『モルスの初恋』

     12


 吹き抜けるような蒼穹だった。

 空を泳ぎ抜ける雲は点々とし、飛行機が一機、緩やかな速度で飛んでいる。涼風に枝葉はざわめき、長閑と言う他ない景色が広がっていた。

 市街から少し離れたところ、建物の群れが田園へと移り変わる境目にある高地。麓のバス停から上り坂を上った先にある霊園──未明ヶ丘西霊園。

 その入り口に今、条理桜花と小瀬静葉はいた。

「えっとね、確か、こっちだったと思う」

 花束を抱えた小瀬に促されるまま、桜花はクラスメイトの園田咲良が納骨された墓へと向かう。彼女の葬式は終わり、釘打たれた棺桶は火葬され、骨となった彼女は箸で拾い集められ、墓の中へと納められた。炉から出てきた園田咲良の、本来あるはずの頭蓋はなかった。首のない、頭蓋のない彼女の骨が、だからここには納められている。

 桜花達は綺麗に整備された石畳の道を歩いていく。

 見渡せるほどに広い霊園だが、今は彼らしかいなかった。

「あっ。あったあった。ここだよ、ここ。園田家。うん。咲良の……うん、お墓」

 園田家之墓、と彫られていた。

 墓石の側面には墓誌が併設され、園田咲良の名前と、日付が添えられている。それは、彼女が確かに死亡し、火葬され、納骨されたという証明だった。

「……咲良」

 小瀬が唇を噛み締め、じっと園田の名前を見つめる。

「お花、持ってきたから。咲良の好きそうな色、選んだんだ。条理くんもいっしょに、買ってくれた。咲良の為に」

 桜花は分かり兼ねていた。

 この場合、どんな言葉を発するべきか。死者に対して語る言葉は一方的だ。伝わることはない。それでも死者へと語り掛ける。それは死者のそれまでを称えるものであったり、死者に抱いた想いの吐露であったり、あるいは──蘇ってほしいという、叶いようのない不条理な願いであったり。死者は蘇らぬが道理だ。願う気持ちは分かれども、叶うとすれば気が狂っているとしかいえない。何のか? 世界である。世界が気狂えば、死者はそれこそ蘇ろう。狂った世界は、様々な異常を提供してくれる。

