俺たちは広場にいた

 朝陽ヶ丘の森が眼前に、鬱蒼とまではいかないがそれなりの薄暗さで広がっている。

 俺たちはその更に手前、森に入っていく舗装された小道の少し手前にある広場のベンチに座っていた。『朝陽ヶ丘の森手前広場』という単純明快な名称を持つその広場は、一宇の四阿あずまやと申し訳程度の砂場、ブランコ、自動販売機、ごみ箱、公衆トイレ、水道などなど……大部分を占めるのは、綺麗に刈り揃えられた青芝である。それと、大きな木──クスノキ、だろうか──が、点々と規則的に植えられている。密になっている葉がもっさりとしていて、常緑樹であるため冬の今でも青々としたものだ。


「人、いないわね」

「だな。やっぱり、と言うべきかな、これは」

「言うべきね。だって通り魔がいるんだもの。人を殺した人間が……怖いに決まってる。ねえオーリ、人殺しって怖いと思う?」


 ちら、と陽香が俺を見遣った。太陽の光を浴びて一層色素が薄く見える彼女のサイドテールが風になびいた。少し風が強くなってきていた。

 

「そりゃあな。ただ、怖さの度合いは相手の理由次第だろうけど」

「……それってどういうこと?」

「殺してしまった理由がさ、そもそも相手が先に殺そうとしてきた、だとかそういうのだったら能動的な殺人じゃないワケだろ。結果殺してしまった、ってだけで。言ってしまえば正当防衛だ。そういう人なら、あまり怖く感じない」

「まーそーいうのはねー。元々は被害者から出発する殺人犯ってことなんだしぃ」


 ベンチから立ち上がって、陽香は俺を見下ろした。


「じゃ、相手を殺したい理由がまずあって、それに従ってこんにゃろーって相手を殺した人間は、どれくらい怖い?」

「理由があって、か。それでも事故とかでもなく故意に殺人を犯したというのなら、怖さの度合いは大きくなる」


 ビシリ、と陽香が俺の眼先に人差し指を突き出し、ニヤリと笑みを浮かべた。


「問の一、その怖さの度合いとやらをメートルで表してみよ」

「は?」

「制限時間は三秒。配点は五点。はいスタートっ」


 急にテストが始まった。抜き打ちにも程があると思う。


「よ、四メートルぐらい……?」

「よく考えると怖さの度合いをメートルで言われてもどれほどなのか全然分かんない。だから零点」

「理不尽っ……」

「んふふ、なら挽回のチャンスあげる。問の2、です。殺人犯が目の前にいるとします」

「この場合は陽香になるな」


 目の前の陽香に冗談めかすと、「ま、それでいいわ」と軽く流された。


「その殺人犯は、ある一つの理由に従って殺人を犯したために殺人犯となりました。さて、その理由とはなんでしょうか?」

「理由って……なんだそれ、心理テストか?」

「ううん。ぜんぜん。ただオーリの思うように答えてくれればいいかな。制限時間は五秒、配点は十点ね」


 殺人犯が殺人犯となったその理由。

 あまりにも漠然としすぎている。殺人犯という単語に多くの要素が内包されすぎている。どうとでも変わるのだ。殺人犯は男にも女にもなる。老人にも子供にもなる。それこそさっきの稲達さんの言葉のように、人間にも不条理的な存在にも成り得る。人であり……あの黒い影も殺人犯になりえるのである。


「難しい?」

「難しいとかそういう以前の問題だ。理不尽とすら言えるぞ」

「じゃ、三つまで質問していいよ。ヒントあげるから」

「質問か……」


 まずは質問によって、問題の範囲を狭めなければならない。


「その殺人犯は人間か?」

「うん。話して笑ってお腹も減るし喉も乾くし二足歩行で意思を持って食欲性欲睡眠欲全部ある、紛れもないニンゲンだわ。にんげんにんげん、にんげんでーすっ」

「殺人の理由は同情できるものなのか?」

「そうね。同情は……する人はするし、しない人はしないかな。十人に聞いて十人が同情の余地なし、と断言するような理由じゃないわよ」

「する人はする、か……」

「しない人はしないのよねぇ」

「なら……」


 最後の質問が喉元まで上がる。けれどそこで止めてしまった。

 これを聞いてしまっていいものか。そう、思ってしまった。

 

 ────その殺人犯は、俺の知る人間か?


「オーリ? どしたのそんな真剣な表情で私を見ちゃって。あ、もしかして好きになっちゃった? でもちょっとやそっと私を好きになったぐらいじゃあ、私があなたへ向ける好きには敵いっこないということをまず第一に理解しておいてほしいな」


 陽香の、真ん丸の目が俺を見つめる。色の薄い髪、結われた側面の房が微かに風に揺れている。容の整った顔つきは、幼い頃から見慣れた顔だ。幼い頃から。俺の小さな頃から、陽香は、彼女はいた。小学生の最初の最初から、幼馴染として、レモンを含めた三人で、三人……で。ちくりと、後頭部が痛んだ。風が出てきて、空は曇りゆく。雨が近い。だから、痛んだのだ。


