人は食事を再開した。


         *


 にーにー。にーにー。にーにー。にーにー。

 にーにー。にーにー。にーにー。にーにー。

「だああ、うっせえぞお前ら!」

 にーにーがゲシュタルト崩壊を起こしそうなほどに騒がしいコロボックリたちに、光宙みつひろは怒鳴りながら光の玉を数発放った。

 ひとつは地面に当たって弾け、コロボックリたちは嬉しそうににーにー鳴きながら逃げ惑う。

 ひとつは右に左に跳ねまわり、コロボックリたちは猫のように光の玉を追いかけ回す。

 すべての光弾は、なんの破壊力もない。口は悪いが、光宙みつひろなりに彼らと遊んでやっているのだ。

 本来人なら真っ暗だが、彼らには薄暗いという程度の洞窟で、光宙みつひろはコロボックリたちを相手にしていた。

 一匹が光宙みつひろの足元からよじ登り、肩車の体勢になる。頭をペシペシ叩かれる。

 気分は保父さんだ。

 神通力”字幕表示”の効果もあり、光宙みつひろには彼らの言葉が多少は分かる。それは子供のような口調だ。

「おうさま、あそぼー」「おうさま、てつだうー」「おうさまー、おうさまー」

 未来から聞いた話だ。彼らには仕えるべき王がいたという。この洞窟の主であり、古代の精霊人の、おそらくは最後の生き残り。

 主がなぜこの洞窟をねぐらとし、コロボックリたちを配下にし、ここで何をしていたのかはわからない。

 わかるはずもない、王はもういないのだ。

 主を失ったコロボックリたちは、この洞窟で思い思いに暮らしている。時々地上に出てくるのは王様を探してのことなのだろうか。

 忠犬ハチ公を思い出し、光宙みつひろはちょっと泣きそうになった。

 けど……、光宙みつひろはコロボックリの頭を撫でながらつぶやく。

「悪いな、俺は王様じゃないんだ」

 洞窟の最深部には、厳重に封じられた部屋がある。おそらくそこに、王やコロボックリに関する資料もあるだろう。

 だが、その部屋を出入りできるのは王だけだ。

 だから、未来は言った。「この子たちの王様になってほしい」と。

 王になることは、古代の精霊人の遺産を継ぐことを意味する。

 本来人、現代の人類にはまだ早い技術も眠っているかもしれないという。それを政府が手にすれば、世界のパワーバランスが崩れかねない。

 未来さんも、たいがい無茶を言うぜ。ほとんど国家紛争じゃねえか。

「ごめんな、俺には難しすぎる話だわ」

 手頃な出っ張り具合の岩に座り、光宙みつひろはため息をつく。

 それに王になるといっても、もうひとつやっかいな条件がある。この時、光宙みつひろの脳裏には、なぜかどっかん屋の連中の顔が浮かんだ。

「……? お前ら、隠れろ」

 ふと気配を感じ、光宙みつひろは小声で、しかし鋭くコロボックリたちを制す。同時に神通力を展開し、自らとコロボックリたちを透明化する。もともと暗闇なので静かにするだけでも大丈夫かもしれないが、嫌な予感がした。

 そしてそれは、的中した。

 小銃を手にした複数の人物が、洞窟内を徘徊している。彼らの周囲を明かりが照らしているので離れていてもわかる。

 服装は陸上自衛隊のものと似ているが、わずかにデザインが違うようだ。

 光宙みつひろは、彼らが誰かすぐに理解した。これも未来から聞かされていたことだ。

 精霊自衛隊。最近組織された、陸海空に続く第四の自衛隊だ。

 人数は、三十人ほどいるだろうか。その先頭には、恰幅は良いが鍛えている様子は全く感じられない風貌の、初老の男。

 これも未来に聞かされていたので知っている。防衛大臣だ。自ら一個小隊を率いて、この洞窟へ偵察に来たか。横には隊長らしき男が、大臣を守るように控えている。

 隊員の一人が、神通力を展開した。彼らを覆う明かりが、一段階明るくなる。大臣が、おおっと感嘆した。

 見たところ、隊員たちはレベル50前後だろうか。まだ新しい組織だからだろう、レベルだけならどっかん屋と大差なさそうだ。もちろん自衛隊員としての訓練は十分受けているはずで、神通力を除けば敵うはずもないだろうが。

