転入生がやってきた
校門の前に陽香が立っていた。そわそわと落ち着かない様子で、周囲を見回している。俺を待っていてくれたようだ。
「陽香っ」
「っ!? オーリいいいいいいいいいいい!」
俺が視界に入ると同時に、陽香が突撃してきた。
「ひい!?」
反射的に避けてしまった。ついさっき不可解な存在にタックルされて、まだ身体が警戒状態だったものだから……
「ぴゃっ!?」
勢い余った陽香は身体をよろめかせ、そのまま道路上に転んだ。頭に『miss』とでも出たかのような見事なよろけ方だった。ごめん。
「わ、悪い、陽香。つい避けた……」
「オーリ、オーリぃぃぃ……!」
「おわっ!?」
横たわる彼女に手を差し伸べると、ガッと掴まれグイと引っ張られて俺まで倒れてしまった。道路上に、俺と陽香は二人して倒れている。起き上がろうにも、陽香が抱き着いてくるから起き上がれない。腰に腕を回され、しっかりと足でホールドされているのだ。
「生きてた、よかった、よかったぁ……!」
彼女は号泣していた。瞭然に平静を失っていた。
「ああ、生きてる。生きてるよ。少しタックルされただけだから、俺は無事だから……」
陽香へ自分が生きていることを主張し、なだめる。このまま学校前の道路上でもみくちゃになっていたら、通りがかりの人がびっくりするのは明らかだ。
「生きてる? 生きてるの?」
「ああ、生きてる。生きてるさ。身体のどこにも傷はない。致命傷だってもちろんない。体温だってあるし、足もついている。だから死体じゃないし、幽霊でもない。俺は人間だ。生きている人間だよ。そうだろう?」
「うん……」
ようやく陽香は落ち着きを取り戻し、俺を離してくれた。「パンをくわえた得体のしれない女の子に殺されるなんて、そんな死に方はあんまりだわ」と冗談めかす彼女へ、俺は立ち上がり、手を差し出す。
「ほら、手を……」
「……」
素直に陽香は手を握り返し、そのまま立ち上がった。俺たち二人は校門を抜け、そのまま下駄箱へと向かう。当然と言えば当然だが、下駄箱への道のりは誰の姿も見当たらない。
「……それで、どうだったの?」
「どうだったって、なにが?」
「あの女の子よ。逃げきれたのよね?」
「うん、まあ……逃げきれたっていうか、逃げられたっていうか……」
「どういうこと?」
陽香が首を傾げる。そりゃそうなる。俺だって未だにワケが分からないんだもの。
「タックルされたんだ」
「タックルされたのね」
「うん。それも腰が入ったタックル。なかなかの重さだった」
「ふーん。それで?」
「その子は白々しく尻もちをついて、その……下着が見えた」
「パンツが?」
「あ、ああ。淡いピンク色だった」
「ピンクだったんだ。私は白だけれど」
「そっか……ぉ」
ずきりと一瞬、後頭部の古傷がうずいた。なぜだろう。
校舎の出入り口まであと少しというところで、俺は固まってしまった。生徒用の出入口はコンクリートの階段(バリアフリー付き)を数段上ったところにあるのだが、その階段を上り切ったところに、一人の女子生徒が立っていたからだ。
「なによオーリ、いきなり『ぉ』って固まったりなんか……ぁ」
陽香もまた、その姿を見て硬直する。
「な、なんでここにっ……」
それは、ついさきほど俺にタックルを喰らわしてきた女子生徒に違いなかった。
冷然とした印象を受ける切れ長の瞳に、黒くつややかな髪。よくみなくとも端整だと分かるその顔には、しかし食パンのみがなかった。食べ終えたのだ。
「……初めまして」
俺たちに気づいたその子は、薄く笑うとぺこりとお辞儀をした。礼儀正しい。さっきはタックルしてきたのに。
「しゃ、喋った……!?」
「? 喋りもしますけれど……」
まともな言葉を発したことに驚く俺たちに、目の前の彼女はこの人たちはいったい何を言っているんだろう、という怪訝な表情を浮かべる。確かにその反応はもっともだ、あの食パン少女でなければもっともな反応となる。けれど彼女は間違いなくあの食パン少女なのだ。
「私、一乃下夕陽と言います。実際は明日からですが、この朝陽ヶ丘高校に転入してくることになりました」
