『モルスの初恋』
Ⅱ 殺人連鎖
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桜花は高校生になった。
通うは未明ヶ丘市立未明ヶ丘高等学校。
桜花が生まれた頃からずっと住んでいる未明ヶ丘市に、桜花が生まれるよりも前から存在する高校である。桜花よりもずっと長く、未明ヶ丘高校の校舎は沈みゆく夕陽を見つめ、昇りゆく朝陽に照らされ続けてきた。朝陽は昇り、夕陽は沈み、夜が訪れ、未明は過ぎて、また朝陽が世界を照らし出す。常識的なその連なりを繰り返す桜花の住む未明ヶ丘市を、これまでとこれからを過ごすことになる街の景色を。
──そんな時間軸の途上、今日と呼ばれるこの日に。
「……あ」
条理桜花は、死体を見つけた。
1
それは。
グランギニョル的な芝居の一場面のようであり、テレビゲームや漫画の中に見たゴア表現の画のようだった。いやに現実味を帯びた赤色は、日常という透明の液体に垂らされた一滴の墨汁のように、捻れ広がり、桜花の脳裡に非日常を自ずから撹拌させる。
砂と小石の敷かれた地面や、隅に設けられた木製のベンチに派手に飛び散った赤い赤い血液は温かみを失っており、そこらを染め上げる赤色の中に人間が一人、瞭然の死姿で倒れている。うつ伏せであるから表情が見えないのが救いか。
「う、うあ……」
時刻は朝早く。
場所は家を出て数分のところ、住宅街のど真ん中にある公園の敷地内。
登校中、ふと見た先にある倒れている人間を助けようと近寄った桜花は、その詳細を発見した。
「……なんっ、なんだよ……、これは……!」
首を半ばまで切断されたスーツ姿の男が死んでいたのだ。
桜花は初めて死体を見たわけではない。フィクションの中で、液晶や紙を仲介にしてしか見たことだってもちろんある。最も記憶に強く残っているのは、数瞬の間だけ遭遇した、あの交通事故だ。数年前、後頭部を怪我して入院し、その退院の日に見た、人が轢かれている光景。轢き潰された人間らしきものと、あふれ出す赤色。
眼前の死体もまた、凄惨極まる有様だった。
死体の周囲だけが異界と化していた。穏やかで昨日の焼き直しであるこの退屈な朝の登校に、唐突な形で非日常が介入してきたのだ。血の海と首の千切れかけた死体を伴い、桜花の日々に干渉してきたのだ。そうして、なによりそこには────「!? お前、は……!」
驚愕の奥より現れた、更なる驚き。
死体に向けて見開かれた桜花の目は、それを認識した。
再び。
視た。
────ふふふ。
死を。その黒影を。
遠くなった過去の残滓として憶えている、あの廃墟で初めてその存在を認めた死を視た。轢き潰された人間の近くに佇んでいた死を想起した。
うつ伏せに倒れる死体のそばに静かに佇み、黒い楕円であった死は人のシルエットを伴い、顔に当たる部分に向きの異なる白い三日月を三つ浮かべている。まるで無機質に笑う仮面のように。
死は、桜花を見て笑っていた。
「ひさ、しぶ……り……」
「しゃべっ……!?」
確かに死は喋った。
夜の湖畔に浮かぶ小舟のような三日月の口を揺らし、桜花に語りかけた。久しぶり。再会を喜び、親しみの込められたその挨拶。
「ッ……!」
桜花は踵を返し、震える足と崩れ落ちそうになる身体をどうにかこうにか動かした。
「はあ、ハアッ……なんだ、なんだっていうんだ……!」
そう遠い距離にない自宅まで戻ると、息を整えつつ扉を開け放つ。パニック状態に陥っている桜花の頭は、とにかくまだ家にいるだろう両親に事情を話し、警察に連絡をするという判断を打ち出した。
「どうしたの?」「なんだ?」
母親と父親がどうしたなんだと桜花の下へと駆け寄ってくる。
良かった、と桜花は安堵した。なぜだか分からないが、こうして両親が真っ当に普通に日常的に桜花の目の前に現れてくれたことに、心からの安心を覚えた。
「あ、あっちの方で人が、死んでて────」
その後は、両親が警察を呼び、呼ばれた警察が大急ぎでやってきて、道路に立ち入り禁止の黄色いテープを張り巡らし、被害者を運び、検死を行い、身元を特定し……そうしてこれを、通り魔の仕業と断定した。被害者に対して殺意をもっている人間の仕業とし、未明ヶ丘警察署に捜査本部を設置した。
殺された気の毒な男の名は、
2
──また出逢えた。また話せた。
今までずっと傍らにそっと貞淑に慎ましく控えていた。
死とは無縁の日々を送る、けれども周囲には死にかけた人間と認識されているその青年は、自らを振り返り視界に入れることがなかった。『私』という女性は、それを悲しく思っていた。
それが、どうだ。
あの首を切られた男の死体。
あの気の毒な会社員の惨殺現場の周囲には、濃密な死の匂いが立ち込めていた。だからこそ、桜花は『私』という女性の存在を認識できたのだ。たまらなく嬉しいことに。この上なく喜ばしいことに。
死が近ければ、桜花は死を認識する。
であるならば。
『私』という女性は思う。考える。思考する。そして結論した。
条理桜花の周囲を、死で満たす。
なんという名案か。
『私』という女性は笑い、それからの日々を夢想し幸せな気分となった。
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