 光宙みつひろの神通力が功を奏し、コロボックリたちは見つかっていない。とりあえず下調べのつもりなのか、最深部の施設へ向かう様子もない。

 だが未来の話では、まだどちらもこの洞窟に深入りしてはいけない約束のはずだ。

(あまり、時間は残ってなさそうか)

 だが、光宙みつひろにはまだ迷いがあった。


         *


「あすなろよ」

「なんすか、姉御?」

「それだ」

「ほえ?」

「前から聞きたかったのだ。なぜお前は私を姉御と呼ぶ?」

「そりゃあ、決まってるじゃないっすか。小生は木の精霊人で、姉御は花の精霊人だからっす」

「そういえばどちらも植物ですよねー」

「なるほど」

「ところで土の精霊人の私は、なんて呼びますか?」

「山吹は山吹っす」

「ですよねー」

 この場に合うのか合わないのか、花丸・あすなろ・山吹とで改まった会話がなされている。

 花丸的には、この二人が自分よりもめりはりのある身体をしているのが面白くなかったりするが、それはさておき。

 大社駅からひと駅隣に、県内でも有数の大型レジャー施設がある。一階はボーリング場、二階はバッティングセンター、地下にはゲームセンター・銭湯・カラオケなどがある。

「で、なんで温泉?」

 風鈴は上江へ三白眼を投げかけた。そう言いながら肩まで浸かってぬるめの湯を楽しんではいるが。ぬるい!とか言って火の神通力を展開しようとするひばちへはとりあえずお湯鉄砲で牽制しておく。

 銭湯は、幼少の頃に姉に連れられて入った程度なのでちょっと嬉しかったりもするが、週末とはいえ普段はおばさん・おばあさんの社交場となってる銭湯へ女子高生が8人どかどかと入ってきたときは、注目を浴びてしまった。

