夕陽ヶ丘商店街
『ようこそ夕陽ヶ丘商店街』と描かれたアーチ型の門をくぐる。
「あ! ヒゲのおじさんだ!」
「え、ヒゲいるの!?」
「うん、ヒゲいるよ! 今日もヒゲってる!」
「ほんとだ! ヒゲだ! 相変わらずヒゲってるヒゲだ!」
発見されてしまった。
満面の笑みで駆けよってくる少年たちに、ヒゲ改め稲達孤道はあっという間に囲まれた。我先にと稲達の髭を触ろうと手を伸ばしてくる。だが、上背のある稲達の貌に、まだ背の低い少年たちでは中々に手が届かない。
「ヒゲが、遠い……!」
「あきらめちゃダメだよタカちゃん!」
「そうだよ! 俺達にできないことなんてテストで高得点をとることぐらいなんだ!」
「けど、遠いんだ、ケンジ、ハジメ……」
「いける、いけるって!」
「頑張ればヒゲに手は届くんだ! 絶対に届くんだ!!」
「……そこは、テストの方を頑張りなさい」
苦笑しつつ、稲達は膝を折り、屈む。一斉に伸ばされた手にヒゲが蹂躙される。子どもって容赦ない。
「どうしたらこんなにモッサリとヒゲるんだろう?」
「世の中には不思議なことがたくさんある……」
「俺達も、大人になったらモッサリになるのかな。おじさん」
「うむ。なるとも」
「なれるんだ!?」
「やった……!」
「俺らも将来的にヒゲれる!」
タカシに、ケンジに、ハジメ。
この商店街に住まう子供たちの名だ。稲達はこの夕陽ヶ丘商店街へ度々訪れ、少年たちに見つかっては群がられ、ヒゲを触られている。よくあきないものだ、と微笑ましくなる。
「もう十分ヒゲったね」
「ああ。ヒゲったな」
「ケンちゃんちでゲームしようよ」
ひとしきりヒゲを触ると、少年たちは「またねー、ヒゲのおじさん」と去って行った。まるで風のようだ。少年たちにとって稲達は、野良猫や野良犬のようなものだろうか。野良ヒゲか。
「孤道さんも毎回大変だねえ」
そう言うのは、一部始終を見ていた花屋のおばさんだ。
「いえ、いいのですよ。あの勢い、元気、彼らの若さを私も見習いたいものです」
稲達は妻帯者ではあるものの、子供がいない。
「今日は
「理くんは事務所の方で留守番をしてます。私はひとり、お茶の葉買いですよ」
「あらまあ、一人でお留守番なんかさせて、危険じゃないのかい」
「通り魔、ですか」
「そうよお、あの、メメント森の中で遂に死体が発見されたそうじゃないの」
少年の刺殺体が発見されたというニュースは、この夕陽ヶ丘市の市民全員を不安にさせている。稲達もまた、例外ではない。それまでにちらほらと、刃物で切り付けられる事件はあったが、遂に人死にが出たのだ。犯人はまだ捕まっていない。
「理くんはもう高校生ですからね、しっかりと鍵も閉めさせています」
事務所を出る寸前、稲達は『誰かお客さんが来ても居留守を使うように』と理芙月に言った。すると『どうせ誰も来ませんよ』という返事を頂いた。その言葉は事実なだけに、稲達の心に刺さった。
「孤道さんも、気を付けるんだよ。あんた、身体はおっきいし見た目も渋いけれど、どこか頼りない雰囲気があるから」
「ははは。気を付けますよ」
バリトンボイスで答え、稲達は商店街の通りを歩みゆく。
「おっ。コドーちゃん今日も良いヒゲだね」
「ええ、私はヒゲに命をかけていますので」
声を掛けられ、稲達は返答する。
「探偵業は繁盛してるかい」
「それなりに、ですかね」
時には嘘を交えながら、稲達は歩む。
「お久しぶり」
「はい、お久しぶりです」
「通り魔が出たらしいわねぇ。なんでまた、人を殺したりなんてするんでしょう?」
「ははは。殺人犯の心境など、そうでない私にはさっぱりですよ」
「うふふ。あなたは人を殺す側ではなく、罪を暴く側でしたわね」
どこかで会ったらしいが忘れてしまった和服姿の女性とも、それとなく知人のような雰囲気で会話を交わし、
「そういやよ、作家の
「誰それ?」
「いや、最近なんかの文学賞を取ったばかりの、新人作家よ。ほら、あれ、なんかニュースでチラっと言ってた『モルスァのどすこい』ってな本を出してる人」
「なにその汗とチョップにまみれてそうなタイトル……」
「んー……確か、そんなタイトルだった気がするんだけどなあ……」
時には誰かと誰かの会話に聞き耳を立てつつ、
「ねー、聞いたぁ?」
「なになにー?」
「ほら、メメント森の近くにある夕陽ヶ丘の広場ってあるじゃん? あそこってぇ、時々、"出る"らしいよ」
「で、出るってなにが?」
「中途半端なバラバラ死体の幽霊」
「ちゅ、中途半端なバラバラ死体……?」
「そ。中途半端らしいよ。バラバラ具合が」
「それはそれでイヤだなぁ……」
「なんかぁ、ずっとずっとずっと前にも通り魔が出たみたいなんだよねぇ」
「この街で?」
「うん。そう、シモツキセンセーが、授業の空き時間にその話をしてくれてさ。その通り魔が出たときに、その広場でね、その女の子の中途半端なバラバラ死体が置かれてたって」
「そ、そうなんだ……初めて聞いた」
「でしょ? それ聞いてうちらみんな『こええぇー』ってなってぇ、やばくない?」
「やばいやばい。まじやばい」
そんな、過去の話を聞きつつ。
やがて稲達は商店街を抜け、目当ての茶葉店へと着いた。
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