「花、置いておくね」

 花立てにはもう既に、菊の花があった。

 小瀬はそこにそっと、花束の中の花達を移す。そして線香に火をつけ、手で振って消し、線香立てへと。

「……」

 桜花達は無言で合掌し、目を瞑った。

 目を瞑っている間、桜花はただ、園田咲良の冥福を祈った。どうか安らかに、と。


     13


 園田咲良は殺された。

 何者かに殺されたのである。

 ならば殺した者がいる。姿を潜めている者がいる。


 それは────『私』だ。 


 墓石に向かい合掌し目を瞑る二人の姿を、死はじっと見つめていた。

 彼らの背後、石畳の上に佇み堂々と、見つめていた。


     14


 桜花が目を開けると、小瀬はもう既に目を開けていた。

「……とりあえずは、挨拶したよ。そっちがどんなところか分からないけど、安らかに、って。咲良がそんな私に対してどう思っているのか、もうわかんないんだけどね」

 後頭部に髪をまとめた、小瀬のいつものポニーテールがそよ風に微かに揺れていた。

「……」

 じぃっと、小瀬は園田の眠る墓石を見つめている。

 桜花は黙って、小瀬に倣って墓を見ていた。

「ねえ、条理くん」

「うん」

「咲良はね、条理くんのことが好きだったんだ。知ってた?」

「……いいや、知らなかった。初めて聞いた」

 突然の言葉に、桜花の思考が数拍、停止した。再び思考が再開されたあと、桜花は小瀬の方を見る。薄笑いを浮かべた彼女が、桜花の視線を真っ向から見つめ返す。

「ど、どうしたんだ、小瀬……小瀬?」

 桜花は戸惑った。心臓がバクバクと早鐘を打ち始める感触を覚えた。なぜだか分からないが、これはいけないという感覚が起こった。これより起こるは、出来事だ、と。

「想いを告げられないままサクラは死んじゃった。だから──私が代わりに告白したげるんだ」

 桜花は我が目を疑った。戸惑いは増し、怯えが加わった。小瀬の浮かべる笑みは、異様なまでにあの黒い影の笑顔に似ていたのだ。人を好きになった人間の浮かべる笑顔であることに変わりないのに、どうして彼は好意を寄せられることに恐怖したのだろうか。それはきっと、これから起こることを無意識に予測していたから。桜花を好きになった小瀬の前にはもう、同じ人間を好きになっている者がいた。そしてその子は、とてもとても、やきもち焼きだった。そういうことだ。ブレーキは壊れている。その行為に後悔は生じない。いいや、生じる後悔など、端から持ち合わせていなかった。


「『私は、条理桜花くんのことが、好き、です』」


 言い終わると同時に、固まる桜花の身体に、小瀬は抱き着いた。肉感のある身体をもって、恋人の定義範疇内に足を踏み入れた二人組が行きつく先を心が身体が許容した状態で、抱き着いたのである。同級生と比べて豊かな乳房を押し当て、普段の小心な彼女からは考えもつかないほどに強引なかたちで。

 殺してしまおう──と『私』は思った。

 死はそれを眺め、羨ましさに歯噛みをした。怒りに涙すら出てきた。運命の相手である大切な大切ないつかいつかこの手で優しく葬り連れて行こうと決意している恋しい愛しいただ一人の生者を絆そうとあの女はしている奪おうとしている許さない許されない。


 現状の把握に手こずっている桜花の背後、二つの乳房を押し付け抱き着いている小瀬の視線の先──死は、歩み始めた。歩むというよりも、足がないためにスライドするような移動ではあるが。


「……え」

 

 小瀬が視線を上げ、死の姿を捉えた。

「あ、ああ……!」

 絞り出すような声だった。小瀬の目は丸く見開かれ、驚愕のあまりに瞳が揺れている。死は首を得た。顔を得た。表情を得た。

 そしてその得た首の前の持ち主は、

「さ……っ!」

 今から殺すこの女の前に殺した、

「サクラ……!?」

 園田咲良のものに他ならない。

「ち、ちちがうの、これはそんなつもりじゃ、ッ……!」

 ダシに使った親友の生首に憤怒の形相で睨まれ、小瀬は狼狽する。もとより小心者の彼女は、目の前のショックですぐにパニック状態に陥った。

「園田が……!」

 桜花もまた、小瀬の狼狽する原因を見ようと振り返る。

「うあっ……!?」

 そこに、死が、立っていた。 

 なにもいないわけがない。なにもいないわけがないのだ。死は確かにそこにいる。見えないはずがない。認識できないはずがない。そんなことがあるわけがない。確かにいるのに見えないなんて、あるわけがない。いるものはいる。消えたりはしない。消えたりはしない。

 だから桜花は、死を見つけた。園田咲良の首を得た死を見つけた。

「あっ」

 桜花に見られたことで、死の抱いている殺意は喜びに上塗りされた。茶髪のサイドテールは歓喜に揺れ、真ん丸のアーモンドみたいな目と小ぶりの口は喜びにぐんにゃりと歪む。身だしなみ、どうだろう。きちんとしているかな。死に刹那の乙女的思考が生じた。

「お前、あの……」

「そう、それだよ。おー……」

 死は言い淀む。自らの一人称は決まっている。けど桜花への呼び方を決めていなかった。なんて呼ぼう。どう呼ぼう。桜花の幼馴染たちは『オーちゃん』という呼称を用いているのは知っている。ならソレに倣って……いや、ううむ……。

「い、いやっ……! ごめん、ごめんなさいサクラ、いやだっ……!」

 死が悩んでいると、小瀬が桜花から離れ、逃げ出した。よろめき、後じさり、首を振り、踵を返し、走り出したのである。一切になりふり構わない、恐怖する者の逃げ方だった。その恐怖する対象は『私』だ。

「ま、待て、小瀬!」 

 桜花が逃げた小瀬を追いかけ始めた。


「オー……どうしよ。どうしよっ。なにがいいかな。どれがいいかな。いいのかしらっ」


 死は、まだ呼称で悩んでいた。

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