「親睦を深めるには、やっぱり裸の付き合いじゃない?」

 にこにこと語る上江。愛嬌のある表情で、双子とはいえ太郎右衛門とはやはりちょっと違うなと風鈴は思った。太郎右衛門の笑顔はもっとおっとりした感じだ。

「裸の付き合いねえ……」

 とりあえず上江が確かに女の子であるということは証明されたが。

「風リーーーン!」

 ぎくうっと、身をすくめる風鈴。沐浴を命じておいたはずの美優羽が、身は清まりましたとばかりに身体中泡だらけでタオルをぶんぶん振り回し、煩悩たっぷりに迫ってきた。

「裸のおつきあい、しよ・しよ・しよーーーっ!」

「こうなるってわかりきってたのに!」

 とりあえず花丸の後ろへ隠れる風鈴。

「わかりきってて入浴する風鈴も風鈴だがな」

 呆れ声の花丸。栗色でふわふわの髪はアップにしてある。留美音は我関せずとばかりにタオルをてるてる坊主にしている。

「逃げることないわよ」

 自信たっぷりに、上江は言った。ちなみに美優羽は隣の浴槽のおばちゃんに叱られて、身体の泡を落とすべく洗い場へ戻っていった。

「銭湯へ来たのは、みんなに私の神通力を知ってもらいたいってこともあってね」

「水の神通力だっけ?」

「そ。海かプールのほうが良いんだけど、時期じゃないしね」

 泡を流し終わった美優羽が、今度こそと欲情にまみれた笑みを見せた。浴場だけに。とりあえず前くらいは隠せと言いたい。

『てなわけで!』

 偶然にも、上江と美優羽の台詞が重なった。

「ハクチョウ!」

 鳥の神通力で舞い上がり、風鈴に襲いかかろうとする美優羽。

「水龍!」

 同時に、上江は浴槽の水面を平手で叩いた。

 ここから数秒間、湯船のお湯がなくなった。一瞬津波のように盛り上がった湯が龍の姿へ変化し、美優羽に襲いかかる。

「ぐべえっ」

 情けない声を上げ、美優羽は銭湯の壁画の定番、富士山にたたきつけられた。

 お湯の龍は、崩れて流れていってしまったりはせず、上江の意思どおりにしばらく空中を舞い、湯船へ戻っていった。神通力の解除に合わせ、元の湯船が取り戻される。

 おおー、とどっかん屋・いきもの係のみならず、一緒に居合わせたおばちゃんたちからも拍手喝采が上がった。

「ついこないだまで不安定期だったとは思えないくらい、完璧な制御だな」

 花丸の賞賛に上江は笑みを浮かべ、

「まあね、ある人のおかげでね」

「訓練施設の先生か?」

「ん、そんなとこ」

 さて、富士山にたたきつけられ、しばらく湯船に「出」の形で沈んでいた美優羽だが。

 意外に前向きに立ち直った。

(手を出せないのが蛇の生殺しだけど、すっぽんぽんの風リンを視姦し放題。女子で良かった!)

「ありがとー、富士山ふじさーん!」

 絵の富士山に向かって叫ぶ美優羽。

「……あの娘、今何を考えているのか手に取るようにわかるんだけど」

「奇遇だな、私もだ」

 なんかいろいろ諦めた気分のどっかん屋リーダーとサブリーダーであった。


 入浴の終わった一同は、ゲームセンターに立ち寄った。風鈴とひばちは格闘ゲーム、他メンバーはクレーンゲームやメダルゲームに興じている。

 そんな中、一番奥の壁によりかかり、上江は紙コップに注がれたジュースをちびちびとすすりながら、一同の様子を眺めていた。

 だが、その目は少しばかり遠くを向いているようだった。

(どっかん屋といきもの係の合流は、こんなもんで良かったのかしら?)

 誰にでもない、心の中での問いかけだった。しかし、それに答えるものがいた。

(ああ、互いに仲間意識を高めておくことは、重要だからね)

 少々外国訛りのある女性の声が脳内に響く。上江は彼女と直接会ったことはない。だが、彼女を信用していた。

(直には手伝ってくれないの?)

(すまないが、条約を破りたくないからね)

 にわかには信じがたい話だったが、半信半疑に彼女の言う場所へ行ったところ、確かにその洞窟はあった。どっかん屋が議題にあげていたコロボックリもたくさんいた。

 超高レベル精霊人。国家と対等に交渉ができるほどに強大な神通力を持った精霊人がいることを、上江は彼女から知らされた。それも、すぐ身近なところにその人はいた。

(先生に声くらいかければ良かったのに。同期なんでしょう?)

(はは、彼女の元気そうな姿が見れただけで十分だよ)

 そして、未来が抱える問題を知らされた。先生との面識はまだ少ないが、不安定期の自分を助けてくれた彼女の願いを、上江は聞いてあげたかった。

(……あの施設を有効にするには、王とともに王妃も立てる必要があるんでしょう? この後は、どうすれば良いの?)

 だが、遠い異国にいる彼女の声は、ため息混じりだった。

(君たちに出来ることは一区切りがついている。ここからは彼がどう出るか次第だ)

 彼女の願いもあり、未来には何も伝えていない。光宙みつひろにカマをかけてみたが、とぼけられた。

 半端なレベルの自分たちに、果たして何が出来るのか。何をすればいいのか。確かに今のところは手詰まりであった。

 ゲームセンターに焦点を戻し、上江は笑う。

(気楽なものね)

(昔を思い出すよ。ボクたちも、あんな感じだった)

 一方、風鈴とひばちは格闘ゲームからリアルファイトに転じていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る