転入生。転入生! 食パンをくわえた転入生だなんて! ここはいったいどこのジュブナイル小説の中なのだろう! ……いいや、現実か。俺が生きている場所が現実でないはずがないのだから。
「き、きみは、さっき俺にタックルしてきた子……だろ?」
「タックル? なんのことかしら?」
思わず尋ねると、彼女は本当に何のことだか分からないと首を傾げた。どういうことだ。さっき俺を追いかけてきたのは、確かにこの子だというのに。
「そ、そうだ! 下着だ! 今日の君はピンクのパンツを穿いている! 淡いピンクだ! だろう!? だってさっき……」
そう口走って、あ、と思った。目の前の少女が、見る間見る間に顔を赤くし、スカートの裾を両手で押さえていたからだ。
「ど、どうしてそれを知ってるの、きみ……!?」
「なにを言い出しているのよ。あなたはいったいなにを言い出してるのよ? オーリ?」
羞恥に睨む転入生の目と、真横からは陽香の視線が突き刺さる。
「あ、違、いや違わないんだろうけど、なんかその、きみがいたんだっ、さっき」
「私はあなた方とお会いした記憶はないわ。今日は説明を聞きに来て、ここで先生がいらっしゃるのを待っていただけ。なのにきみが、いきなりパ……パンツの色なんて言い始めたりなんかっ……」
「……ち、違うのか?」
「た、確かにピンクなのだけれど……って何を言わせるの!」
『もうっ!』となっているイチノカさんを宥めるように、言う。
「色の話じゃなくてさ……本当に憶えてないのか?」
あれは思い違いなんかじゃなかった。あれは見間違いではなかった。
「なあ、陽香、確かに俺たちがさっき見たのは、この子だっただろ」
「ヘンタイオーリ。いきなり女の子の下着の色を当てようとするなんて。とんだエスパーもいたものね。ユリ・ゲラーもびっくりだわ」
「なっ……それは仕方ないだろ。それしか判別の方法がなかったんだから」
「そうね、ヘンリー」
「ヘンリー? え、俺のこと?」
「ヘンタイオーリ、略してヘンリー」
「妙な略し方をしないでくれよ」
「
「へ、変な二つ名を頂戴しないでくれって……下着の話はひとまず置いておいて、だ。俺たちが見たのは確かにきみ、イチノカユウヒさん? だったっけ、きみだった」
間違いではなかった。間違いではなかったのだ。
「そういわれても、憶えがないのよ。今日もここまでは一人で歩いてきたし……」
「食パンを食べながらか?」
「そんな行儀の悪いことはしないわ」
記憶の齟齬? それとも現実のブレ? いやそんなものがあるわけがない。SFやホラーとかのフィクションとは違うんだ。これは現実なのだから。
「おお、君が一乃下さんだね……っと、なにをしてるんだ、久之木、未知戸」
すると、担任の睦月先生がよれよれの白衣姿で校舎の中から出てきた。
「遅刻じゃないか。お前たちが遅刻するのは珍しいことだが、希少性は容認の理由にはならんぞ」
転入生のイチノカユウヒさんを迎えに来たのだろう先生に、当然のお叱りを受けてしまった。
「早く教室へ行きなさい。といっても、今の時間は自習だがな」
「わ、分かりました……」
そして俺たちは教室へと行った。クラスが違うため、途中で陽香とは別れた。
静かな教室内に、後ろの入り口からそっと入ると、そのまま着席し、机の上に置かれた自習用のプリントに無言のまま取り掛かり始める。
「よお、オーちゃん。今日なんで遅刻したのよ?」
隣席のモヒカン──
「食パンをくわえた女の子に追いかけられた末にタックルを受けた」
「おー……おお? 食パンくわえた女の子ってマジにいるん?」
「いるみたいだな」
「すげ……いるんだ。走ってると食いづらくないんかな……」
「とても食いづらそうだったよ」
「やっぱり?」
案の定、モヒカンはポカンとしていた。だが、事実だ。それが現実に起こった出来事なのだからしょうがない。
……今、俺は現実にいるのだろうか。いいや、答えは分かりきっている。馬鹿馬鹿しい疑問だ。
今は現実の最中に違いない。俺は現実を生きているのだ。
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