「……ちょ、ちょっとオーリ? ほんとにどしたの? そんな無言でじぃっと見つめられるとホントに照れるんだけど……その、少し怖いし……」


 なにも証拠はない。ただ彼女の言葉から、そうではないかと推察……いや、憶測を浮かべただけだ。


「前、ずっと前にさ、プールに行ったことあるだろ?」

「へ? それ質問? いいのそんなんで。私、答えちゃうわよ?」

「ああ、答えてくれ」

「あったわ。それも何度もね。市民プールでしょ? 私とシズカがプールに行ってて、そこにあなたとレモンが来たこともあったっけ」

「……だな」


 その通りだった。

 夏休みの宿題に飽きた俺がレモンを誘い、プールまでいっしょに歩いて行った。そしてそこで陽香と尾瀬に偶然会い、そのままいっしょに遊んだ。そして──『私』と影が言った。黒い、影が俺に囁いた。


「でもなんで今、プールの話をしたの? もうプールって季節じゃないのに……あっ。分かった」


 ぽん、と陽香が手を打つ。合点したらしい。


「私の水着姿がトートツに見たくなったってことでしょ? もう、しょうがないなぁ」


 違う。


「オーリだけなんだからね。あなた以外に言われたら首絞め殺しちゃうんだから。私をいやらしい目で見ていーのはオーリだけなんだし、だしだしっ」

「物騒だな。それに違う」

「え、違うの?」

「うん」

「着ろって言われたら、着るけど?」

「……いや、いい」

「今少し悩んだ? 悩んだでしょ? でしょ? すけべ? オーリってやっぱりすけべ?」

「今はもうそれでいい」

「ふふーすけべー」


 つん、と頬をつつかれた。

 

「それじゃあ質問は終わりね。さ、答えて? あなたの答えを聞かせて」


 ふふん、とにんまりしている陽香が促す。

 なぜ殺人犯は殺人犯となったのか、その理由。

 殺人犯は人間であり、同情できる理由のもとに人を殺した。その詳細について……ダメだ、全然分かんね。俺はその質問に対して何の答えも思い浮かばないのだ。きっと、そうだ。


「金が欲しかったから、だな」

「ブブー。ふせーかーいっ」


 不正解だった。そりゃそうか。テキトーに言ったんだもの。


「答えってなんなんだ?」

「答えはねー……」


 いよいよ風が強くなってきた。

 楠木の葉が擦れあい、ざわめいている。陽香のサイドテールの房の先端も動きが激しくなってきている。目を細め、髪を風に吹き荒らされながら、陽香は小さく、呟くように、


「大好きな人を、殺されたから」


 そう、言った。


「確かにそれは……同情する人はする、な」

「オーリは、する? どーじょー」

「するよ。俺だって家族を殺されたりなんかしようものなら、その相手を憎む。きっと、殺意も持つ」

「そー。そーなんだ。するんだ」


 ふふ、んふふ、と陽香は目を細めて微笑んだ。


「じゃ、私が殺されても? 私を殺した人を殺してくれる? このやろーってなって相手をぎゃあーってしてくれる?」

「するかもな」

「ほんと!?」


 顔をぐんと寄せ、まん丸の大きな目を更に見開き、陽香は明確な喜びを浮かべた。


「そっか。そっかー。オーリは私をそんなに想ってくれているのかぁ、そうねぇ、それはちょっと、フツーに嬉しーなー……ふふ、きゃはっ」

「まあ、そうならないでくれるのが一番だけど」


 本心からそう言う。そうならないでくれるのが一番いい。実際、この街の現状として、そうなる可能性だって……あるにはあるのだから。


「もー今ので百点なんだけどなー、もう一問あるのよねー」

「もう一問あるんだな」

「そうなのあるの。ならさっそく、最後の問題」


 にこにこと、この上なく上機嫌に、陽香が人差し指をぴんと立てた。


「ユーヒと私、どっちが好き?」


 なんとも答え方に困る質問がやってきた。


「制限時間は四秒、配点は百点。その代わり間違えたらマイナス千点」

「オーバーキルじゃないか……」

「間違えなければいいじゃない。そもそもドコに間違える要素があるの? って問題だし」

「……ところで、三択目は存在するのか?」

 何気なく、本当に何気なくそう言った途端、ヂ 途端だった。

 



        「……………………」




「オーリ?」ヂヂ。

「え、あ、ああ……」


 周囲を見、見回す。見渡す。誰もいない。何もいない。この広場に今いるのは、俺と陽香の二人だけだ。けどなぜだ。どうしてだろう。誰かがいた気がする。何かがいた気がする。俺をじっと無言で見つめるナニカがいた気がする。それは……それは、あの黒い影では、夕陽ではなかった──気がする。


「三択目なんて存在しないわ。この問題に限っては、この二択しかない。私か、ユーヒか」


 陽香がそう、断言した。

 だからこの問題に三択目は存在しない。そもそもが存在しなかったのだ。三択目は不在である。不在とは、存在しないということ。そこにはなにもないということ。


 ……けどそれは、なにかがあったということを完全に否定しているわけではない。


 そんな言葉が頭に浮かび、すぐに消えた。

 今は、目の前の質問に対する答えを示さなければいけない。

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