世界を渡り歩く者
美しい満月の夜――――とある男の元へ、一人の悪魔がやってきた。
悪魔は、
男は、醜悪な存在に
「何を望んて来たのか知る
俺には悪魔にやれるものなど、何もないのに……どうして俺のところに来た?
まさか、俺の魂を地獄に連れて行くのか!?」
「フフン、そんなに怖がるなよ。
別に魂や心臓などの生命に関わるモノを取ろうなんて、はなから思っちゃいない。
ヲレは、ふとした思いつきで
「ふとした思いつき?
……そ、それで、悪魔が俺に、一体何の用なんだ!?」
「ヲレはなァ……チャンスをあげるために来たんだよ」
「チャンスだと?」
訝し気な男に対して、悪魔は余裕の笑みを浮かべて話し始めた。
「親しくしていた女が死んで抜け殻になった、そんなお前へのチャンスだよ!
ヲレと契約をすれば力を与え、別の世界に行かせてやる。
いいか? ヲレと契約することは、お前に対してメリットしかないはずだ。
契約後、ヲレは
人間の寿命は短いから、いつかは死ぬが……あと三、四十年も生きれば充分だろ?
お前の絶望は、消えるんだ。女と再び、会えるんだからなァ」
いくら警戒したとしても、相手は人心掌握術に長けた悪魔。
今まで関わってきた人間が誰も拒否しなかったことを自信に、悪魔は
充分に心がこちら側に傾いた事を察し、悪魔はトドメの言葉を
「ちなみに移転した世界が気に入らないのなら、再び世界を変えてもいい。
ただし! 世界を変えるのは三回までだ。それ以上は絶対にやらないからな!
どうだ? なかなかの好条件だろう? ここまでしてくれる悪魔はいないだろ?
……おい。契約するのか、しないのか? いい加減に答えろ」
「あ、ああ! 契約をする。彼女に会えるのなら、どんな事でもするし我慢する」
力強く頷いた男を見た悪魔は、右手の長い爪を一回鳴らした。
※※※※※
気づけば、夜が明けていた。
我に返った男は周囲を見渡した。悪魔の姿はなかった。
男は、質の悪い悪夢を見たのだと思った。
すると外から明るい笑い声が聞こえた。男は反射的に立ち上がっていた。
窓から庭を見下ろすと、死んだはずの女がこちらを見上げて笑っていた。
器用に編まれたブラウン色の長髪、宝石のように透き通った
もう二度と会えないと思っていた女が当たり前に存在していることに、男は涙を流して喜んだ。男は喜びに跳ねる心のまま、女に長年の想いを伝えた。
しかし……女は誰が見てもわかるほど、とても困惑していた。
まさかの反応に男は激しく動揺した。
ふと気づけば男の背後には、悪魔が当たり前のように存在していた。
「こんなのおかしい、おかしい……」
頭を振り続ける男に、悪魔は深紅の瞳を細くした。
「どうした? 女は生きていただろ?」
男は悪魔に詰め寄り、胸倉を掴み上げた。
「こんな世界、認めない! 絶対に認めない!」
湧き上がる激情に任せて男は怒鳴った。
悪魔はせせら笑い、頷いた。
「ああ、気に入らなかったんだなァ。
見ていたぜ、女に告白して玉砕したな。当たり前だ。
この世界で女は、お前の親友と婚約しているんだ。何を驚いているんだ。
ここは、お前がさっきまでいた世界じゃないのは、女が生きている時点でわかっていただろう? これくらいの誤差ぐらい大目に見れないのかね?
……まあいいや。あと二回は世界を変えられる。さあ、行こうか」
男の手を抑えつつ悪魔は、右手の長い爪を二回鳴らした。
※※※※※
次の世界では、男と女は既に婚約していた。
あまりの急展開に男は戸惑いつつも、願っても無い事だったので喜んだ。
明日は結婚式を挙げるとなった夜。
切り込まれたような細い三日月が闇夜の空に浮かんでいた。
男は親友の男と酒を酌み交わしていた。元々、男は酒に強くはない。
親友のペースに合わせていたら、あっという間に出来上がってしまった。
酒が入って上機嫌になった男を尻目に、親友は語り出す。
明日で男と女が結婚してしまうことが今でも信じられない。
きっと婚礼の服を身に
しかし、その女は男の妻となるのだ。
夫婦どちらとも仲が良い自分は、これから先、二人の結婚生活を町に住む誰よりも近くで見続けなければならない。それが嫌で嫌でたまらない。
ずっとずっと昔から女の事が好きだった。近くで見れるだけで幸せだった。
しかし、明日からは自分よりも近い場所に男が居座る。それを身近で見続ける?
そんなこと出来るわけがない! したくもない!
どうすればしなくてすむか。すぐに思いついた。
男と女が結婚しなければいいのだ。
男さえ、いなくなれば当然、結婚は出来ない。
しかも、この町で一番女に近い男は自分になるのだ!
