いつも通りだった

「宇宙って、夢の中にすら存在するのかな」


 自習が終わり、休み時間に入るとそんな問いを受けた。可憐な声のその問いは、右隣のモヒカンではありえない。その反対の方、つまりは左側の席からだった。


「夢は脳が見せる幻だから、宇宙とは違うんじゃないかな」


 俺の答えに、左隣の彼女──美月みつき深宇みうさんは『えー?』という表情をした。彼女の期待した答えではなかったようだ。


「一説には、宇宙から送られてくる信号を人の脳が受信して夢を形成するという話だよ。だから夢は宇宙の断片みたいなもの、なんだって」

「あはは、それはオカルトじみてるよ」


 夢と宇宙。幻と現実。類似点はあるかもしれないが、同一とはならない。夢の中にある宇宙は、結局のところは脳の電気信号が見せる偽物のソレだ。


「そうかなぁ……『夢は宇宙の局所的召喚である』って言葉もあるのに……」

「そんな言葉が……いったい誰の言葉なんだ?」

「ミスター・ストレンジャーって人」


 誰だろう?


「宇宙には別時間軸への入り口があると信じ切っている人でね、それがブラックホールなんだって。漆黒の超々高密度高質量のアレだね。光もなにもかも呑み込んでしまうそのブラックホールが別軸の時間への入り口、並行世界パラレルワールドへの門になるんだって。実際のところブラックホールに呑まれると時間の進みがものすごく遅くなって、周りの時間がすごい早さで進んでしまうだけ、というのが一般的な説なんだけどね、ストレンジャーはそれは違うの一点張り。確かに見た、というの。ブラックホールの向こう側から信号が送られてきたんだって。それは夢となって、並行世界の自分、少し異なる自分がいる環境というものを明晰に見たんだって。だから、夢は宇宙を局所的な形で召喚するのではないか、という考えに至ったわけです。局所的、だからそれはストレンジャーが見たようなブラックホールの向こう側というのもあるし、どこか遠い星の違う文明の風景も映し得るかもしれない。仮定、仮定、仮定といった感じの説だけど、夢があってあたしは好きだな、って思うの」

「そ、そうなんだ……」


 ブラックホール。違う時間軸。並行世界の自分。夢。夢の中で見るのは、違う自分。違う行動の結果……眉唾にも程がある話だ。


「でもストレンジャーは宇宙との交信のしすぎで、人の頭が全部トマトに見えるようになっちゃってね、今は精神病院のなかというオチがついちゃって。ふふ、宇宙って怖いなあ。そんなところもまた魅力的なんだけれどね」

「発狂、したんだな」


 というよりも、前述のブラックホール別時間軸の時点で気がおかしくなっているようにも思える。てか絶対にその時点で発狂してる。


「そうかも。だから久之木くんも交信のし過ぎには気を付けてね。他人の頭部がトマトに見えたりレタスに見えたりするのはコミカルだけど、それがずっと続くのなら気が狂っちゃいそうだし」

「もちろん。発狂なんてしたくない」


 ふふ、と笑うと美月さんは静かに席を立ち、どこかへと行った。理由を考えるのは無粋というものだろう。

 

「……?」


 なんとなく視線を感じた。廊下からだ。


「なあ、オーちゃん?」

「うん?」

「陽香いるべ?」

「陽香いるな」


 陽香いた。廊下のところから俺を見ていた。ちょうど視線が合い、陽香はにこっと片手をあげる。俺もまた、片手をあげた。

 すると陽香は、スタスタと俺たちの教室の中へと入ってきた。ぴょこぴょこと揺れるサイドテールが微笑ましい。休み時間は他クラスの生徒が出たり入ったりするため、特に誰も気にした様子はない。何人かの生徒が、ちらりと視線をやっただけだ。


「うっす陽香」

「おはよ、レモン。相変わらずのモヒカンね。坊主には戻さないの?」

「戻さねえ。モヒカンと俺のシンワセーの高さがそれを許さねえのさ」

「ふーん。よくわかんない」


 陽香とレモンの挨拶。二人は幼馴染だ、そして俺も同様。

 俺たち三人は、小学校の頃から仲が良い。ずっといっしょだった。これからもそうなるのかは、まだ分からない。そうなってくれるといいな、とは思う。


「それより陽香、なんか用でもあんの?」

「オーリがいる。それ以外の理由で私がここに来ると思う?」

「だってよオーちゃん」

「そりゃ嬉しいな」

「まったく、なんでオーリがうちのクラスじゃないのかしら。ヘッドハンティングできないの?」


 ぷんぷんと、陽香。俺やレモンは一年C組だが、陽香のクラスは違う。彼女は「それより、オーリ」

 思考の途中で、陽香が言う。


「なに?」

「ほら、あっち」


 陽香が指さす方向、そこは廊下だった。

 そこに一人の少女が……ヂ、というノイズ音。変容。


「な、んだ……?」


 一人の、といってもいいのか、を。

 

「っべえ、綺麗だわわ……」

「……。ん、オーリ? どうしたの固まったりなんかして」


 そこにいたのは。

 視界に張り付いているかのような。

 べったりとしていて、平面で、真っ黒な。


 人の形をしているの、黒い影。


「もしかしてぇ……あの転入生の子に見惚れちゃったわけ?」

「ぇ……?」

「なによそのか細い声。図星なの?」

「転入、生……? アレ、が?」

「アレって……忘れちゃったわけじゃないでしょ。ついさっき会ったじゃない、そのまえにも結構なインパクトのある出会い方をしたでしょ? パンよパン。パンをくわえたパンツ少女」


 瞬き、一回。ヂヂ。

 すると、その黒い影はもう、ついさっき見たばかりの転入生──一乃下いちのか夕陽ゆうひだった。傍には睦月先生がいる。校舎の中を案内しているようだ。


「……」


 一乃下夕陽と、目が合った。

 彼女はにこりと、恐らくは俺たちに向けて微笑んだ。


「べえわ、べえわオーちゃん、あの子やべえ。めっちゃキレイ、キレイすぎてマジぱなっしゅ……おお、オーちゃんも見惚れてるわ」

「やっぱりオーリ、あなた見惚れているのねっ。見るなら私を見なさいよ、っての。まったくもう。オーリはクール系のが好みだというの……あの子澄ましたクールな顔してるけど下着の色はピンクなのよっ」


 ずきり、ずきりと、後頭部が痛む。

 あれはなんだ。あれはなんだ。あれはなんだ。あれはなんだ。

 俺が今見たのは、あれは、あれは、あれは、あれは、あれは……。


「オーリってば!」

「あ、ああ、ごめん……なに?」

「上の空だったわよ、あなたあの子に見惚れすぎ」

「そう、だったか。そっか、そうか……キレイ、だもんな」

「む……」

「オーちゃん、そりゃ失言だわ。陽香の目の前で他の女の子褒めるのはやべーわ。いや確かにあの子はキレイだったけどそれを陽香の前で口に出すのはやべーべ? モヒカンに誓えるレベルでそう思う」


 レモンが何かを言い、陽香が不機嫌そうに口をとんがらせている。

 そこで電子音のチャイムが鳴り、休み時間は終わった。


「うわきものっ」

 

 そう言うと、陽香は教室を出て行った。

 クラスメイトたちが次々と席に着く中、俺は困惑し続けていた。今しがた自らが目にしたモノがなんなのか、一切分からなかった。あの黒い影。答えは出ない。一乃下夕陽へと変化。答えは出ない。分からない。なにも。

 ああ、後頭部の傷が痛む……この頃はずっと調子がよかったのに。

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