彼女は幽霊を見た
告白された。抱き着かれもした。
「いつからだったかなぁ。忘れちゃったけど、けっこう前からだったと思う。サクラはね、久之木くんのことを見ていたの。なんで見るかは分かるよね、好きだから見るんだよ。そういうものなの、恋する女の子って」
尾瀬が喋る。死者の遂げられなかった告白の代理だと、彼女は言った。背中に手を回され、身体の前面には柔らかなものが当たる。困惑しかない。
ここは墓場だ。死があまりにも濃ゆい場所だ。
告白とは生に近い。生きている人間から生きている人間に行われる現行だ。よって死からは遠い。想いの吐露はあまりにも生命じみている。本来、墓場でするにはふさわしくない。だがこれは死者からの告白。死んだ人間の思い出話の一環として、の。なら、ふさわしくなくは、ない……のか。ダメだ。混乱している。
「そう、だったのか」
「サクラからの視線、気付いてなかった?」
「ああ、うん……」
「やっぱりかぁ。サクラ、かわいそー」
背中に回されている手が離される様子はない。
眼下には尾瀬の頭部がある。つむじが見える。表情は見えない。死者の想いを告げる行為に、彼女はどうして抱擁を伴わせる必要があった? 推測できるが、臆断かもしれない。
「これ、借りてたハンカチ、返すね。こんなタイミングだけど」
俺の上着のポケットに、尾瀬の手がハンカチをそっと入れた。他人の手がポケットに突っ込まれるむず痒さと、微かに加わる重量。以前、屋上で泣いていた尾瀬に渡したものだ。
「ねえ、久之木くん……ううん、お、おーりくん?」
尾瀬の目が、俺を見上げる。上目に、瞳には、期待のような、懇願のようなものを湛えている。抱擁という行為と、尾瀬の目から、ひとつの予想がついた。
「私もね、その、おーりくんのことが」
彼ヂょも、また。
「あ…………」
コン、と音が鳴った。俺の背後からだった。
誰かが小石を蹴飛ばしでもしたかのような音だった。
「あ、ああ……!」
絞り出すように、尾瀬が俺の後ろを見る。目を丸く見開き、驚愕のあまりに瞳が揺れている。後ろになにかがあるのだ。それとも────
「さ……っ!」
誰かが、
「サクラ……!?」
いる。
「ち、ヂヂがうの、これはそんなつもりじゃ、ッ……!」
尾瀬の手が俺から離れ、その怯え恐怖する視線は俺の背後を凝視していた。信じられないものを、直視するにあまりに恐ろしいなにかを彼女の瞳は映していた。
「園田が……!」
振り返る。
尾瀬の見る先、背後を俺もまた見た。
なにも、誰も、いなかった。
抜けるような青空と植えられた緑と、整列した墓石群が広がっていただけだった。
「い、いやっ……! ごめん、ごめんなさいサクラ、いやだっ……!」
よろめき、後じさり、首を振り、尾瀬は踵を返し、走り出した。一切になりふり構わない、恐怖する者の逃げ方。その恐怖する対象はいないというのに。少なくとも俺には見えなかった。
「ま、待て、尾瀬!」
その後を追う。
全力で逃げる尾瀬に、霊園の入り口、管理棟の近くに設けられた駐車場のところでようやく追いついた。
「はあ、はあっ……!」
何十メートルという距離だったが、なにかに怯えたままの彼女を逃がしてはいけないと全力で走ることとなった。尾瀬のスタミナの方が先に切れたのが幸い、捕まえることができた。
「いやだ……いやだっ……」
アスファルトに膝をついて丸まり、なにも視界に入れまいと尾瀬は貝になっている。うわ言のように恐怖を吐き出しながら、怯え続けている。
今は少しでも、尾瀬のパニックを和らげなければ。
「お、落ち着け、尾瀬。俺たちの周りには誰もいないし、なにもいない。怖がるようなものはいない。だからっ……」
「サクラが、いた……! サクラが立ってた! 私たちの近くに立って、私をっ……睨んで……!」
「それはっ……気のせいだよ。見渡しても、園田はいない」
「────っ!」
「んなっ!?」
急に尾瀬が顔を上げると、俺の手を引いて、その勢いのまま懐に飛び込んできた。不意を突かれ、そのままいっしょに倒れこんでしまった。
「怖い、怖いよおーりくん、私恨まれちゃったかな、サクラをダシにしたから、それでおーりくんに告白しようとしたからっ、恨まれちゃったのかな、怨まれたんだ、きっと怨まれたんだ……!」
「お、落ち着けって」
俺の服に顔を埋め、パニックのままに尾瀬は叫び続ける。
「あの世から戻ってきたんだ! だってサクラの身体、黒かった! 真っ黒だった! サクラがサクラだってわかるところ、首しかなかった! 首以外が、サクラの首だけがっ……! うあ、あああああ……!!」
真っ黒。首だけ。
園田桜子は、首を斬られ、持ち去られていた──いいや、まずは尾瀬のパニックを沈めなければいけない。考え事はそのあとだ。
「それは幻だよ」
できるだけ優しい声となるように、尾瀬へ言う。
「幽霊なんてものは存在しない。真っ黒な影とやらもそうだ、そんなものはいない」
脳裏に一瞬、夕陽の姿が映り、掻き消えた。幽霊はいない。真っ黒な影は存在しない。正しいことを、常識的なことを言っているのに、まるで嘘をついているような気分だ。俺の正しさを現実が否定してくる。
「木かなにかの影が、そう見えてしまったんだろ。まずは落ち着くんだ尾瀬。ほら、深呼吸しよう」
すう、と尾瀬は息を吸い、吐く。それを数度繰り返し、ようやく少し落ち着いたのか「ごめんね」とか細い声で言った。
「いいんだ。なにも気にしなくて大丈夫。ほら、涙も」
ついさっき返してもらったばかりのハンカチを取り出し、尾瀬の目にあて、そっと拭う。彼女は目をぱちぱちさせると、恐る恐る、周囲を見回した。俺もまた見回す。駐車場にも、墓石の方にも、誰もいない。管理棟から誰かが出てくる様子もない。居眠りでもしているのか、そもそもいないのか。
「……誰も、いない」
「な。言ったろ。怖いものなんて何もないんだ」
「……うん」
「立てるか?」
「だいじょぶ」
立ち上がり、服を手で掃う。未だぼんやり立ち竦んでいる尾瀬の服にも小さな石やら砂粒やらがついていたため、遠慮ぎみに掃っておいた。
「幻、だったのかな」
「幻だったんだよ。幽霊はいない……いないんだ」
「そっかぁ……」
尾瀬が落ち着いてよかった、と思った──その、矢先。
コン、と。また、小石が蹴られる音。
「ひぃっ……!?」
怯えた尾瀬が俺の腕を両手で掴む。
音は背後から聞こえた。今度振り返ってしまえば、そこにはいるのかもしれない。ゆっくりと、肩越しに背後を見ると、そこには、
「は、ハロー、オーリ。今日は良い天気ね」
「驚かせてしまって、本当にごめんなさい」
見たことのある少女が二人、とても気まずそうな表情を浮かべて立っていた。
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