血走った眼を男に向ける親友。その手には、いつの間にか短剣が握られていた。
男は逃げようとしたが、酒のせいで足に力が入らない。
殺意に支配された親友は、男の腹に短剣を何度も何度も突き立てた。
鋭利な刃が、
虫の息になった男の目の前から親友は逃げ去り、代わりに悪魔が現れた。
「まさか、こんな事になるなんてなァ」
男は自分を刺した元親友を呪い、このとんでもない状況を楽しんでいるだろう悪魔にも憎しみの目を向けた。
「そんな怖い顔するなよ。わかってるって!
ただ世界の移動は、これで最後だ。そう約束していたよな?
次の世界でどうなっても、ヲレは力は貸さねえからな!」
悪魔は男の目の前で伸びた美しい黒色の爪を三回鳴らした。
どうやら悪魔の爪には、世界を飛び越える力があるようだ。
※※※※※
三つ目の世界。男がまず向かったのは、自宅の裏にある倉庫だった。
そこから切れ味の良い斧を持ち出した。
そしてわき目もふらずに親友の家へと向かった。
好きな女を独占しようという思いは同じ。ならば、取る手段もまた同じ。
家に押し入った男は、状況が理解できず唖然としている親友の脳天に、
邪魔者は排除した。あとは自分の想いを女に伝えて、結婚するのみ。
しかし、男の背後で甲高い悲鳴が聞こえた。
見ると女がいた。タイミング悪く幼馴染の家に遊びに来たのだ。
男を見る目が、悲しみと怒り、そして憎悪に
そんな彼女の
……気づけば、足元には二つの死体。男は血だまりの中に膝から崩れ落ちた。
「どうしてこんなことに。どうして」
姿を現した悪魔は目の前の惨状に苦笑した。
「あ~あ、もう移動は出来ないのに何をやってんだか。
ヲレの所為じゃねえぞ、ぜ~んぶ、てめえがやったんだからなァ!」
心が
目の前で揺れる、長い五本の爪を見た。次の瞬間、男は悪魔の細い手首を掴んで右手をテーブルに押し付け、力任せに斧を振るった。
鮮血が飛び、テーブルの上に転がる五本の指。
痛みに絶叫する悪魔の恐ろしい声を聞きながら、男は悪魔の爪を四回鳴らした。
※※※※※
禁断の四つ目の世界、男は何故か町外れに飛ばされていた。
幼い頃、女と親友の三人でよく遊んだ山の奥。
そこに、薬草摘みに来た女が小さい
女は男の姿を見ると、その美しい顔から穏やかな笑みがなくなった。
何故なら男は右手には血塗れの斧を持ち、血塗れの服を着ていたからだ。
異常な姿であることを忘れ、男は女に詰め寄った。
「今度は、大丈夫だよな? 今度の君は、大丈夫だよな!?
アイツと婚約なんかしてないよな、結婚するのは俺だもんな?
なあ、どうしてそんな顔するんだよ。何を怖がっているんだ?」
「やめて……近づかないで」
後ずさった女の背後は、崖と呼べるほど急な傾斜があった。
「あっ、危ない! 後ろは崖だ!」
「嫌! 来ないでっ……ああっ、きゃあァああああああああああああ……!」
助けようと手を伸ばした男の目の前で、女は崖から落ちて首の骨を折り、死んだ。
女の死体を眼下に、男は切り落とした悪魔の指を固く握りしめて、低く笑った。
「あ……あはははは……また、駄目だった。
どうして死ぬんだ、どうして君は俺の前から消えてしまうんだ畜生!
――――この世界が悪いんだ。世界は無限にあるんだ、もっと良い世界に行こう。
今度こそ……今度こそ、俺は君を助ける。君と結婚するのは俺だ。
だから今度こそ……今度こそ……」
爪が数回鳴らされ、男の姿は消えた。
※※※※※
男が立っていた場所に、悪魔が手をさすりつつ現れた。
女の死体を一瞥し、男に切り落とされたはずの指を目の前にかざした。
黒い爪が艶めいた。
「馬鹿な奴だな。
せっかくチャンスをあげてやったのに、自分で台無しにしやがって。
まあ、こうなるだろうなとは思ってたけどなァ!
それにしても、とことん馬鹿な奴だったな。
悪魔のヲレが幸せな世界に連れて行くと思いやがって!
でも、契約不履行じゃないぜ。ヲレはちゃあんと『数多ある世界から、女が生きている世界を選んで連れて行って』やったんだからな!
ヲレの爪を手に入れたアイツは、これから先、無限の世界を渡り歩くんだ。
もうすっかりおかしくなっているみたいだし、追いかけるだけ時間の無駄だよな。
さぁてと! それじゃ、次のアイツに切り替えるとするか」
いつまでも帰って来ない女を探して、男の親友がやってきた。
そして女の死体を見つけ、深い絶望に苛まれ、嘆いた。
「泣くな。あとでヲレが現れて、力を分けてやるから。どこまでも自己中心な人間を不幸と絶望のどん底に突き落とすのは、何度やっても楽しいもんだぜ。
退屈嫌いのヲレが飽きるまで、とことん楽しませてもらうからなァ」
深紅の瞳を妖しく輝かせ、悪魔はニタリと満面の笑みを浮かべた。
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